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ひとりの時間。故郷と美化、哀愁と雪景色の連想アソビ

雪の降る地元の景色を、キレイだと思うようになったのはいつの頃からだろう。小さい頃は、雪はキレイなものではなく、楽しくて仕方がないものだった。

私の生まれた場所は新潟県の刈羽村という父の実家のある土地なのだけれど、転勤の多かった父の都合で、その頃私たち一家は北海道の札幌市に住んでいた。ので、暮らした記憶はそこにはない。

後に物心がついて訪れて、「あなたをお風呂にいれてあげたのよ」と言ってくれるおばあちゃんの笑顔を見るたび、あぁ私はここでたくさん遊んだのだ。

と鮮やかな記憶が蘇ってくるような心持ちがする、という程度の話。(私は刈羽を愛しているけれど)

だからといって札幌の記憶が色濃いわけではない。幼稚園の頃には東京に引っ越していたから、私が北海道の雪まつりの記憶や、小樽の悠々と流れる運河、今でも交流のある友だち一家と共に北海道の東部一周車の旅に出た記憶があるということは、ない。

これも後に彼らと新潟県の長岡市に引っ越した際に再会して、大きなバンで共に過ごした記憶を、艶やかに塗りつぶしていっただけ。

ということで、私の中の最初の雪の記憶は、東京を経て、中国の上海へ行き、小学校の高学年になって両親の実家のある新潟、もとい父の本社のある長岡市に戻るということが決まった、最初の冬に湯沢で見上げた空だった。

小さな会社の保養所(と呼ばれるであろうことが、今なら私にもわかる)。窓を開けると目の前は信じられないくらいの雪景色だった。多分小さな庭だったのだろうけれど……。

当然湯沢にワープで来られるわけがないので、私はおそらく父と母と、そして弟と一緒に新幹線なのか、自家用車なのかとにかく何かしらの移動手段で湯沢まできたわけで......。

ということは至極当然に部屋に着くまでに雪景色は見ていたはずなのだけれど、でもともかく私の雪の記憶は、弟と一緒にかけ出して、足を踏み出せばすっぽりと膝くらいまでは軽く埋まってしまいそうな、温泉街のまっさらな庭に積もる雪に体をうずめて、ぼた雪と呼ばれる質量のある私のとても好きな雪が、新潟の空から私の目元に舞い降りてくる様だった。

小さな体、小さな腕に、みるみるうちに降り積もる雪。ぼた雪は積もりやすいから、じっとしているだけで、私と弟のスノーウェアは白く染まる。

なんて美しいエピソードはどうせ私の記憶があとから加工して、フィルタをかけて、よくわからないエフェクトをくりかえした結果まとめあげられてしまった光景だろうと思われるので、とりあえず今はこのへんで記憶の再発掘はやめたい。

つまり、ええと、私は先日、現在の実家がある新潟県の見附市、という街から、オフィスのある上野駅まで、1時間と40分ほどの時間をかけて、上越新幹線で向かっていた。(ちなみに直通だから便利だ)

そのときに窓の外を流れる雪の景色に、それが例え収穫の終わった物悲しい茶色とグレーと黒の北国の風景に白を混ぜただけのものだったとしても、暖冬の影響で地面がまだ禿げ上がって顔を出してしまっていたとしても、あぁとてもキレイだ、と思ったのだ。

この気持ちはなんなんだろう、と思った。

キレイだ、と思う心と裏腹に、何か偽善的な後ろめたさのような、そこまで強くなくても胸のざわめきのようなもの。

大切ななにかを見過ごして見ないふりをして、フタをしてハイパタリ。

私の周りではなにも起こらなかった、いまも起こっていないですよ、というポーズをどこかの誰かのためにしてしまっているような、そんな気持ち。

めんどくさいなぁ。キレイなものは、ただ綺麗だと思っておけばいいのに。

けれど私は、哀愁に似た、どこか引っかかるこの感覚を、つい最近実家に帰ったときも感じたので、というよりもしばらく前から感じてしまっていたので、自覚したくて、ことばにしたくて、探してみようとやっと思った。のだ。

