スクリーンショット_2019-10-15_21

「旅すること以外にも、楽しいことってたくさんある」と君は言うから

小さなしあわせの種というのは、どこにでも転がっているよ。そんなことを言われても、ありふれた日常、毎日の繰り返しの中に、しあわせなんてものが隠れているとは、昔到底思えなかった。

けれど最近、どうしてこんなに毎日が満たされつつあるのだろう? と不思議に思っている。私はただ、「暮らしているだけ」で、長く遠い旅に出ているわけじゃなければ、目新しい出会いに日々身を浸しているわけでもない。

否。「暮らしているだけ」というよりも、生まれて初めて「きちんと暮らしている」と言える日々を送っている。目新しい出会い、の定義は、そういえば一体なんだろう? 私が過ごしている毎日は、誰かの興味関心を深く惹けるような派手さはないけれど、でも。新しい「なにか」には確かに満ちている。

たとえばそれは、地味なもの。ずうっと欲しかったホーローの容器を買ったり、朝起きて窓を開けて、風に揺れるグリーンを見つめながら歯磨きをしたり、秋だね、と冷たさを感じて、フレッシュハーブティに無垢なはちみつを入れて、トルコで買ってきたグラスに注ぐ。

お風呂をためて、そこに外国のクレイを加えて、カラダのデトックスと雑誌の読書。花を活けて、ドライフラワーをぶら下げて、作り置きのお肉と野菜で簡単なランチを、夜はファーマーズマーケットの食材をたっぷりと。選んだランプに、お気に入りのアロマ。大好きなタオルに、環境にやさしい電力で暮らす。

旅をすることを、心の底から、本当に、ほんとうに愛している。これだけは誰に止められても、きっとやめることができない。けれど、スタイルと頻度や、目的や在り方を変えること。人生のステージと、体と心のバランス、いま大切にしたいと感じること、過ごしたい時間を過ごすこと、優先順位を柔軟に変える勇気を持つこと。そういうことが、もっとうまくできるようになっても、いいんじゃないかと最近、思うようになっている。

ラグビーが、あんなに楽しいなんて。「旅すること以外にも、楽しいことってたくさんあるんだよ」と君は言う。なるほど、そうかもしれない。と私は想う。大人になって、しばらくが経った。けれどこれからも、私の人生において、「大人の時代」はまだまだ続いていく。もしかしたら、これから先、ずっと「大人」なのかもしれない。前は、一年経つごとに学年が変わったり、就職をしたり、結婚をしたり、時を経るごとに立場や気分がすぐに変化してくれたのに。そういうことは、もうないから。

大きく跳ねたり、深くしゃがんだり。1ヶ月、を繰り返す、というサイクルではなくて、春夏秋冬、1〜2年のサイクルで生きたかった。もしかしたら、それができ始めているのかもしれない、と。きっと、その分「選べなくなったこと」や「手放したこと」もあるはずだけれど、代わりに「手に入ったものの大きさと温かさと柔らかさ」がこの手のひらに少しずつ。体調を少し崩して、リズムが無理矢理にでもゆっくりになったことで、私はこの秋、今までとは全然違う、けれどとても大きな気づきを得始めている、気がしている。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。