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師走とは、また新しい年を美しく迎えるための、まるで優しい準備のようだ

ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきたのだ。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。――その音にさそわれて僕はギリシャ・イタリアへ長い旅に出る。(村上春樹『遠い太鼓』より)

遠くで、時間の流れ出す音がした。さらり、砂がこぼれ落ちて、もう止まらなくなってしまうような。一度はきちんと涙で固めたのに、時間が経つというのは恐ろしいことね。また同じように、重力だか何かに負けて、コトリ何か塞いでいたものが落ちるように、流れ出したら多分もうきっと止まらない。

から、きちんとせき止めておいたのに。そろそろ外れてしまう気配がした。否、もう外れてしまったからこそ、時間の流れ出す音がしたのだろう。氷が、ゆったりと溶け出すように。

「遠くから太鼓の音が聞こえてきた」とその昔、私が生まれた頃の紀行本で村上春樹さんは書いている。それは一体、何の比喩でしょうね。であれば私の砂の音も、これは一体何だろう。

「そんなもので旅に出ていいのか」と幼心に思ったことを覚えている。

ええとね、今日は冒頭に近いところで一度きちんとことわっておきたいのだけれどね、このnoteは何かを書きたくて書いたのではないの。最近、きちんと文章を指先から流しておかなかったからね、そろそろ書かないと。風が上手く流れない。

今年もたくさん、知らない街を歩いた気がする。と同時に、今年はあまり、旅をしなかったなぁと想う気持ちも私の中にはある。香港やアメリカに始まり、キューバやメキシコ、ペルーやドイツ、ポーランドにハンガリー、トルコにモロッコ。そういえばオーストラリアへも。

訪れた国は多かれど。そういえば「たったひとりで切なく歩いた街」は、よく考えたらハンガリーしかなかったような気がする。あのたった3日間の、トランジットステイ。

何カ国行ったのだとか、どの街が素晴らしかったのだとか、そういえばもう私は、ある程度の満足の域まできて。自由が欲しかったのだ。誰にも止められない、気に病むことのない、あの360度解放感にあふれる刹那の快楽。

#僕たちは旅をすることしかできないけれど  と言いながら、本当にそうだろうか?と感じたり。旅と仕事と暮らしを混ぜて、混ぜて、混ぜて。

そういえば今年は久しぶりに日本に拠点を持った年でもあった。「何よりも日常が美しい」と気づいたのは2016年6月のロンドン。生きる上でリビングとキッチンは必要なのね?と。

「生半可なものには触れなくていいし、つくりたくもない」と綺麗な笑顔で彼女は言う。そうね、と答えながら、最近の私はどうだったでしょうね?と考えたり。

「整える」年だったと、振り返っては想う。これから再び、また遠くへ跳ぶために。比喩ではなく何かの暗示でもなく、思考も感受性も、暮らしも体力も。私はもっと育てなければ。と痛感していた1年であった気がしている。

『マチネの終わりに』は、ギターではなくピアノのBGMを流しながら終日読んだ。「本を読むと世界が増える」と言ったのは本当で、そして私はまた表現の海にそれらを投げる。

初めて訪れたメルボルンの街並みとコーヒーの香りが、しばらく凝り固まっていた悩みをほぐす。もう一生訪れられないかもしれない、と想っていたバイロンベイを仕事で訪れて、変な妄想は一緒に波に流してきた。

日常と非日常の境の行き来を、前よりも簡単にこなしながら、自分を保つ工夫も得た。さて、あと一度本気を出しなさい、と真白いキャンパスに向かい合う覚悟を。


そう、私に足りないのはいつだって覚悟で、数少ない覚悟を決めてきたときに、人生は動いてきた。

写真を、もっと上手く撮れるようになりたい。
やっぱり私は、文章を書いて、生きていく人でありたい。

旅先の美しさと、そこで起こるとんでもない非日常と、そんなことには関係なく淡々と光さす日常を、そこに響いて世界に溶ける笑い声と笑顔を、きちんと喜んでもらえる形で残せる人になりたい。

遠くでさらりと鳴った砂の音は、そういえばもしかしたら、サハラ砂漠の砂のそれだったかもしれない。毎晩、人知れず月や星の光に照らされながら、刻一刻変わっていく粒たちのきらめき。

積もり積もって、姿を変えて、そうしたらまた太陽を待つのだ。

流れ出したら、多分もうきっと止められない。

師走とは、終わりでなくて、また新しい年を美しく迎えるための、まるで優しい準備のようだ。

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