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「どこへも行かない自由もある」と、20歳の私に彼は言った【カナダ・バンクーバー】

大学生のとき、1ヶ月という短い期間だけれど、バンクーバーで春を過ごしたことがある。街中から毎日フェリーで川を渡る、ノースバンクーバー。

私が借り暮らした家のひとたちら、今でも元気だろうか。あの頃中学生だった娘たちは、今ではすっかり大人なのだろう。もしかしたら、彼女たちが母親になる順番が来ていたりも、するかもしれないなぁ。

あのとき私は世界が見てみたくて仕方がなくて、日本を出たくてしょうがなくて、バンクーバー行きの飛行機に乗り込んでから10数時間、ずっとガイドブックを片手に、着いたら何をしようか、と計画を立て続けた。胸のときめき、それに反する不安と焦燥、家族や友だちと離れてしまう怖さとか、言葉に対する後ろめたさとか。たくさんの気持ちをひっくるめて、私は国を超えてゆく。

私はまだ、20歳だった。そして彼は、31歳を迎える年だった。大学生の私から見たら彼は随分と大人で、世の中のことをなんでも知っている風に見えた。日本から、ワーキングホリデービザを取得して、一年の期限を持って。バンクーバーへ暮らしに、そして働くことをしに来た彼は、私の年齢を聞いて「いいなぁ、なんでもできるなぁ」と行った。

私は、成人したばかりの年で、お金も満足になくて、バンクーバーに来るだけでも、アルバイトをして、けれどお金が足りなくて。いくらかを父に頼み込んで借りて、翌年毎月返済する約束をして渡航していた身だったから、「大人が羨ましい」と言った。

そして確か、続けたのだ。どこかへ行きたくても、行けないもどかしさが、悔しい、と。

けれど彼は、切なそうに、愛おしそうに、誰に向かってとかではなく、言ったのだ。「そうだね。でも、誰かがいるからどこへも行けない。どこにも行かないっていう選択ができることも、とても素晴らしいことなんだよ」と。

20歳の私。彼が何を言っているのか、全然理解できなかった。世界中、好きな時に、好きな場ところへ行ける人生こそが、輝かしい生き方なはずなのに。私はまだ子どもで、どこへも行けない。あなたは大人で、だからこそ自由に、一年だって異国で暮らせるんだ。暗に、そんな生意気な目をしていたと思う。若さゆえの、モノの知らなさ。

今は、あれから随分と時が経ち、納得できることが増えた。彼は、長く付き合った彼女と、別れたことによって身軽に「なってしまった」。どこかへ消えてしまいたくて、逃げたくて、目の前の何かから自分を一掃するように、海を越えてあの街にいた。誰かが引き止めて、つなぎとめていてくれた日本いう場所。もう誰も待っていないから。「ここにいる理由」を失ってしまったから。

だから、どこへでも行けてしまう。

そんな悲しみ、そんな切なさを孕んだ自由があること。そしてその逆も、存在すること。

大人になることは、どうしてこんなにも。どこかへ行きたい自由と、行かない自由の広さに着いて、彼の年齢を超えた私は、やっと理解ができるようになる。

バンクーバー、いつかもう一度訪れたなら、時を超えた私はあの街で、次は何を想うだろう。

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