心持ちひとつで、曇り空さくらに変わり。

今となっては、「東京は晴れていたのかどうか」それすら思い出せなかった。「傘は持って出なかったから、雨は降っていなかったはず」。

けれど空が晴れ渡っていたのかどうかとか、それとも真っ白でグレーな曇り空だったのかとか、隣に座っていた人が笑っていたのかどうか、とか。

なんだかそういった、些細な出来事。けれど普通に毎日を営んでいれば目にするような、通常であれば多少なり記憶に残していると思われるような。そういった自分の身の回りの諸々のことを、まったくよく思い出せない気持ちだった。

覚えているのは、急ぎ足で都心の県境を越えたこと。青白く光る画面を見つめる向こうに、スカイツリーのような、江戸川のような、何かしらの水の流れの面影を視界に入れたこと。寒かったのか、ちょっと厚着だなと思ったのかとか、そんなこともあんまり覚えていなかった。

ただ、季節だけは、冬と春の境目に立っていると知っていた。春を、もっと言えば大好きな夏を。心の底からずっとずっと、私は待っているから。

季節を追いかけて生きてゆくことが、もしかしたら一生はできないのかもしれない、本当はしたくないのかもしれない。あれ?私は何を求めているのかしら、今まで何をしてきたのかしら、そしてこれから何処へ向かってゆくのかしら……?というような、思春期の螺旋の恋の悩みのように、ぐるりと、自分の立ち居振る舞いを。振り返らなければ、けれど同時に、どこかへと向かってまた歩き出さねばなければ、というような大切な岐路に。立っているような心持ち。

この数ヶ月、持ち続けて、けれど見ないふりをして、目の前のことに一生懸命向き合ってきたからこそ。

大きな大きな、変化のあった半年間だった。とやっと、首を少しだけ後ろに向けられる日がきそうな予感もしていた。きっと、近い日に。もしかしたら、今、もう。その日が。

と思いながら走る、ある日の昼下がり。もう何度目だろう、この気持ち。

***

つい数時間前のことなのに、新幹線に乗り込んだときのことは、すでに意識のそと遠く。窓の外流れる景色変わってゆくたび、自分の心少しずつ落ち着いてゆくのが分かる。どうしていつも、移動することでしか何かを安定させられないのだろう?

高崎に到着する頃、私は手持ちのWiMAXがまったく働いてくれないことや、新幹線の自由席が混んでいること。あとは自分の選択がギリギリすぎて、指定席が全然予約できなかったこととか、温かいお茶を買い忘れてしまったこととか、もうそんな、取るに足りない色々なことに、なんだかイライラしそうになってしまっていた。いや濁してはいけない気がする。珍しく、イライラしていた、のだ。

やることはあるのに。考えなければいけないことが溜まっているのに。

狭い。なんでこの新幹線のひとりのスペースは、思考もカラダも狭くするの。と、越後湯沢に近づくたび、どんどん途切れてゆく電波と同じように、気持ちも途切れてもう、あぁ、と思いかけていた。唯一よかったことは、途中上野から乗ってきた夫婦が、席がないために分かれ分かれで座ろうとしていたところに気が付いて、自分が動こう、と違う席に移動して2人に並んでもらったこと。

別にこんなこと、ことさらに意識する必要なんてない。それでも記憶にとどめようとしてしまったということは。

***

「頭のなかがなんだかうるさいな」と、新幹線の窓の外の景色も、自由席の通路にも立ち人が出てしまうくらいの車内をぐるり見渡し、関東を抜けきれない新幹線にふぅ、とため息をつきそうになる。すでに事切れたWiMAXの電波よろしく、私も一旦諦めよう、とパソコンを閉じる。

スマホならまだ電波がある。テザリングで、と試していたけど、「優先順位が違う気がするよ」と自分に言ってあげて、やっとすべての電子機器を身から離す。

すぅー、とひとつ、今度はあたたかな深呼吸。ため息は意識ひとつで、新しい空気を吸い込もうと気持ちを切り替えるだけで、未来へ向けた行為へと、名称を変える。

「なんだか最近、頭のなかがうるさいねぇ?」と、ひとりもう一度繰り返す。

そしてそれは、「至極当然の結果である」と私は思う。いくら検索しても、何かが私を呼ぶ音を待ったとしても、つまるところ、「画面の向こうに答えなんてない」。

目の前通り過ぎることに懸命になりすぎて。けれどこれまでのことも、これからのことも考えなきゃ、と義務のように。すべてを一度に手に入れようとしたって、考えて結論をつかもうとしたって、人生に関しては私そんなに器用ではないのだから。ふぅ、と落ち着いて沈殿させる時間もとりなさい、と目をつぶる。

そう、私、何をそんなに。生き急いで、いるの。もっとあの時は、自由。でいたはず……

***

「空、ひろい……(眼が覚めた)」と、窓の外眺めて灰色にどんより曇る空を見る。高い建物が少なかった。そして、田んぼが広がって、いちばん向こうに稜線が空に絵を描く。

また今日も新潟は曇りだ。まだ中学生だった頃、どうしてこの街はこんなに曇りが多いんだろう、と空を見上げてはため息をついていた。

けれど、晴れていたのか曇っていたのか、もう思い出せないような東京の景色よりも、ここは随分と深呼吸がしやすい街だなと思った。曇っている空は昔よりも光って見えた。縦と横、まっすぐなラインと電子音鳴り響く都会からするり走り去って、曲線と空きスペース溢れる国へきた。ような気がした。

長岡を通り過ぎる時、さきほどの夫婦が「ありがとうございました」と、軽いお辞儀と少しはにかんだような笑顔をくれる。もう忘れそうになっていた。いえ、と軽く会釈を返し、免罪符のように移動中に考えるふわふわした気持ちを、30分後くらいに迫った到着へと向けて整え直す。

そう、新潟に帰ってきても、まだ私は実家にまっすぐとは帰らない。今日はこれからまだもう少し仕事である。空が広いのが、また少し狭くなってきていた。目指すはこの県で一番大きな街、新潟駅だ。

通り過ぎる中越を眺め、ここで暮らすのも悪くなさそうだ、と冗談ではなく本気で思ったりする。きっと私は都会から離れらない。刺激や変化、匿名性をカラダやココロが求める日が遠からずまた来るだろう。全身の細胞が変わるような、何かがなければ、私はきっと生きてゆけない。けれどそれは毎日でなくていい。と30過ぎて、知る。

どうしよう、迷うなぁ。選択肢の出揃った状況を前に、何も決めきれずに進めなくてただ時計の針だけ進めていくみたいな時間を過ごしてしまったときは、結局自分の心を知らないのだ。

24時間真剣に物事を考え続けることは常人にはできないし、少なくとも私はもうそれにチャレンジしなくていい。20代も30代のさいしょの後半戦も、すでになかなか走ったでしょう。

「頭の中が、うるさいなぁ」その気持ちは、自然と消えてゆきそうだった。疲れた時は、目を閉じて、息をして、一度眠ったほうがいい。仕事や慣れない悩みで寝不足だった、不安だった心を開く。雪がとけてゆく、東京よりも、北にある街、見ながら。とけてゆく、私の何か。

狭いなぁと感じた新幹線の席。帰り道にはまた広く感じられて。物事は、表裏一体だ。真実なんて何ひとつない。さぁ狭い発想抜けて。「見晴らしの良い場所に立ちなさい」と、心風吹き抜ける、春。目指す3月。


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伊佐 知美

ともみの部屋 #2

伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年10月〜
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