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「ずっと」なんてないのだから、という最高の希望 【日本・東京】

流れ落ちることばを拾い集められるのは、旅先でだけなのかもしれない、と私は気づく。いえ日常の中にも言葉はあふれる。けれど私はどうしても、どうしてもこの街では、走り去るたくさんの車両の気配に、吹きすさぶ悲しいコンクリートの音色に、私の心の機微を、委ねることができない。

たくさんの大切なものがある街だと知った。「これからの人生どうやって生きよう」と考えたとき、東京というこの土地なくしては、しばらくは語れないだろうと自覚した。捨てたくないのだ。私は、日本を、そしてこの東京を。だってあなたたちがいるから。まだ私は、会いたいから。

けれど「これがすべてではないはずだ」と、それはまったく別の次元において、小さくけれどしっかりと、声を響かせ続けていた。「ここからまた始めるの」と、まるでそう、静かだけれど強い口調で、自分に言い聞かせるかのように。

拠点を置くことを、ずっとずっと前から決めていた。けれど最後の最後の最後の、さいごで。私はまだ迷っていたかったのだと思う。

「本当にそれでいいの?」

ゆらゆらふわふわ、もう誰にも止められなくなるくらい、地球を旅してきたと、いうのに。ね。

ひとりで決めるしかないのだと思っていた。けれどもう4年走った。5年目の背中まではあと3センチ。もう今年からは、「頼りたい」と、「もたれかかってもいいですか」と、私は多くの指先に触れながら、想う。

それはもはや、願いに近かったのではないか。または、「蓄積しなければ、もうこれ以上遠くへは行けない」と深く知ったのだとも。

***

もっと単純に生きられたらば楽なのに、と、誰よりも薄い思考で生きていると見られているだろう、私は、心の底で、思っている。

嘘がつけない。違和感を見逃したくない。目をつぶりたくない。世界はそれでも美しいから、いつだってきれいだから、それに私は、正面から対峙する姿勢でいたい。夜遅く光ない空間に、ふたり涙流す日が続いたとしても。

きっとまた、もう一度長い旅に出るような気がしていた。けれどそれは、「帰ってくる」旅になる予感もあった。鉄砲玉のように、「飛び出して帰ってこないかもしれない」恐れは私の中にはもうなかった。

そしてそれが、また危うさを呼ぶ気もしていた。「そういう覚悟を決めたときが、毎日が終わるときだ」と、これまでの学習は、言う。

ずっと晴れていたはずの空が、どうしてだか数日曇り顔を見せていた。「ずっと」なんてないのだから、であれば「今日」を精一杯生きたらいいのに、と変わらず私は刹那を過ごしていた。

その理由は、どこまでも逆説的ではあるけれど、「できることならばこれからの未来を、刹那ではないもので彩ってゆきたいと思っているから」、なのだけれども。

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