何者かになりたい
ずっと思っていたことがあって、「何者かになりたい」。
ライターになりたい、編集の仕事がしたい、出版社に入りたい。肩書は追えども追えども手に入らなくて、ライターという肩書を手に入れたときは浮かれたけれど、それだけでは私は何も変わっていないことに気がつく瞬間。
私が変わるためにはやっぱり私を変えなくちゃいけなくて、名刺を変えただけでは特に何が変化するわけでもなかった。
けれど私が変わるためにはまずは環境を変えることが必要で、それをひとは「一歩踏み出す」とか「何かを始める」とかそういったことばで表現する。
私の場合は結婚をして、それまでの仕事を辞めて、新しく何かを受け入れる土壌を作ったことが大きかったと思っている。
何かを始めるためには何かを手放さなくてはいけなくて、
けれど手放しただけでは何も掴みきれないことも同時に知る。
私は今でも何者かになりたいと思っていて、それは肩書とは関係のない場所で育てなければいけないものだと思っている。
私はライター・編集者という肩書と編集長という役職の名刺をいまも持って世界を旅しているけれど、いまは逆にそれ以上の何者にもなれなくて、私は一体何がしたいんだっけかと逆に道に迷いそうになっている。
肩書は「花屋になりたい」と昔願った空想のように実態がなくて、私がいま「スーパーマジックミュージシャンです」みたいに名乗ったら、私はそれになれるのだろうか。
何者かになりたい、何者にもなれない、私は私でしかいられない。
目の前にあることをひとつひとつ終わらせていくことが「何者かになるための唯一のパスポート」だと分かっていても、頭は空想の世界で何者かになることを夢見て止まらない。
何者かになりたい、何者にもなりきれていない。あと10日で30歳、私、これから何をして生きてゆこう。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。