人生に必要な"リビングとキッチン"【イギリス・ロンドン】
朝起きたら家に誰もいなくて、あれ、ホテルなら独りで平気なのに、誰かの家に泊まるとなると、とたんに独りが寂しくなるんだな、と思う。
リヴァプール・ストリート駅から数駅進んだ、ちょっと郊外の、3階建てのテラスハウス。ここが、私のロンドンの2つ目のおうちだった。
セシリアは、昨日私が14時に着いて家のベルを鳴らしたとき、ドアを勢いよく開けて、「ようこそ!さぁ入って入って!」と笑ってくれた。
「夫のマヌエルはいま義母が体調を崩しているから故郷のポルトガルに帰っているけれど、今日の夜……そうね17時、いや18時かしら? には帰ってくるから、そしたらまた挨拶させてね」
「庭にいる犬の名前は、フラワーよ。彼女はとてもフレンドリーでひとが大好きだから、もし嫌でなければいつでも遊んでやって」
「ケーキと紅茶が大好きで、毎週末は手作りケーキを焼いているの。あなたのためにチョコレートとナッツのケーキを焼いたのだけれど、食べられる?」
「紅茶は、ペパーミント、カモミール、イングリッシュティー、ピーチ、ハニー、コーヒーも、あとは冷蔵庫にミルクもある。ノーマルと、低脂肪。あなたがどちらが好きか分からないけれど、とにかくいつでも開けて飲んでいいわ」
「それとね……」
私の英語がつたないことを忘れるくらい、彼女は饒舌で、会話が途切れるということを知らなかった。けれど後に、これは彼女なりの初対面のやさしさで、異国の地で知らないひとの家に上がり込むという「おそらく緊張する行為」をおもんばかって、まずはどんな家かを説明したい、というやさしい気持ちからきているのだと知った。
夜、ディズニー映画「美女と野獣」を見ている彼女は、とても寡黙で静かだった。
***
朝起きて、誰もいない部屋を見て、「そっか」と少し残念に思う。
でも今日は月曜日だ。彼女は仕事をしていると言っていたし、夫のマヌエルはもちろん働きに出ている。(私が近づくとすぐにお腹を見せて寝転ぶフラワーと、少し遊びたいと思っていたのに、彼女が庭にいなくて私はとても残念だった。後に聞いたら、一緒に出勤している?ということだった)
誰もいないリビングと、ひとつながりのキッチン。
さっきまで誰かがごはんを食べていたであろう食器の気配、テレビの前のリモコン、食べかけのクッキー、少し開いた洗濯機の扉。
清潔に保たれたキッチン、控えめに並ぶ調味料、鍋に入れられて、温められるのを待つミール。
もしかしたら私は選んでいなかったかもしれないけれど、決して嫌いでないインテリア。「ポルトガルではなく、最高の島・マデーラという国(ポルトガルの離島)出身なの、私は」と笑う彼女が、大好きだという赤がふんだんに散りばめられた空間。そこで笑う、誰かの記憶。
人が暮らす気配が存分にする家の、リビングとキッチンで独りお湯を沸かして、ペパーミントティーを入れながら、彼女の焼いてくれたケーキを切り分ける、朝の7時半。
視界に入るアンティークの地球儀、赤と白のカーテン、ふかふかのソファーに、細長い形をした、けれど広いお庭と、その先にある洗濯物干場。
人生には、リビングとキッチンが必要なのだと感じたのは、今日が本当に初めてだった。今までも、いろいろな宿に泊まった。ロンドンは今回の旅で10都市目くらいだし、私は国内を旅するのも好きだったから、今までもたくさんの宿に泊まってきた。
けれど今日が初めてだった。
人生には、リビングとキッチンが必要だった。
そういえば久しぶりなのだ。ベッドのない部屋で、リビングやダイニングといった部屋で、テレビもなし、音楽もなし、誰かの声もなし。「誰かの家」で、独り。声を出さない家の音を聞いたのは、久しぶりだったのだ。
家に帰りたいのかと聞かれたら、残念ながらそうじゃない。けれど、何かを食べたら何かを洗わねばならぬとか、誰かの食器を一緒に洗うとか、ゴミを出すとか、掃除機をかけるとか。
そういった「暮らしのさまざまな何か」を私はこの1ヶ月半超、手放して遠くへやって、「お金で解決する」ということをしていたのだな、とまざまざと思い知った。のだ。
ひとが集えば誰かの声がして、犬がいれば私を見て、子どもの声がして、テレビがついて。そんな暮らしを垣間見られる、Airbnbという選択肢を、気軽に女性独りで選べる時代に生きられてよかったなとまた思う。
きっとこれから、また時代はどんどん変わって「えっAirbnbとかあったんだ!」と笑う日がきたりする(きっとそれはポケベルのように)の、かもしれない。
でもそれでいいんだと思う。いまこの時代に生きている、享受できるものを存分に楽しみながら、
そう、そしてそれを誰かに還していくような、そんな生き方がしたいなとロンドンの隅っこの方で、独り思った。というだけの話。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。