見出し画像

もういっそこのまま行けるところまで

もういっそ一生旅をしていてもいいんじゃないか、と思う瞬間がある。

見たいものを見に行く。会いたいひとに会いに行く。好きなひとに、好きだと伝える。

あぁここにきてよかったと心から思う。鳥肌が立つ瞬間がある。私はなんてわがままで、ひとり勝手なことをしているんだろうと本当に毎日思っている。

毎朝オープン・エアのルーフトップで朝食をとって、移動した先の国のことばで「おはよう」と「ありがとう」だけ言って、カメラを片手に、ひとりでバイクを運転して森の中の遺跡を走る。

産まれて初めて、メインロードを大量の牛が横切るから、それが通りすぎるのを待つという時間を過ごす。彼らはどこへ向かうんだろうと進路を見たら、その先は空と森と遺跡しかなかった。

ねぇあなたは何を考えて、何着のロンジー(ミャンマーの民族衣装。男子も女子も、老若男女それを着る。なにしろ民族衣装を世界で一番着ている国、と言われることがあるくらいだから。もちろん私も着ている)を家に並べて、今日も明日も暮らしていくの。

じゃあ私は。何を考えて、何を手に持ち、今年も来年も、生きていたらなら暮らしていく?

誰と、どこで、何をして、いつ。

もういっそ一生旅をしていたいな私は、と本気で思いそうになる瞬間がある。

見たいものを見に行くことは、幸せだ。今まで鳥肌が立つほど感動したのは、カンボジア・シェムリアップのアンコールワット、イタリア・ローマのコロッセオ、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア、そうだなあとは、ニューヨークのブルックリンブリッジも好きだったし、台湾の九份の町並みも、フィレンツェだって、ヴェネツィアだって、ハワイの海だって、そうだパリだって、私はどこでだって感動していた。

けれどきっと、やっぱり物事にはベストな時期、タイミングがあると思うのだ。日本の季節がちょうど、四季に分かれているように。梅雨にスキーがしたいといっても難しいし、秋に桜が見たいといっても、難しい。けれど桜は春に日本のどこかでスタンバイしていればきっとどこかで見られるし、ボードだって冬に北上したらきっと、どこかで真白い雪に出会えるのだ。

要はそこに、そのときに行くか行かないか。

いまの私は、アジアに一ヶ月と少しいて、緑に囲まれて、遺跡を見て、誰かに出会って、話をして。美味しいアジアのごはんが食べたかった。それだけだったんだなと思う。

もういっそこのまま行けるところまで、旅を続けてみたいなと思ってしまうことがある。

寂しいはずなのに。そう、そういえば昨日、今まで旅をした中で一番ディープな市場に行って(それでもこの街で一番栄えている、観光客の訪れるマーケット)、生鮮食品の香りや、果物よりもハエの方が多いのではなかろうかと思うコーナーや、歩くたびに色が変わっていく簡易屋根の道を見て

「私、結構変わってんな」

とひとり思った。いやだって、30歳を目前にして、ひとり旅に出て、なにを好き好んで果物よりハエの方が多そうな通りをひとりで歩いていんだろうか って。ねぇ(笑)。

※黒く見える点がハエである。失礼

それでも行きたい場所があるの。見たいものがあるの。「オーストラリアのウルルは本当にあるんだよ」って言われたって、私は見たことがないし、行ったことがないし、香りも大きさも、それこそハエの数だって、知らない。

見たいの。知りたいの。教えてくれなくたっていいから。

……と、思い立ってこの文章を10分くらいで書くあたり、私はいま頭が浮かれているんだな、と思う。仕事しよ。今日は仕事をするのだ。夕暮れのバガンを、もう一度見に行くために。

でも誰か、この隣にいてくれたらいいなって、やっぱり思うときはあるよ。


いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。