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「分かる」と「一緒に怒ってくれる人」

あんまり怒らない。というとすごくきれいな人みたいだけれど、私は大人になってから、本気出してそんなに怒ったことがない。

というか人生を通して、めちゃくちゃ怒ったことって、記憶にない。きれいさっぱり忘れているだけだろうか。

ムッとしたり、イライラしたり、「え、それはないんじゃない?」と思うことはあったけれど、「もうそんなの許せない」と我を失うことはない。

「そうだよね、あなたの立場なら、きっとそう思うよね」と思ってしまうから。真実はひとつではない。物事を反対側から見たら、まるで違う事象になることがあるように。

けれど今年、一度だけ怒りで震えたことがある。「なぜ?」「どうして?」と問い詰めたくなったこと。

どうしてよいか分からなくて、けれどあなたの気持ちも分かる、と思って、いや、でも。とぐるぐる、ぐるぐる。

しばらく時間が経つのを待ったけど、これは、きっともうだめだな。ひとりでは、抱えきれない。と思ったから、友だちにヘルプを出した。

「ねぇちょっと、ヘルプ」

そう言っただけで、その足で来てくれた人がいた。

「泊まっていけ」とベッドを用意してくれた人。
「いくらでも聞くから」と夜を空けてくれた人。

中でも、一番私が救われたのは、「一緒に怒ってくれた人」だった。

とても、意外だった。私よりも怒ってくれる人を見て、時にはその人の涙を見て、「いや、うん、大丈夫、そんな泣かなくても。怒らなくても」と私のほうが冷静になってゆく。

***

「分かるよ」だけで良い瞬間が、人生にはあるらしい。

私も誰かが、本当に傷付いて、ヘルプを出していることに気付けたら、温かい紅茶を用意して待っていよう。

もしくはビールと、ふかふかの布団。そして一緒に怒る気持ちと、「分かるよ」という言葉をそっとどこかに準備して。

待っていたいなと、そういえば今年の夏、思っていた。

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