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ターコイズブルーが導く先、回想の部屋【日本・新潟】

たくさんの思い出が詰まった部屋をぐるり、夕陽のなかで見渡した時に「あぁ、私はこの家に長く住んでいたんだな」と当たり前のことを思う。

実家の話。

懐かしい匂いのする通りをふらり歩いたり、その道の向こうに記憶の中の君を見たり。本当に実物だったりするから、地元はたのしい。久しぶり、と声を交わす。

私は幼少期に何度か引っ越しを繰り返した。最初の小学校は、東京の田無だった。今は西東京と名前を変えてしまったらしいけれども。

今の私の身長の、半分くらいしかない「小さな私」は、その塀をすごく高いものとして見上げていた。一緒にいる弟の手前、軽々と登ってみせたかったけれど、結局ふたりとも美しくは登れなかった記憶が、なぜか今も鮮明に残る。その時に咲いていたツツジの花がとても美しかったことも、どうしてだか一緒に思い出す。

中国の上海を経て、新潟に戻り、4つ目の小学校を卒業して、私は毎年きれいな花火を打ち上げる、この長岡の地で青春時代を過ごすことになる。詰まるところ、教室がすべてでしかない現実がいやで悔しくて、私はここ以外でだって生きていけるもの、と強がっていた15歳の私。いやね、もう。

横浜の大学に行くの、と実家を出て、そうだきっと田無が近い、と19歳のときに昔の住処をひとり訪れたことがある。住所を聞いて、何かしらの地図を片手に。あのときだっていつだって、私はいつも道に迷っている。

「引っ越すのよ」と聞いたあの幼いときその瞬間、そして「転校ってなんだろう?」とひとり宇宙を空想するように考えた、日本を発つ前日のホテルの部屋の風景をまだ覚えている。

とにかく「遠くへ行くんだ」ということだけ、知っていた。「しばらく日本へは戻ってこられないんだろう」とも。そして私は、海の向こうに知らない世界があることを知る。

あの頃の私、田無のその塀に登り「きっといつかまた戻ってくる」と誰にでもなく約束していた。

「戻ってきたよ」と言ってみたところで、過ぎた時間の何が埋まるのかなんて、私は全然知らなかった。「旅はなぞってはいけない」という。過去の思い出を、ひたすら美しくする作業なんて、人生には要らないのかな。

***

今はもう履かれなくなった過去の靴を見ていたら、私のことをいろいろな場所へ連れて行ってくれた過去が、いつの間にかひとりでに歩きだす。

「明日東京に着いたら、新しいヒールの靴を買おうかな」といつもみたいに急に思い付く。ピンヒールははかない、と私はまだ決められない。けれど昔よりも、フラットな靴を愛せるようになってはいる。大人になったものだ。

足の爪の先に、スペイン・バルセロナの街中で急に気が向いて購入した、鮮やかなターコイズブルーのマニキュアを塗る。帰国してから、もうずっとこの色だ。色が好きなこともあるし、持ちがよいところも気に入っているし、けれど私はまだどこかで「海外」を身に着けていたいんだろう。

いつもいつも、私を遠くへ連れて行ってくれる、最初の一歩。ターコイズブルーが導く、その先。

「さぁまた、私の東京ライフが始まるよ」と、お気に入りの白いスーツケースに荷物を詰め始める。随分と、持ち物が減ったものだ。持ち歩かなければいけないほど大切なことは、じつは人生にはほとんどない。

「会いに行く」ときの方がよっぽど重要だ。この家みたいに、思い出を詰めて待ってくれている存在があることが、ほんとにほんとに、大前提なんだけれど。

今日はそんな、急にふわりと記憶に舞い戻ってきた、すこしだけ過去の話。でした。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。