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空から見る東京の海の青さ、寄る港、仮からの脱却【日本・東京→北海道】

離陸してから機体が傾いて、雲と同じ目線で世界がすこし揺らぐ様を、私はきれいだな、と思いながら東京の空を飛ぶ。青い空と雲が交じる世界に、グレーの翼やけむりをあげる工場、たくさんの人が暮らす家が理路整然と並ぶ場所。私が帰ってきた街。

東京の海を青いと感じたのは、もしかしたら初めてのことだったかもしれない。ふわり、今まで心奪われてきた海を思い出す。オーストラリアのバイロンベイ、ロットネスト、ひとり向かったスペインのシッチェスの波の音。

思い出がありすぎて、まだこれからしばらくの人生で訪れることはないであろう水辺の街が、こんなにも増えてしまうとは思わなかった。いつだって過去は要らない部分が削ぎ落とされて、きれいに光って残るもの。

たくさんの営みをひょいと大きく乗り越えるとき、私はこの街でもう一度暮らすのだろうか?と思いを馳せる。500日以上の長いながい時間を、私はすべて「(仮)」のままで過ごしてきた。

人生あんまり思いつめずに、なんだって(仮)というつもりでいればいいんじゃないか?とやさしく言ってくれたのは、紫原明子さんだったように思う。

行くかもしれない
帰るかもしれない
戻るかもしれないし、また何処かへ行くかもしれない

可能性と選択肢を増やして弄ぶことを愉しんで、愉しんだ結果の今ジャスト。自由を手に入れた結果、すこしの制約がより人生を彩ると気がつくなんて、なんだか歩むということは皮肉なものだ。

そんなことは出る前から知っていたから、私は街を見ながらどうしようかなぁ、と原稿を書く。とにかく書いて書いて、なにかを作って前に進むのが好きだった。歩いても歩いてもたどり着く先がいったんの日本なら、一度とどまって根を張るほうがよっぽどいい。


港がほしいのだ、と停まる船舶を見て思い付く。寄り付く港、チャージ、帰る街。であればすべてはこの街にあった。うーん、人生っておもしろい。まるで螺旋。同じ場所を歩いているようで、昔の道は遠く下方。きっと景色も、時間とともに美しくなっていくはずだと信じてる。

(仮)を「確定」に変えるときが来ているぞ、と思っている。潜って黙って、沈んでもう一度跳ぶために。吸収するものも、この五感で感じたいことも、軒並み叶えた。

ライターになりたい、編集がしてみたい、雑誌に携わりたい、メディアをつくりたい、写真が撮りたい、旅がしたい、仲間がほしい、お金も安定させたい。ふらりふらり、それでも夢の奥にしまっておいた、「言葉は国を超えない」という夢すら、叶えることができそうな今。書籍が私と海を、超えてくれる、これからは。

私も独り立ちせねばならぬ、と思ったりする。これからも背中を預けて、手をつないでもう少し遠くまで行くために。であればやっぱり、確定からの港をつくり、深く潜って文字を紡いで、見てきた世界をぎゅっとつかんで、世の中に提示する作業が必要である、と。もう次にするべきことは、分かっていた。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。