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変わりゆく切なさを内包したカラフルな町並みの中で【キューバ・ハバナ→メキシコ・カンクン】

「ことばが一番降ってくる瞬間は、帰り道なのかもしれない」とキューバのハバナ、空港へ向かう午前10時。

今回の旅はみんなと一緒に歩くと決めていた。だから、ほんの数日。たった5日間だったけれど、キューバの空気を吸って、ごはんを食べて、街角を曲がって海で泳いで。たくさんの写真をとめどなく撮りながら、私たちは国を進んだ。

キューバは、ずっとずっと早く行かなくては、と感じていた。国が、変わりゆくと聞いていたから。けれどひとりで乗り込むのはなんだか少し怖くて、その上英語があまり通じないスペイン語圏と聞いていたから。今回の旅までひるんでいてね。

でも「ひとはすぐに絶えてしまうから」。この命どこまで続くかなんて、世界がいつまで平和かなんて、本当に誰にもわからない。

「じゃあ、一番どこへ、行きたい?」そう思った時、私の心は中米と言ったから。そしてその時ちょうど仲良しの子が「どこかで会えそうだね」という距離に。地球の裏側にいたから。

私はこの数日を、キューバの首都ハバナ、海沿いの小さな街バラデロ、世界遺産のビニャーレス渓谷で、過ごした。

ハバナは、想像していたよりもなんというか、ずっと都会だった。カラフルで少し古ぼけた建物、現代ではもう見られないクラシックカーの列、そして葉巻を吸う人々。

……なんてイメージとは少し違って、トヨタもスバルも走っていたし、英語が通じないと聞いていたタクシードライバーは英語をわかってくれたし、物価はどちらかといえば日本に近い水準だったし、クラブもあって、観光客慣れもしていて。

でも、やっぱり町並みは可愛かったし、ボロボロの建物は愛らしかったし、モヒートやピニャコラーダ、キューバ生まれのビール「クリスタル」はアジアのビールみたいに薄くてとても夏の夜に似合ったし。何より本当に「好き」な気がしていた。

言葉を操りながら生きているのでしょう、と言われたらそれまでなのだけれど、言葉で表し難い好ましさを、キューバは持っていた。

それは「今まさに変わりゆく国と街」。刻一刻、変わってゆく。その切なさを孕んでいて。きっとそれを感じてしまって。

私たちはいつも便利を求めて、慣れてしまって、そしてそこに基準を置いてしまう。

テレビもトイレも通信も食事も。進めば進むほど惚れてゆき、そしてその快適さに溺れて、しまいには「そうじゃない国」に入ったときに、「あぁなんだか懐かしくていいなぁ」「ひとの暮らしはこうじゃなくちゃいけないなぁ」なんて、笑うのだ。

でも、その懐かしさを押し付けてはいけない。私たちだって、日本だって、変わってきたのだ。

キューバが変わることを、おこがましくも「さみしい」なんて、言ってはいけない。

iPhoneを持って、Wi-Fiを拾って。世界を歩いて、街と街をつなぐように景色を移り変わらせて。そうやって私たちは、一秒一秒違う毎日を過ごしている。

そしてその間に、世界は変わってゆく。変わらないように見える景色も、本当は少しずつ変わっている。決して一瞬いっしゅん、同じときなんてなくて。

photo by Tatsuya

あぁ、だからキューバも愛しいのか。その移り変わりが、きっと目に見えるように、手に取るように感じられてしまうから。

などと考えながら、私はこの街の哀愁と愛らしさを胸いっぱいに吸い込みながら、夜を歩いた。

そしてそのときの感情や温度や湿度を、思い出しながら空港へ向かう。道は、想像していたよりもずっと舗装されていて、ハイウェイみたいに、すっきり整然と、されていたりして。

そこを、朝、走る。

***

「今」はもう、キューバからメキシコのカンクンに向かうフライトの中だった。左側の席ではたつやくんが寝ていて、右側ではしおりちゃんとれいみちゃんが少しはしゃいでいる。機内は寒いけれど、どうしてもオレンジジュースが飲みたくて、けれどあったかいものも欲しいから、2つもらえるかなぁとか、なんとか。

かわいいなぁ、と私は思う。

たまには何人かで旅をするのも、いいなぁ。いつもと違った景色が見えるし、いつもと違った遊び方ができる。何より心強い。「ひとりがいい」なんて、頑なに言い続けるのはもうやめよう。「誰かと一緒の方が、楽しいよ」。

シェアハウスに暮らして、誰かと一緒に旅をして。2018年は、なんというか、旅を続けるけれど、きっと「ひとりきりではない」。そんな年になるのかなぁって、私はカリブ海を飛びながら、想う。


いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。