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クロアチアへ行きます。地中海を見ながら原稿を書くために。

空を見上げると雲は遠くて、太陽はどれだけ遠回りをして1日を巡るんだろう、と思うほどにまだ日が暮れる気配はしなかった。

午後5時半。仕事を終えたロンドンっ子たちが、地下鉄に駆け込んでどこかへ急ぎ始めた。恋人のいるところへ行くのだろうか。飲み屋だろうか。それともまっすぐ、家路につくのか。

通り過ぎるすべてのひとと言葉も交わさず、目も合わさず、たまににこりと微笑み返すだけで、私の人生はロンドンで無色になりそうになる。

空はまだ高くて、夜景が見たくてもなかなか見られないほどに、夜はずっと遠かった。サマータイムのせいもあって、暗くなりきるのは午後10時を過ぎたくらい。繁華街をひとり歩いて、夜景を見て帰るには、少し時間が遅すぎる。

ビッグベンが夜のライトに照らされて、テムズ川にさかさに映るその様を、少しでいいから見たかったな、とほんの少し残念に思う。

見たかったな、と過去形なのは、今日が最後のロンドンの夜になるからだった。イギリスを出よう、と決めたのは、もうずっと前のような気もするし、実際は昨日だか、おとといの夜だった。

私の旅は、予定がない。「360度、どこへ行ってもどこへ行かなくてもよい」。そんな旅がしたかったから、日本を出るチケットと、帰るチケットだけとって、あとはすべて決めていない。そんな風に動いてきた。

「そろそろ、この街を出るときかな」と感じたら、地図を広げて(実際はグーグルマップを開いて)国を選んで、よし、ここへ行こう、と航空券を探してみる。

そんな風に、4月の末から、5月を経て、6月15日の今日の夜までふらり、するりと生きてきた。

あぁ、移動に少し疲れたな、と感じたのは、この旅で、いや人生で、初めてのことだった。私は移動が、本当に好きなのだ。性癖だな、と思うほどに。

物理的な距離の移動が、ひとの思考に多くの何かを与えることは、多くのひとがこれまで語ってきた通り、本当にそうだと思う。時間、言葉、肌の色、食べ物、街並み、瞳の色、服装、色合い、空の高さ。場所を変えればきっとそこは何か違くて、私の五感に時にはダイレクトに、時にはじわじわと、刺激と変化を与え続ける。

そのさなかにいることが本当に好きで、飛行機の中の「どの時間軸にも属さないような、浮いた時間」を愛していて、船でも、電車でも、自転車でも。もちろん徒歩でだって、いつでも動いていたかった。

落ち着きが無いね
そんなに動いて疲れないの
私にはできないよ

と言われても、だってこれは性癖なのだから仕方がない――。

けれど昨日、思ったのだ。「もしかして私、少しだけ疲れている?」と。

移動に、移動を重ねてきた。数えてみよう。今日で旅は、何日目? 4月26日に出国して……そうか、6月15日だから、ちょうど50日くらい、経ったのか。

マレーシアのクアラルンプール、インドネシアのバリ、タイのバンコク・チェンマイ、ラオスのルアンパバーン、バンコクを一度経て、ミャンマーのヤンゴンからバガン、もう一度バンコクを経て、インドのデリーとアグラへ。

そしていま、イギリスのロンドンへ。明日から、クロアチアのドゥブロヴニクとザグレブへ。

……書いているだけで、疲れてきた(笑)。

毎日、毎日、移動してたんだ、きっと私は。明らかに、日数に国の数と都市の数が合ってない。

そろそろ潮時なのかもしれない。一度、少し腰を据えて仕事がしたい。

そう、旅をするだけならば、このペースは何ら問題がないのだ。気が向くままに、ふらり、するり。好きなところへ、好きなだけ。何時間移動に時間をかけても、何時間時差があろうと、何時に寝ようと起きようと、もはや好きにすればいい。

けれど私は、仕事をしていた。もとい、もっときちんとしたかった。ウェブメディアの編集長として、サロンのオーナーとして、フリーランスのライターとして、そしていま、長い原稿を書く身として。

