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夏と冬と春と秋と、めぐる季節の最後に逢えてよかった。また来年

ひらひら、雪が舞うのを久しぶりにこの目で見た。北海道、福島、新潟。この12月は北国ばっかりだ。

夏を愛している、愛していると思っていた。よく晴れた、気持ちの良い突き抜けるような空と海の景色が大好きだった。海沿いで暮らしたことが、まだないからかもしれない。だからこんなにも、憧れてしまうのかもしれないなぁって。

けれど「降り積もる雪も美しいな」と、結構本気で思えるようになったのが今年だった。大人になったのだろうか。それとも、2018年の半分くらいは夏の国で過ごしていたから、「たまにはいい」くらいの気持ち、なのだろうか。

完全に、時間と心に余裕を持つことを、意識して過ごした1年だった。年が明けたその日は、たしか島根県にいた。目が覚めたらどこにいるのか分からなくなってしまう、そんな根無し草みたいな旅人の毎日に少し嫌気がさして。

多分寂しかったんだと想う。一人が、というよりも、「世界の何処へでも行けてしまう」ということが。何を言っているのか、分からないと思うけれど。だってそれは、私がその昔からずうっと、ずうっと望んできたことだ。

自由が360度続きすぎることは、人を少しだけ切なくさせる。

「しっかり暮らそう」。そう思って、けれど一人で住むことにはまだ恐怖があって、私は友人らと一緒に世田谷の一軒家を借りる。それが後の「#えいとびたー」だ。

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ふらり、ひらりと窓の外、雪が舞う。溶けて消えて、けれど確実に「冷え固まって」それはいつか「真白い世界」を創り上げる。

私もそうだったのだろうか。雨降って、地固まる。

そして「もう一段上がりたい」と考える。手を動かさなければ、誰も引っ張り上げてはくれない「今」。一歩踏み出せば、人生は3年あれば、変わると知っているからこそ。波が来るときは、来るのだ。であればできるだけ、高く美しい波に乗りたい、次も。

もう、遠くまでは行けなくていいから。その力はもう、手に入れた。

大切な人を、大切にしたい。「生きること」のすべては、日々にある。

誰かの余暇に入り込みたい。苦しくて、なんだかやりきれなくて、でも何かに寄り添って欲しかったり、心を苦しめない湖面のような時間を過ごしたい時に、心だけでもトリップできるような文章を紡ぎたい。

きっと私が、そういう瞬間を多く過ごしたことがあるからだと思う。人生は、刺激に満ちたものだけでは、過ごしきれない。そういった時間が必要な時期は、たしかにあるのだけれど。

「誰か」の顔が浮かぶようになって、よかった。「あなた」の時間を満たしたいと思える。ねぇみんな、幸せになって。私も私で、またきっとこれからも、進んでゆくから。いつかの未来で、またすぐに。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。