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旅と共に生きること。行きたい場所に、辿り着く美しさ【ペルー・マチュピチュ/クスコ】

これだけ心が動いて私が文章を紡ごうとしないのは、本当に、本当に珍しかった。感動や感情が文章やことばで出てくるタイプなのだ。けれど今回動いたのは写真だけだった。

ことばはいつも降ってきていた。けれどそれを綴る時間を惜しむように、私はペルーの空を見て、みて、見つめて。

標高3,400の山々に落ちる雲の影が美しかった。刻一刻、変わるそれ。小さく細い坂道を登ってゆくと、やがて壁を白く塗る青年や、ゆったりと歩くリャマ、そしてやはり見晴らしのよい、山々を見渡す丘に着いた。

小さな頃からずっとずっと、雑誌や旅の写真集を見ては憧れのため息をついていたマチュピチュ。旅に出るぞ、と決めたのはもうとても前なのに、来られたのはやっとの今で。ついに、と私は想う。

小さな村、鮮やかな装い、私を誘う新しい小道。目に入る香る歩むすべてが魅力的で、そう、もうどうしたらいいのと涙が出そうになる毎日を過ごしていた。

来たかったのだ、ここに。単純に。

***

インティライミの時期のクスコを訪れたのは、偶然だった。狙ったわけではなかった。第一の目的はまずマチュピチュ村に無事に到着して、そして遺跡のマチュピチュの丘からそのすべてを見渡してみることだった。

けれど途中で一年に一度の収穫祭にぶつかる日程だと知って。そして私は、キューバとメキシコの旅を通して「ぜひ会ってみてほしい」と聞いていた絵描きの旅人の女性に、その祭りの地で会うことになる。

インティライミは、前夜祭までも盛り上がる。インティライミといえば基本的にはナオトインティライミさんの名前が思い浮かぶ人が多いと思うが、かくいう私もそうだ。

「豊穣の祭り」。それ以上のことは知らなかったが、クスコの街は毎日それが何なのかを教えてくれた。

お祭り騒ぎ。すべてのひとが、笑顔で、たのしそうに。カラフルな衣装をまとい、広場に集い、踊り、飛び跳ね、笑い合い、手を叩き合い、抱き合って、夜に消えていく。

夜な夜な。石畳に響くフォルクローレの音色、犬が少しだけ吠える声、私を呼んでいるかもしれない音、通ったことがない小道、そこで映えるクスコの市旗。虹色に光るそれ。

日焼けした肌に赤と白の国旗が映える。土産屋の屋根をくぐれば見知らぬ雑貨が私を迎え。

ねぇもう、どうしたらいいのだろうと。沈没してしまいたい、と考えたのは、オーストラリアのバイロンベイ以来だった。

***

美しい、世界。本当にほんとうに、行きたい場所があるのなら。その胸に秘めた土地があるのなら。訪れるその一瞬は、数日は、数週間は数ヶ月は。いくらでもいいのだけれど、もしかしたらほんとうに。人生を変えてくれるかもしれない。

だから。

毎日は気持ちの持ちようなのだ。たとえ厚い雲が覆っていても、晴れの待ちの時間だと思うのか、このままずっと晴れないと決めつけるのか。

世界は私が笑えば笑う。信じてもらうのを待っていたら、いつまでも、誰もきっと信じてくれない。

行けると決めたら行けるのだ。いつだって旅と明るい未来に連れていってくれるのは自分。そして、「私が選ぶ」と決めた次の瞬間に出会う、仲間たち。

ああもう、好きだ。ペルー。離れたくないと唱える。

けれどまだ止まるわけにはいかない。人生は長いと信じたい。もう一度またこの地に戻ってくるまで、どうかお願い、またそのままの笑顔でいて。と心から願いながら、私は次の大陸、ヨーロッパを目指すために経由地のコロンビア・ボゴダへ飛ぶ。

晴れ渡る標高高いクスコ・マチュピチュの空と違い、冬は厚い雲が覆うリマの街。雲の上はいつだって晴れている、といつも私の目の前の世界は言う。


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