そろそろ一度、落ち着いてみたいと思った。

毎日旅と移動をしながら、身を守って、持ち物に気を配って、英語を話して(曲がりなりにも)、取材をして、原稿を書いて、サロンを運営して、会社と連絡をとって。その上、腰を据えて長い原稿を書くなんて、やっぱり少し無理があるぞと、私は多少の危機感を持ったのだ。

きっと、ほかのひとから見たら、やっと。


たくさんの場所に行くことだけが価値だとは、私ももちろん思っていない。その場所にじっくりいないと見えないものも、あると思う。

でも、4月26日時点の私には、明らかに移動が必要だったのだ(おそらく30を迎える前の、29の私にとって。花に水をやるように、私にはどうしても旅が必要だった)。なるべく多くの国へ行き、多くの言葉を聞いて、街並みと色を見て、空気を吸って次の場所へ。もしかしたら、日本へ帰るまで、ずっとそれを繰り返すのかもしれないと思っていた。1週間、10日のスパンで動くことを、善として。

しかしやっと、それに体が「もう少しゆっくりやったら?」と言ってくれるようになったのだ。はやる気持ちに「まぁまぁ、人生焦りなさんな」と語りかけ、「少しはぼーっとしたらどうだい」と教えてくれる。


晴れた日のロンドンの空はとても高くて、19時を過ぎたというのに、まだ空がオレンジ色にもならない。私は移動と同じく「晴れ」と「夏」が最高に好きだから、昼間の長いロンドンはテンションが上って、「だってまだ昼だし」と夜になりきれない夜のロンドンを歩いた。

朝4時から、夜22時まで明るいのだ。私の昼間のテンションを、その間ずっと保っていたとしたら、そりゃあ聞いただけで疲れるよ(私は結構アベレージのテンションが高いほうだと思っている)。

タイトルに始まって、すでに何度か言っている通り、私は明日からクロアチアへ行こうと思う。夏の地中海を見下ろしながら、ドゥブロヴニクという街で、原稿が書きたい。もし原稿が落ち着いたら、またグーグルマップを開いて、チケットをとって、ザグレブという街へ行って友達に会って、そこから遠くない「プリトヴィツェ湖群国立公園」という、私が昔から憧れてきた場所へ行こうと思う。

モロッコも、ポルトガルも、オーストリアもチェコも行きたい。マルタだって、シチリアだって、デンマークだってノルウェーだってフィンランドだって、エストニアだって行きたい。行ったことのない場所には、全部行きたい!

でも、行こうと思えば、きっとこれらはいつでも行けるのだ。8ヶ月間、世界を旅することを選んだ私は、1週間、2週間の旅行であれば、もはやいつでも行けるんじゃないかと、傲慢だけど感じるようになってきた。このままどこまで行けるのかは、もうあとはお金の問題に思えてくる。

一方で、「情熱がないと、たくさんの国を移動することは、難しいんじゃないか」とも、思ったりする。いや、今までもそう思っていたけれど、身をもって今、ロンドンでそう思う。

情熱がないと、短期間でたくさんの国を動くのは、きっととても難しい。1つの国にとどまり続けるほうが、今の私には経済的にも、気持ち的にも、ゆとりがありそうである。

まずは今夜、ゆっくり寝よう。インドからイギリスへ来たときの時差ボケがまだきちんと治っていなくて、毎日違う時間に寝て、毎日違う時間に目が冷めて、夜まだ暗いうちから原稿に向かったりしていたから(今日も夕方18時から少し寝てしまった)、なおさらよくなかったんだと思う。

クロアチアへ、行こう。どれくらい長くいるのかは、ちょっと今回は分からない。1週間よりは長くいるだろう。10日間かもしれない。もしかしたら、今回の旅で最長の2週間超かもしれない。

地中海を見下ろす全3室? の小さな宿(クロアチアでは、Airbnbのような自宅の数日を貸し出すスタイルの宿をSOBE、というらしい。かなり数が多い様子だった)を、さっきやっと予約した。明日からは、ドゥブロヴニクだ。

たくさんのお金と、たくさんの時間を使って、私は今日もスーツケースとリュックとポシェット、あとは少しの現金とカードを持って、国と国とを移動する。

すべては有限である。お金も、時間も、ほかの何かも。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。