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東南アジア最後の日の夜、私が綴ること【インド・アグラ→デリー】

朝焼けってこんなにきれいだったんだ、とアグラの5:50頃の朝の空を見て思う。雲のない、少し霞んだ空の中。まんまるい、本当に丸い太陽が、ゆらゆらと揺れながら少しずつ昇ってきていた。

空は薄い青。薄いオレンジ、薄いピンク。遠くの空にはいくつかのちぎれ雲があって、刻一刻と変わる太陽の気分を、律儀に反映して美しいグラデーションを見せていた。

太陽に目を戻すと、じりじりとまた位置を変えている最中だった。もう少しこの空を見て、雲と同じように色を変えていくタージマハルを見ていたい衝動に駆られたけれど、今日はもう行かなきゃ。それでも予定より5分遅れだ。

6:45の特急列車に乗るために、5:45にはホテルを出た方がいい、と言うホテルマンが、朝も早くから私のことを心配して、モーニングコール含めて2回も朝電話をくれていた。

今日は朝5時に起きた。バンコクからデリーに初めて向かうときも、朝6時前に起きて飛行機に乗り込んだことを思いだす。

海外の女性一人旅は、太陽が昇ってから、つまり明るくなっている時間がハイステージ。日が落ちて暗くなったら、ひっそりひとり、ホテルに隠れていなければならない。(特にインドの街はまだ夜はほんとに出歩いていない、その代わりホテルのルーフトップバーでぼーっとしたり、プールでちゃぷちゃぷしたりしていた)

あと日中は気温が45℃、時には冗談ではなく50℃近くまで上がるから、もはや日焼け止め塗って「いやん、焼けちゃう」、とかのレベルでなく、リアルに「肌が傷んでいく」のを感じてしまうくらいには暑い。東南アジアの乾季・暑季は、とにかく朝早くから行動するのをオススメしたい。

気付けばアグラの朝は早かった。明るくなり始める5:30前から、人々は街を歩いていた。その前は、牛か犬かサルかリスが道路の主役。ちなみにこれらの動物はすべてホテルの窓から見ることができる。軽い動物園の気分だ。たまに犬に見まごうヤギ。

私がタクシーに乗り込む時は街はすでに起きていて、オートリクシャもタクシーも、歩行者だって、まるでいまが昼間かのような様相を呈していた。実際にいまが10時だと言われても、はいそうか、としか思えない。

手動のハンドルを回して、錆び付いたシャッターをゆっくりと、なんだか機嫌の悪そうな顔をして上げるひと。朝の目には鮮やかすぎるほどの、赤、ピンク、紫、緑、青……極彩色でアグラを彩るサリーの女性。ちなみに私はサリーが好きだ。乾いた砂が舞う街に、華やかさを加えているのはやっぱり女性の姿だと、インドの旅で毎日思う。

緑と黄色の組み合わせがやはり街を彩る、オートリクシャは今日も道路を飛ばしている。遠くには同じ色合い、おそらく製造元も同じだろうなと思われるビッグオートリクシャ、いやつまりバスも走っている。旅行者はあれに乗れるのかな。さすがに乗る勇気はないけれど。

私は、アグラキャンティという駅に向かっていた。アグラから3時間半、首都デリーに向かう特急列車に乗るために。

あんなにも往路はびびっていたくせに、復路はこんなにも穏やかだ。人々は私をやっぱり見てくる。でも、誰も声はかけてこない。安いよ、ともタクシー? とも言われない。

アグラの人は、やさしいのだ。「ここはデリーとは違うんだ」って何人もが言っていた。(同時にデリーに対して覚悟も決めた瞬間だった)

話しているときにポシェットの口が少し空いていると、きちんと締めて、と怒られる。いい? 街を流しているタクシーは基本的にはいいやつだけど、稀に困ったやつもいるから、女の子は十分気をつけて。スーツケースはきちんと握って。お水は持った? チケットは? 駅のホームの渡り方はわかる?

彼らはなんでも教えてくれた。ジャパニーズはたくさんくるけど、女性ひとりで、少し長めにアグラに滞在するなんて珍しいよ、と興味を持って話してくれた。

インドに到着したときは、本当にびびっていた。視線が睨まれているように感じて、うーんそんな見ないで、と思っていた。

でもいまは、その目線が微笑んでくれているように感じる。ただアラサーの日本人女性しかも結構な荷物付き、鮮やかなサマードレスが珍しいだけなのだ。いまは平気。視線を送られたら笑い返す。まったくもって現金である。

ホームで座れるところを見つけて、ふぅ、と思う。デリー到着後、移動が大変だったけれど先にアグラへきてよかった。やさしい田舎町でインドに慣れたら、きっとひとりでもデリーで平気。

そろそろ6:45の電車がホームに来る頃。あれ? でも6:48だ、もう。たしか往路も15分くらい遅れてたから、きっともうすぐで来るだろう。

ホテルマンが昨夜心配して、丁寧に手配してくれたチケットを見返す。2AのA1-17。ホテルを出るときに「自分の座席番号、わかる?」と最後に聞かれた。えーっと、2A、と寝ぼけた頭で適当に答えたら、「2A A1-7だよ」、と自信満々に暗唱していた。覚えるくらい気にかけてくれていたのか。ありがとうね。ご心配おかけします。

駅のホームで隣に座る、インド人の女の子に話しかける。ねぇ、私の車両と座席番号はこれなんだけれど、私はホームのどこにいればいいかわかる? できたら教えて欲しいんだけど、、

