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とにかく飛行機に乗りさえすれば【日本→トルコ・イスタンブール】

明日が出発の日だというのに、私はその日まだ新潟にいた。もし本当に最終目的地のトルコへと向かう気持ちがあるのならば、まずは東京へ戻り、成田へ移動して、そして飛行機に飛び乗ってトランジットのタイ、そして経由地の謎のカザフスタン、そして人生三度目のイスタンブールにたどり着くべきだった。

「ね、本当に私たち、明日の朝がフライトかな?」
「いや、来週なんじゃない?」
「そっかそっか、来週か」

前日の夜までそんな話をLINEでして、けれどフライトは翌朝の10時台だった。ということは、東京駅近くに宿泊した私はとりあえず置いておくとしても(新潟からは意を決して移動した)、神奈川県の奥の方から成田空港までやってくる彼女は、朝6時には家を出てこなければいけないはずだった。

朝6時にスマホを開いて、「家を出ました」と知らせが来た時、「おや、本当に行くつもりなのだね」とどこかホッとするような、何か「本気だ」と確信して少し怖くなるような、不思議な心持ちを得た。

世界のどこへでも行ける、旅をしながら生きていく。仕事を携え、その土地の文化や背景を織り込みながら、また新しい仕事を。そんな「暮らし方」を選んだと思われる、私たちは一緒に旅をするのはそんなに多くなかった。というか、二人というのは初めてではないだろうか?

なぜトルコへ、なぜイスタンブールへ。最初はモロッコへ行くつもりだったのに? 彼女は「たしか半年くらい前に、この話が出て」と言っていたけど、私の記憶だとシェアハウスを立ち上げるべく三軒茶屋に家を借り始めた頃だったと思うから、それはもう、1年以上前のことになる。

2人でどこか「海辺の街で暮らすことをしてみたい」と話していたのは半年以上前で、その頃はお互い決まった相手もなく、わたしもバンコクに住んでおらず「海外に暮らしてみたいねえ」って話が発端だった気がする。気がしてる。うろ覚えなんだけど。(トルコうっかり二人旅珍道中【その1】より)

久しぶりに歩くイスタンブールの街は、ヨーロッパサイドとアジアサイド、旧市街や新市街なといくつかのエリアに分かれていて、その名前のどれも、私の心をときめかせるそれだった。

ずっと海と山、坂と文化があり、そして物価が日本よりもちょっぴり安い国を探していて、最初にこの場所を訪れた時。「ここかもしれない」とまた私は、思ったのだった(いつも「ここが運命の場所……?」と感動することに定評がある伊佐)。

でも、トルコはなんだかやっぱり魅力に溢れる不思議な国だった。そして、ふたりだからかいつもよりも少し変なことが起こる回数が多いし、お腹を抱えて笑うことも多ければ、困ることも多かった(なぜ?)。

でも二人とも旅慣れているし、海外滞在も長いし(彼女はタイ在住だ)、普段に輪をかけて「なんとかなる感」があって心強い。

ヨーロッパとアジアが混ざったみたいな。朝も昼も夕暮れも夜も美しい。たくさんたくさん旅をして、私はきっと、また秋から少し暮らしを変える。いっつもいっつも、私は変える。でも譲りたくない芯があるんだ。譲れない芯が、大人になるに連れて変わってゆくことを、最近はもう受け入れてる。

いつまでこの国にいるのか、この街にいるのか、ヨーロッパにいるのかどうかすら、私たちはまだ知らない。とにかくトルコの夏は、今世界のどこよりも過ごしやすくて、気持ちがよくて、雑貨もカフェも可愛いんじゃないか、と感じている。

旅の始まり、序章のさいしょの、イスタンブール。


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