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その扉の向こうには、いつだって知らない世界が

手のひらにスマートフォンを握っていると、ふと自分がこの世の中のすべてを知っているような気持ちになってしまう瞬間が、私にはある。

この指ひとつで。人差し指さえ、動かせば。手のひらの中で、世界は動く。

「本気を出して調べたら、全部がわかる」。たとえばそんな風な。それはある意味では正しいし、ある意味においてはまったく間違っている。

冷たい金属が私と世界をいつだってつないでくれる「錯覚」を、これからの人生においてどう捉えるか? それはもしかしたら、大きな分かれ道の始まりかもしれなくて。

***

東京を離れて、とぼとぼと。鎌倉を歩く道すがら、想像以上にたくさんの緑と花が季節の移り変わりを知らせていることに驚いた。

空が広い、ほおを撫でる風も心地いい。都心よりも、少し息がしやすくなった気がした。

歩くのが気持ちがいい、と、手元の画面から視線を上げて、両手を自由にして歩く。世界の広さを、もう一度学べるような心持ち。

信号が変わるのを待つかたわらで、ふと目に入った扉があった。少し濃いめの茶色の「ビンテージ」と呼べるような、くすんだ印象の木材、横幅の狭い小さな扉。

どれくらい小さいかといえば、大体、私の実家の玄関の扉と同じくらい。ひと一人が通るのに十分で、ふたりすれ違うにはちょっぴり狭い。

木枠はうっすらと向こうが見える作りになっていて、擦りガラスなのだろうか、見えそうで見えない。半開き。行ったり来たりして、「入っていいのだろうか」と少し悩んだりする。

いつもなら絶対にびびって開けないけど、今日に限っては本能が「この向こうには何かがある」と訴える。どうしてだか、その小さな気持ちの芽を、無視したくない気分だった。「開けた方がいい」とまた頭の中で、誰かが言う。

たぶん、何かを変えたかったんだと想う。

瞬間、これまたキレイな濃いめの木材でできた、小さなちいさな看板を発見する。店か?と言い訳のように考えて、ノックをして、こんにちは、と挨拶する。少しだけ開けて確信する。

中は、美しく切りそろえられた木材が揃う、アトリエのようだった。奥に、奥に、とても広い。扉からは信じられないくらいの、奥行きのある建物。「うなぎの寝床」とはまた違う。

まるでそれは、そう。私はここに似た場所を、よく知っていた。

モロッコ。「リヤド」と呼ばれるモロッコの富豪の旧邸宅、を改装した、今は旅人向けに開かれている、きらびやかなモロッカン装飾に囲まれた宿。

入り口は簡素で、見つけるのすら大変で、見つけられたとしても「本当にここか?」と疑うほどの「飾り気のなさ」で、けれど扉を開いた瞬間、心に潤いの洪水が押し寄せてくる。

信じられないほどの、内側の豊かさ。広さ。文化の香り、新しい世界へのパスポート。リヤド。ここは、あの場所に似ていた。外観からは想像もつかないくらい、言ってしまえば地味なのに。扉を開いた瞬間、新しい風やきらめく宝物が降ってくる。私の目の前、春の季節の、花咲くあの草原のように。

「こんにちは」と知らない人が私に微笑む。「ようこそ」と暖かく迎えてくれる。「ここは開かれた場所だから」「最初の一歩が、少しだけ勇気がいる仕組みになっているけれど」と再び笑む。

するり、と心地よい木の香りが、鎌倉の風に混じって私をなぜる。切り出されたばかりの木々は、なんだかこのまま手を切ってしまいそうなくらい、鋭く尖っていた。キレイだな、と私は思う。きっと明日を、変えてくれる場所なんだろう、と確信みたいに木の上を歩いた。

***

そういえば、すべてのことは、この扉に通じている、と私はなんだかぼんやりした頭で思いながら、帰り道を歩いたりする。

通り過ぎていく景色には、いつも扉がある。別に民家や店の話をしているんじゃない。扉は、本当にいつだって私たちのそばにあって、開けるかどうか、とかそういう問題の前に、気付けるかどうか、気づけた時に開ける準備ができている自分かどうか、にほぼすべてが委ねられているような気がしてならない。

そういえば日本中どこにいても、世界中旅をしていても、思い出の場所の近くにも、実家の周りにだって、いつも扉はあった。

それらは本当に扉の形をしているかもしれないし、書籍の形をしているかもしれないし、言葉ひとつ、参加ボタンひとつ、「その時笑い返せるかどうか」「その時もう一言、踏み出して話せたかどうか」とか、そんな些細な。

細かな出来事だったり差異だったりに、「私は、はたして次に扉を開けるにふさわしい者かどうか」が委ねられているような気がしてならない。否、確信している。委ねられている。

「Chance favors the prepared mind.」---by Louis Pasteur

「チャンスは、準備した者に訪れる」とは、よく言ったものだと思う。

なんの話だっただろう。そう、道を歩いている時に、ふといつもと違う扉を開けてみたら、その奥行きは本当に広くて、目を奪われるほどキレイな世界が広がっていて。その向こうに、また違う明日が続くんじゃないかと思わされた、というだけ。

ただたった、それだけの話。

いつだってそう。そのことを私は、私たちは、意識しながら暮らした方が、なんだか幸せに近づけるような気がしたのだ。手のひらの世界から、もうほんの少しだけ、顔と視線を上げて、世界を楽しもうと考えたとするならば。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。