「チケット見せて」と彼女が言う。彼女の隣で聞いていた、別の男性もチケットを覗き込む。「案内板に車両番号が出るから大丈夫」と教えてくれた後に、

「あら? 私と同じ車両ね」と彼女が言う。そして少し笑った。「だから大丈夫」と言ってまた携帯に目線を戻す。

口調はシンプルだけれど、目がやさしい。これくらいの距離感、すきだ。

6:54になった。電車が来た、と思ったら「これ私たちの電車じゃないよ」と彼女が言う。なんだ、デリーへは行かない電車か。ひとりだったら思わず乗ってから席を探そう、とか思ってしまうところだったよ。

そういえば電車のホームに、サルがいた。犬は当然寝ているし、向こう側では自転車も走っていた。物乞い、と呼ばれるひとももちろんいるし、肌の色が違うのも、このホームでは私くらいのものだった。

タフだな、とたまに自分でも思う。日本からいきなりきたら、そりゃたしかにびっくりすることもあるかもしれないけれど、ラオスやミャンマーの田舎を経てきたし、今のところそんなにサプライズはない。ちなみにお腹も壊してない。

きっとこれは、幼い頃に発展途上の上海で少し暮らした経験が支えてくれているタフさだ、と思う。

まだ10歳にならない私は、貧富の差や、裏道の暮らし、市場の騒々しさや、なにかの恐怖を肌と空気で感じてた。その頃の記憶が、どこか私に東南アジアの洗礼を、懐かしさに変えてくれるのだろうと思う。

もちろん当時は母や父、日本人学校のスクールバスが私を守ってくれていたから、そんな暮らしを垣間見られる機会は少なかったけれど、でも世界にはこういうこともあるのだ、と、非日常の世界ではなく、日常、常識を創造していく最中の私は思っていた。

7:00を越えてもまだ私たちの電車はこない。それどころか、さっきの電車の物売りたちが、電車からホームに出て店を出し、チャイチャイー なんとかなんとかー と言ってそれぞれの商品を威勢良く売っている。インドのカジュアルな車内販売だ。

まだまだ電車はこないのかもしれない。でもインドらしくていいじゃない、とやっと朝焼けの終わった空と、遠くの鉄柱に止まるカラスらしき黒い鳥と、その近くを歩くサルを見て思う。

「どうしてアグラへ?」と隣に座る彼女が言う。「私たちの電車は35分くらい遅れているみたい」と続ける。そこから私たちは少し話すことになる。

デリーへは仕事を探しに通っていること。家族は全部で7人いること。東京にはサルも犬も自転車もホームにいないし、電車は3分ごとにきたりするよ、と言ったらアグラだって40分ごとには来るわ、と対抗された。

「インドはどう」と聞かれる。ものすごく注意しろと言われていたけど、みんな優しくて、私インド好きだよ(この気持ちは、のちにデリーに着いて早々覆されることになる)、と伝えたら

やさしくて、のあたりで顔をしかめて強く「Really?」と聞き返された。「たしかにやさしいひとも多いけれど、あなたは異国にいるんだから十分注意するべきだわ。ときにインド人は観光客を騙すし、連れ去るし、お金を取る。昼間はいいわ、夜はダメ」と少しソフトに怒られた。

相変わらず目は笑っている。いいひとだ。承知しました。

走行可能な屋台がホーム側に移動し、商売人たちが待ちの体制に入った気配がする。3番線から4番線にホームを変えて、私たちの電車がきっとくるのだ。

「もうすぐくるよ」と彼女が言う。

電車がホームに入ってきた。彼女はリュックひとつ。私はスーツケースとリュック、パーカーを着て、ポシェットを体の前で持つ。私の準備を待ってから、いこう、と目で言われた。

座席まで、120パーセントひとりではたどり着けなかった、と歩きながら思う。だって、軽く100メートルは歩いているもの、いま。

10メートルごとに後ろを振り返って、私がきちんとついてきているかを確認してくれる。ありがとう、とずっと思う。

「ここがあなたの車両」と彼女が言う。あれ? あなたは?と言ったら「ちょっと売店に行ってくる」という。

そういえば名前を聞いていなかったことを思い出す。長らくお互い名乗っていなかった。「フェイスブックはやってる?」と聞かれたから、あとでここにアクセスして、と英語の名刺を渡す。

バイバイ、といって車両に乗り込む。右側に進んで、と言われたけれど、明らかにローカルな雰囲気を醸す寝台車両にびびって一瞬足がすくむ。(いや乗るのは2回目なんだけど)

「May I help you?」と声がする。ひとりの男性がこちらを見ていた。目を見つめる。たぶんこのひとは大丈夫。

うん、私の席がわからなくて、とチケットを渡す。こっちこっち、と先導してくれる。おかげで無事座席に到着できた。復路は単独のシッティングシートだ。

いつも私はこんな感じで旅をする。ひとりでは絶対にたどり着けない。

7:30を過ぎて、やっと電車が動き出す。

一人旅はおすすめだけど、インドは誰かと一緒に来た方が絶対にいい。もし旅の助言を求められたら、きっとそう言う。

インドの残り旅日数、あと一夜と半日。今日が何月何日かとかは、もうそろそろわからない。朝起きたら、「ミャンマーかな?」と思ったり、「あぁインドか」と思ったり。

国や街を変えながら、今日も、ふらり、ひとり。3時間半後にデリーに着いたら、次はもう、ロンドンだ。


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