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泣けるほど幸せな3ヶ月間。私この為に生きてきたって胸張って言える。

楽しかった。幸せだった。毎日泣きそうに美しかった。頭の中で30年間、いやそれは言いすぎかもしれない、けれどずっとずっと描いていた世界の夢に、私は一歩も二歩も近付いて、毎日まいにち、今日もありがとうって思いながら過ごしてた。

海の向こうにどんな景色があるか知りたかった。夏のクロアチアの海は、夏の北欧は、曇った日のロンドンは、原チャリで駆け抜けるミャンマーの遺跡と土の色は。

旅をするために生きてきた。と本当に思っていた。働きながら旅をする。そんなことができるのか、やれるのか、そして膨大なコストと時間をかけてやり遂げるのか、周りはみんな、どっちだってよかったと思う。

でも私だけは、どうしてもそれをやりたかった。だってそれが、私が人生で一番やりたいことだったから。

素敵な家に住む、おしゃれな格好をする、流行を追いかける、たっかいごはんを恋人と食べる。どれも私は大好きだけど、でもうっすいワンピースとやっすいサンダルを履いて、今日も明日も、気が向くままに地球儀を回して旅駆ける、そんな日々が過ごしたかった。

世界は泣きたいほど美しかった。旅は想像以上に難しかった。忙しかった。楽しかった。

今日はどこへ行こうかな、明日は何をしようかな。毎日まいにち、その日1日をどうやって最高に過ごすかの一点しか考えなかった。

旅、文章、カメラ。次いでカフェ、食べ物、コスメ、雑貨。好きなものにしか囲まれなくて、嫌なことがあるとすれば「締め切りに追われる」くらいのもので、その締め切りだって私が夢見た「旅×仕事」の範疇に含まれていて、「どいつもこいつも締め切りを催促してばっかりか!」と社内のだれかに愚痴ったって、私はその愚痴を言うことさえも、やっぱり夢の中で描いていたのだ。

あぁ楽しい。あぁ幸せだった。しかもまだ終わらない。私はまだ、夢のさなかだ。いっとき日本に帰るけれど、通常営業に戻る日はまだまだ先だし、なんとなく今の気持ちは、世界を一周するという宣言を終えたとしても、なにか私は旅を続けるんじゃないかみたいな、そんな予感でいっぱいだ。

マレーシアで出会ったひとが、助けてもらってばかりの私に言った言葉。「あなたが今受けた恩を、私に返そうとしないで。次に出会ったひとに、返しなさい」。分かった私も、そうやって次のひとに愛を渡せるひとになる。

スウェーデンで出会ったひとが、青く輝く森と空の下で、笑いながら言ったのだ。「私たちはまだ長い旅の途中。日常だとトラブルってイライラするけれど、旅だと伊佐さんも楽しいでしょう? それと同じで、最初にスウェーデンに着いた日から変わらず私たちはまだまだ旅の中。だから困ることってそんなにないの」。そうか、それって別に、日本に帰ってからも一緒じゃないか。要は気持ちの持ちよう次第で。

フィンランドで出会ったドイツ人の女性は、「これからもっと場所や時間にとらわれずに働きたいと願うひとが増えると思う。事実、ドイツでは本当に増えていて、私だってそれを願ってここにいるのよ」と夕陽の中で語っていた。私もそう思ってここへ来た。「会社なんて燃えてしまえばいい」「月曜日が早く過ぎ去って、早く週末になればいい」と祈っていたあの頃の自分が嫌で。

たしかにiPhoneはパクられた。国際病院にだって駆け込んだ。ロストバゲージも体験したし、バスの予約は間違えるし、海を越えるフェリーに乗り遅れだってした。タイやクロアチアの階段ではひとりですっころんで傷を作ったりもしたのだ(バカか)。

でもそれだけだ。別に何もトラブルはなかった。

私は街の中で奏でられる音楽が大好きだったし、北欧の街のあちらこちらで焼かれるシナモンロールが大好きだったし、知らない街に着いたらまず最初に一番高い丘か塔に登りたくなったし、人気のカフェがあると聞けばそこへ行きたくなった。Airbnbという今や当たり前になったツールを使って、現地のひとの家に入り込んで、けれど日中は誰もいなくなって、「私知らないひとの家で何やってんだ」って状態になることも多かったけれど、毎日は刺激に満ちていて、輝いていて、時折ざーざー雨が降ったりしていた。

「旅先でひとりで何を考えているの」とこないだ聞かれた。考えることは多いけれど、強いて言えばそれは「これからの私の暮らし」で、「このまま旅を続けるためには私は何が必要なのだろう」と思ったり、「生きていくためにはやっぱりリビングとキッチンが必要だな」と思ったり、「物が置ける幸せと定住」について考えたりした。

ライター・編集という肩書は大好きだけど、これからはやっぱりカメラマンとかエッセイストっていう言葉も似合う大人になりたい。

一拠点で暮らしていくイメージは今のところは持てなくて、二拠点、三拠点で誰かと暮らして、近い将来子どもを持つには、私にはいま何が足りないだろう? と考えたり。

マレーシアから15カ国。駆け抜けるように旅した3ヶ月は、知らない音に囲まれたり、チェーン店に入ったらどの国でも同じヒットチャートが流れていたりした。世界は違うところもたくさんあるし、同じこともたくさんあった。

変わらないのは私が私だというだけで、その私だって今からでもいくらでも変わることができるのだ。

今は日本に帰るのが嫌だった。けれど「成田空港まで迎えに行くね」と言われた瞬間、「うん帰る」と素直に思った。そうだ私には、待ってくれているひとと帰るべき場所があったのだ。

だから遠くまで行けるのだ、とそうだ私はラオスで思った。会社のひとだって、「てめぇ何言ってやがる帰ってきて真面目に働け!」とこのnoteを読んで思うかもしれない。

人生、どこへ向かうのかはまだ知らない。だって私はどこへでも行けるのだ。あなただって、意思と時間さえあればきっと今からどこへだって行ける。人生は、いつだって今この瞬間が、残りの人生の中で一番若い。

あぁ楽しい20代だった。あぁ美しくて忙しい20代最後の3ヶ月間だった。

ありがとう、旅に出させてくれたひとたち。おもしろおかしく見守ってくれたひとたち。「日々感謝ですよ」とことりっぷの平山さんにスウェーデンで会った時に伝えたら、「まるでラッパーですね、日々感謝Yeah」と返された。

……。

余談だけど、フィンランドからエストニアに向かう途中、どこの国のひとか知らないけれど、「うんうん、へぇ」みたいな言葉の相槌が「ヨゥ」「ヨゥヨゥ」であるらしいひとがいて、「ヨゥ」やら「ヘイヘイ(スウェーデンの挨拶」「モイモイ(フィンランドの挨拶)」が船にはなんだか溢れていて、言葉のテンションの割にみんな陽気な感じだな、となんだかおかしくなった。

「夢はいつか叶う」とか「誰にだってできる」とかそんな安直なことは言いたくない。「絶対」なんて口が裂けても言いたくない。けれど、叶うことはあるのだ。時間をかけて、自分がそれに向かっていれば。

「伊佐ってやつがこんなに好き勝手に生きているなら、ぼくも、私ももうちょっとくらい好きなことに手を付けて生きていってもいいんじゃないか」と思ってもらえたら割とうれしい。

さて私は、次はどこへ向かおう? フィンランドの旅を終えたら、次にどの大陸へ行くかはじつはまだ決めていない。けれどたしかに旅は続くのだ。あと数日で、第1回目の旅の幕を下ろすだけで。

さーてさよなら20代、こんにちは、30代!

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