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あぜ道の記憶と「どうしてここに、あなたが」【インドネシア・バリ】

マレーシアの次は、ミャンマーへ行こうと決めていた。

日本からただ二枚、航空券を予約して飛行機に乗って、一枚がマレーシア・クアラルンプール行き、二枚目がミャンマー・ヤンゴン行きだった。

日本に次に帰るのは三ヶ月後。本当に旅が終わるのは、十二ヶ月後。

最初の、さいしょの方の旅だった。

けれど、私はマレーシアでミャンマー行きのチケットを捨てることになる。

どうしても、バリ・ウブドでバリ舞踊のあの金属音の、キンコン、カンコン。私を遠くから。南の風に乗って、呼ぶあの音を、この耳にもう一度入れたかったから。

本当にそれだけ。

「あの音が鳴り響く、湿った空気の中に肌と心を触れさせたい」

そう思ったから、クアラルンプールからインドネシア・バリ島へと向かう航空券を、私は3万円で予約した。

***

バリに到着したその夜、私は「来たいと思った場所に、来たのだ」という事実にひどく興奮していて、やはり湿った5月の空気の中、迎えにきてくれたホストの車の中でドキドキしながら、キョロキョロしながら。

もう時刻は、22時をまわっていたのだと思う。だから、どうせ何も見えないのに。車の中から久しぶりのバリの景色を、味わおうと、していた。

ウブドの前にチャングーというサーファーが暮らす村に寄って、3〜4日海沿いでぼーっと。波を見たり、地元のひとと遊んだり、犬と戯れたり、アイスを食べたり。

自転車をこいで、一年中夏みたいな。その国の乾季を、肌に染み込ませてから、山の奥のウブドへと向かった。

***

きっと、乾いていたんだと思う。旅がしたくてしたくて、どこかへ行きたくて行きたくて。

あぁそうだ。思い出した。私は、本当に旅が好きだった。

まだ見ぬ、世界を。もっと私は、見たい。

そう思って、居ても立っても居られなくて、そう。そこから私、1年をかけて人生をかけて、20数カ国を、めぐる。

***

バリでの暮らしは、短かったけれど、私の中で忘れられない10日間になる。

日本を出てから3週間が経ち、ワンデーのコンタクトは順調に数を減らし、化粧水は消費され、日本語を話す頻度も。

体調はすこしだけ崩したような雰囲気を見せ、咳が止まらなくなり、どうしてだか熱が出た。

たしか私は、一晩か二晩。いえ、もしかしたら三日三晩。「日本に、一度帰ろうか」と。思っていたような気がするの。

***

あの人に、バリの田んぼの真中で出会ったのは、そんな日の最中だった気がする。「どうして、ここに、あなたが」と一瞬わけが分からなくなり、「ここはこないだあなたと居た銀座か」と。日、暮れゆくバリのあぜ道で想う。

原付きの後ろ、風を切るウブドの肌。1日500円で借りてウブド中を駆け巡る、自由で強くて幸せだった、あの日々。

年に何度もお米ができる、ウブドのライステラスが最高潮にきれいだった、あのときの日差しと笑顔、その夜に向かったバリ名物の、アロエエステの冷たさ。

道に迷って笑った星空の下。遠くに響くカエルと知らない鳥の声。冷房のない部屋の蚊帳、「おはよう」と挨拶をして作る朝食、揺れるブランコ。

あぁもう、旅。まぎれもなく、旅だった。

忘れないうちに、もう一度書き残しておきたいと、思う。数万枚ある写真を、もう一度掘り起こして。

それが終わったら、もう一度何かを始めるのかもしれない。形は違っても、距離は違っても、まだ私は、旅から離れられない。きっと、離れたくない。


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