「灯台もと暮らし」というウェブメディアを作っています。
「何をやるかではなくて、誰とやるかが大切だ」と誰かが言った。もとい、「それにこだわりたい」と言った人がいた。
その人は、まだ私の近くにいるけれど、初めて聞いたときは意味が分からなかった。
「いや、誰とやるかよりも、何をやるかの方が断然大事でしょう?」
大体それって、セックスの話ではないのか? と内心思った。
※「誰とやるか」、の部分を勝手に引きずりすぎたのだと思う
今でも、実はまだよく分かっていない。なんとなく言いたいことは理解できるつもりでいるのだけれど、腹の底の方での実感が伴えないため、本当の意味では未だ理解できていないのだと思う。
でも最近、また少しだけ分かるようになった。気がする。
私は、「灯台もと暮らし」というウェブメディアを運営していて、一応肩書は、編集長ということになっている。
ただしソレは、学校の教室で言う「委員長」みたいなもので、「◯◯係」みたいなもので、つまりそれは、「えー、誰でもよくない?」「めんどくさいよねー」「伊佐ちゃんでいいんじゃない?」「えー、まじかー」
みたいな会話の延長線上にある、極めて幼稚な肩書の付け方であったと思っている。
というと、仲間に大変失礼である。私はこういう風に、照れ隠しや自信のなさを、ことばを乱暴にして簡略化して、一部分しか見せずに本音の端っこの変形したようなところを差し出す癖が、ある。
話を戻す。
「灯台もと暮らし」というウェブメディアを運営している。開始は2015年の1月1日で(なんで元旦?)、コンセプトは「これからの暮らしを考える」、編集方針は「まぁまぁカタカナを使わない」ことである。(また簡略化して適当に済ませてしまった)
道のない場所に道をつくる。私たちがやりたいことは、結局はそういうことなのかもしれないと、最近思う。
将来の夢は? と聞かれたときに、「私は私のやることが評価される仕事がしたい」と謎に吐き捨てた10歳のときのように、「見えない未来を掴むこと」「それを掴めるかもしれないと信じること」を、私たちはやろうとしたのだと思う。
確信は、なかった。でも、予感は、あった。
「この人たちと生きたい」
一緒にいれば、何か楽しい未来が拓けると。
ずっとずっと、海外に行きたかった。引き延ばしてきて、結局今年ようやく行く決意をしたけれど、去年もじつは、一度決意をしてはいた。
でも、彼らと一緒に生きる時間がほしかった。途中から参戦ではいけない。物事には始まりと終わりがあって、流動的な時期を過ごせるのは、人生の中でただ一瞬だけである。
私は、彼らと始まりが見たかった。手のひらで始めたものが、時を転げて、どこにたどり着けるか、どうたどり着かせるか、試行錯誤の中を生きてみたかった。
だから正直に言おう。
私は別に、これからの暮らしを考えたかったわけじゃない。
「語弊を恐れずに言えば」というカモフラージュを、今日はできない。してもきっと、意味がない。(もしかしたらあとでみんなに怒られるかもしれないけれど)
強いて言えば、これからの生きる道を、彼らと共に考えてみたかった。どこか知らない土地で生きる誰かの人生ではなくて、ここで今呼吸をして生きる、私自身の人生。
「人は、自分が特別だと思ってしまうから、不幸になる。本当は、誰もがみな同じなのに」と誰かが言った。
私もそう思う。私たちは、誰もがみな同じだ。姿形の話じゃない。もう少し大きな時間の流れの中で、地球に生を受けて、進化の過程にあり、生まれ、死んでいく流れの中。
けれどやはり、ここに生きているという何かがほしい。
何かが難しいのならば、小さな小さな自己満足のスパイラルで構わないから、ここに私が生きていて、後世に何かを残したいとかではなく、「今私はきちんと生きている、胸を張ってやりたいことをやっている」と言える時間を過ごしたい。
***
何の話だっただろうか。
「灯台もと暮らし」を始めて、今のWaseiの人に会えて、そしてそこから広がるかもしれない人生の可能性を目にして、今私は少し、楽しいと感じ始めているのかもしれない。
辛かったけど、悲しかったけど、忙しくて眠くて自信がなくて逃げたくて、好きで大好きで嫌いで振り向いてもらえなくて、もうやめてしまおうと思ったこともあったけれど、でも今日、同じ肩書で、同じ人たちと、また今日も会えてよかったな、と思う。
まだなにも形にしてない。なにも形になってない。
でも、たくさんの人が歩く場所は、道になる。
足跡が重なれば、いつかそれは私の進む方向を指してくれる指針になる。
道なき道を行くんじゃない。道はきっと、ずっと前からあったんだ。悲しいことがあったときに、本を開けば過去のひとがすべてそれを乗り越えてきたように、私たちはいつも何かを繰り返しているように、道もきっと、新しいことはない。だれかが昔、通った道を、けれど今はすこし落ち葉で覆われてしまっているそれを、私たちはみつけて、「ほらここに道があった」と言うだけで。
***
まだ道の途中だからモヤモヤはしているのだけれど、私にとって「灯台もと暮らし」とは、生き方の実験であり、大好きな人たちとの遊び場であり、誰かと出会うために真剣に何かと向き合ってみる、初めての場所なのかもしれません。
その意味では、何をやるかじゃない。誰とやるか。
地域暮らしがしたかったわけじゃない。
伝統工芸に興味がそこまであったわけじゃない。
移住に、食に、女性の仕事に、これからの生き方。
決して今目の前にある大切なことたちを、初めから志してきたわけじゃない。
けれど、巡り巡って、きっと最短距離で、私は私の夢に近付く。
それを肌に感じた瞬間が、この2年間で、いくつもあった。
「早く行きたいなら1人で行け。遠くに行きたいならみんなで行け」
どこかでいつも、聞く言葉。
私はいつも自分のために生きてしまう私利私欲の人間だけれど、でも「誰かと一緒に」がいつか誰かのためになる。ことはあるのかもしれない。
「灯台もと暗し」
身近にあることは、かえって気が付きづらいということを差すことば。
「暗し」をライフの「暮らし」に変えて、4人で、5人で作ってきたメディア。
どこにいても、光が誰かを照らすように。
進む道を、遠くの海でずっと静かに照らし続けてくれるように。
「灯台もと暮らし」というメディアを、つくっています。
結婚していても、世界一周に行っても、私はずっと、きっと、この人たちと関わっていくのだと、(たぶん)思う。
いえ、「関わっていきたい」と、合理性を無視した頭で、思う。
※合理性を追求した暁には、離れる回答が正解である、おそらく
何をやるかではなく、誰とやるか。
もしかしたら、私にとっても大切だったのかもしれない。
家族と、恋人と、そしてもうひとつ。
友だちかもしれないし、職場かもしれないし、その境界線を超えたひとたちかもしれないけれど、3つの居場所があると、人はバランスが取りやすいのかもしれません。三角形が、とても安定するように。
その先に見える景色は、何色だろう。新しい色よりも、今まで見えていたコトがより鮮やかに、解像度を増して見える世界かもしれない。
***
そういえば、「灯台もと暮らし」を始めると決めた理由のひとつに、「また明日」があった。
「また明日」と言える関係で、いたかった。
明日も会う理由が、ほしかった。
そう思える人たちと、今日も一緒にいられたことだけで、もしかしたら私はとても、幸せなのかもしれません。
■灯台もと暮らし motokurashi.com
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。