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恋と、誰かのために生きてみたいという気持ち【オーストラリア・ケアンズ→ゴールドコースト】

ふわりと飛行機が、陸から浮く。今年はもう何回、飛行機に乗っただろう。船も、飛行機も、新幹線も、移動させてくれるものたちは、全部すき。

ケアンズからゴールドコーストまでは、2時間と少し。ちょっと隣町まで、という気持ちで移動したのに、東京から福岡よりも遠いのだから、オーストラリアというのは恐ろしい。

私は最近の旅は、1週間、長くても2週間足らずでひとつの街から動いてしまっているのだけれど、オーストラリアの行きたい場所全部を巡ったら、きっと半年くらいかかるんだろうな、と思う。

やっぱり今回の旅は、前回の長い旅とはすべてが違っているようだった。何が? そうね、ことばにするのは少し躊躇われるのだけれど、たとえば言葉の壁とか、人との距離感のとり方だとか、宿のとり方、ごはんの食べ方などすべて。何より一番違うのは、私の心の持ちようかしら。

なぜそんなに強いの、とたまに問われるけれど、違うの私、離婚したことをもう辛いと思ってないの。もちろんまだ、噛み砕かなればいけないことや溶かさないといけないことは、私の中に残っているのだとは思う。けれどもうそれは自覚的では全然ないし、それよりもいまは。

***

飛行機が離陸して、私はすこし眠っていたみたいだった。目を覚ますと、窓の外には真っ青な空と、グレート・バリア・リーフの海が広がってた。

すきなひとができたら、この海を一緒にヘリコプターとかに乗って、上から見てみたいと思っていた。なんだそうか、ケアンズからゴールドコーストへ行く昼間の便に乗ってしまえば、同じような景色が見られるのか。

寝ても覚めても私は海外の空の下にいて。日本に帰ってもいいし、帰らなくてもいい。どこへ行ってもいいし、行かなくてもいい。

…なんて自由なんだろう。しかも私は、今日本に帰ったところで家がない(何度文字にしても衝撃だ)。

青も白も、水色も緑も光って見えた。海と砂浜がマーブルになって、まるでそこにあるのが嘘みたいに、佇んでた。目を覚ました瞬間、きれいすぎる、と思って、「ねぇここは、すごくきれいよ」と、あなたに思わず話しかけたくなる。

きれいだったり、美味しかったり、何か心動くものを見た時に、ねぇねえ、と言いたい。

海と空の境目がなくなりそうなグレート・バリア・リーフの上空。世界の広さとたのしさ、切なさ、美しさ、偶然の出会い。どんどん気持ちがシンプルになっていくのを感じていた。

私はたぶん、このきれいな世界の中を飛び回ることをすこしやめて、引き止めてくれるひとが現れるのを待っている。

人生でどうしても、どうしても行きたい国の土を踏むまで、あと10カ国くらいを切った。

旅は、行けばいいということではない。むしろ行けば行くほど、その土地のことが分からなくなる。だから行くことだけがすべてでは本当にないのだけれど。

私はそれらの国を行ったあとに、やっぱり何を思うんだろう。

書くことと、撮ること。旅をすることと、恋をすること。

世界はすきなことだけで溢れていて、私はそれを支えてくれるひとたちに会えて。なんかもう、しばらくはこのまま生きていたいのですがよいでしょうか、と今は思う。

自分が満たされると今度は誰かのために生きたいと思い始めるという話は、本当なのだな、と気が付く高度1万メートルの空の上。


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