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ヘブンが隠されている街なのかも。でも私は【デンマーク・コペンハーゲン】

その日、私はデンマークのコペンハーゲンにいた。そして、夜も更けた22時半頃になって、「下に降りてきて、一緒に話さないか」とジュディに言われた。正確には、ジュディの電話を受けて、隣の部屋から私を代理で呼びに来た14歳の彼の娘が、「パパがあなたを呼んでいるんだけど、もし嫌でなかったら」と思春期特有のちょっと気だるそうな顔で、けれど精一杯の笑みを作って私を呼んだ。

※写真は別の日に撮った昼間のものだ。けれどとにかくジュディの家の庭はとてつもなく広かった。今見ると森に見えるな…

窓からテラスにいるはずのジュディの姿を探す。隣にはケンがいた。ケンは、ポルトガルと日本のハーフで、人生を長くブラジルで過ごした後に、デンマークに移り住んだひとだった。

初めまして、とつたないデンマーク語で初めてジュディに挨拶したとき、「ぼくにはケンという日本人の友だちがいてね」と楽しそうに私に言った。「けれど彼はそろそろ日本に帰ってしまうんだ」とうれしそうな、けれど辛そうな顔をする。そのときは彼の表情の意味が分からなかった。

けれど今なら少し分かる。ジュディは、大切なひとをなくして(離婚して)ひとりデンマークに残ったケンの身を憂いて、彼の家族がいる日本に帰ってほしい、と願っていた。けれどそれは、ジュディの大切な友だちがひとりコペンハーゲンから居なくなることを意味していた。

人生で、時を重ねられるひとは、ひとの数の割に多くない。ジュディと、ケンと、3人でコペンハーゲンの夏の夜に、緑豊かな庭に座ってお酒を飲むのは、なんだかいいことのように思えた。

たかが数日異国に滞在したところで、その国のことをよく理解することはできなかった。

でも、私はデンマークにもひとの心が通う瞬間があることを知れたし、街並みの美しさや、食事の種類、人々の話す言葉の響きはもちろんのこと、朝晩はウルトラライトダウンが必要なくらい冷え込んで、昼間は日焼けしそうなくらい暑いこと。朝、雨が降っていても夕方にはそれが嘘だったかのように晴れること、ジュディとケンが海賊になれるか? と笑い合いながらジンをがばがば飲んだあとにテキーラを持ちだしたこと(私はもちろんビールを少しだけ飲んだだけだ)、知り合いがいないと外国人の就職は相当に大変なこと、デンマーク語は文法が簡単なのに発音がものすごく難しいこと。

あぁそう、そんな、取るに足りない、けれど毎日にとって大切そうなことを、この数日間で体に染み込ませていた。

コペンハーゲンの街は、半径10キロメートル以内の範囲に観光の主要な見どころがまとまっている、旅行者にやさしいコンパクトなシティだったけれど、ジュディや妻のヘレナの話によると、何年経っても見どころの尽きない、豊かで魅力的な街だということだった。そしてそれは、私も認める。ピースフルでスローな、ハピネスの溢れる街。そう言ってしまえばなんとなく通じるような気になってしまうけれど、誰かが言っていた仮のことばでない、私の心のことばでがんばってこの街を表現するならば、

ここは美しくて、穏やかで、空が広くて、「パンケーキのように平らだ」と評されるように坂がなくて(それは私には少しだけ物足りなかった)、どこまでも続く海に囲まれた、国境に近い、それでいてゆったりとした時間が流れる、この国の中心だった。

美しい街だと思った。穏やかで、いつだって人々はとても幸せそうに見えた。1971年にヒッピーが作ったといわれる自治区「クリスチャニア」でもそれは顕著で、幸せそうすぎて私は少し怖くなったりもした。コペンハーゲン(Copenhagen)もクリスチャンハウン(Christianhavn)も、「hagen」とか「havn」の部分がなぜか「heaven」に見えるときがままあって、「ここはヘブンなのかも」とか、「ヘブンが隠されている街なのかも」とか思ったりした。

街の至るところに自転車の専用レーンがあって、街のひとはみな当たり前のように自転車を漕ぎながらそれに沿って風を切っていて、私もそれに乗ってみたり、風を切ってみたりしていた。(なにせ、議員が自転車で通勤するような自転車王国だ)

けれどどこか、なぜだろう。この街には長くいられない気がしていた。

もう少し長くいてもよかった。けれど、私は予定より早めにスウェーデンへ行こうと決める。

おしゃれすぎたのかもしれない。タイに比べると、物価が高すぎたのかもしれない。「クリスチャニア」の未来さや、「チボリ公園」の平和さ、夏が夏らしくないことや(とても涼しかった)、もしかしたらiPhoneがないことをまだ引きずっていたのかもしれない。

でも、とにかくコペンハーゲンは、とても美しい街だった。またいつか、恋人と来た方がいいなと思いながら、私は次の街・ストックホルム行きのチケットを取ってその夜眠る。

そして私は、それからしばらく、なぜコペンハーゲンを早く出なければいけないと思ったのかを考えて、北上している間になんとなくその理由を思いつくのだ。でもまだまだ先の話。

定住と愛、物が置ける幸せについても考えたけれど、なんだろう、綺麗すぎて、なんだかそういうのはまたどうでもいいような気もしてくる、北欧の日々。


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