***

ここまでつらつらと書いてしまってなんだか恐縮なのだけれど、つまり私は、「部外者として」今の地元の雪の景色をキレイだ、と思ってしまっているのだ。

と心のどこかで気が付いている、ということ。

私はこの街の雪の量を本当の意味で、今日明日の降り具合という意味ではなくて、今冬、というスパンの意味で熟慮する必要はないし、ましてや昨年と来年、比較の対象や、その影響でこの街がどうなるのかといった憂慮、

雪が降ったからといって雪かきや雪下ろしの責務が発生するわけでもない、雪だるまを作ってはしゃぐでもない、かまくらなんかもうしばらく人生では作らないんじゃないか、あぁそういえばスノーボードだってここ数年行っていない、という

あぁつまりは私は、この街の傍観者で、もっと言えばやっぱり部外者なんだ。と。

私が横浜という略して東京に出て行ったのは、世間一般の例に漏れず、私が19歳になる年だった。

今年で私は30歳になる。「今は」29歳、と言おうとしたけれど、ここで1歳減らしたところで大勢に影響はナイ。ただし私が2016年1月現在としては、まだ29歳なことは申し添えておきたい、と思っていることだけは強調したい。

うるさいので次。

そうつまり私は、もう11年ほどを東京という怪都市で過ごしてしまったんだ。

雪のない街。雪が降ると、その街の姿と機能が少しだけ変わってしまう街。

そこは当然ながら長岡市ではない。いくら私が長岡が、実家の見附が好きだと言っても、それは正確には極部的には両親を愛しているということと同義であって、私はその土地自体に熱視線を注いでいるわけではないのだ。

19歳のときに半ば脱出する、冒険のはじまりのような心で乗った新幹線の車窓から見た故郷の景色は、今の私が見るようにキレイだったのだろうか。同じ雪景色を見て、同じ気持ちでキレイだ、と言えたのだろうか。

否。

人の心は変わってしまうとか、心持ち次第で世界の見え方なんて変わってしまうとか、そうしたセンチメンタルで情緒的な意見を飛び越えて、これは真理なのかもしれないと私は思う。少なくとも、私にとっては紛れも無い事実だ。

私の生きる場所は、今はもう、新潟ではないのだろう。

だってもう、11年目を迎えるまでに、私は東京という街の電車を乗り継ぎ、乗ったことがない沿線はないと言いはるほどに、ゆらりずぶりと根を張って、この街のネオンに照らされて少し成長してしまった部分があるのだから。

身長は伸びたかしら。体重も増えたかしら。私自身は、少し変わってしまったかしら。

そんな黒い部分を持ってしまったであろう私が、東京という街に置いてきた黒い荷物をすべて東京駅の新幹線の改札に投げ出して、いやきちんと整えて端っこコソっと置いて、そして長岡市に着いて身軽に過ごして、また帰るときに、見る景色。

そりゃあキレイだろう。至極当たり前に、そこはキレイに映るでしょう。

長岡市にいれば、私はあのひとたちの「娘」でいられる。「子ども」でいられる。新幹線代を、あげますよと父が言ってくれるほどには、嫁に出ても、私はまだ娘でいられる余地があるのだ。甘え、うん、甘えたい。たまには、誰かに。

長岡駅の新幹線のホームから少しだけ覗き見える、私の高校生の頃の通学路は、思っていたより短いし、ずっと遠くまで見渡せた。

それが、今なら分かる。少し目線を変えて、意識を変えて、時間の経ったオバサン世代に差し掛かる私なら、分かる。

街は変わる。
人も変わる。

私だって変わる。

それはとても良いことだと思うし、そうあってほしいし、その変化を楽しみきれる私でいたい。

それとは別に、変わってしまうのだということと、その変化と共にあれずに、結果だけを表層的に見るしかない自分。

でも私にとっては、長岡は紛れも無く故郷なのだ。なのに、知らない、知れない、部外者なのだ。

私はそんな気持ちをすべて飲み込んで、知らん振りして、そして窓の外を高速で流れていく、残像を見つめてキレイだなと言う。

目の前の景色の反射がまぶしくて美しいと言わんばかりの角度で、あぁ冬はキレイだ、とひとり思う。

この1年、地域のことを考えすぎだだけでしょうか。生きることを、過ごすことを、暮らすことを、私は見つめ続けて、人に問うてきすぎただけでしょうか。

もうすぐ今の私を待つ、愛すべき上野駅が、見えてくる。いつか私は、上野駅をキレイだと言うようになるのでしょうか。

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