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ひどく甘くて綺麗な幻想の国【チェコ・プラハ】

夢の中みたいだ、と思った。20:30になってもやっぱりまだ空は明るくて、プラハの街をゆっくりとオレンジ色に染め始めようとしていた。シャボン玉が舞って、ピアノの音色が聞こえて、ギターの弾き語りと大道芸、老人チームの四重奏に、セグウェイに乗ったりサッカーをしたりして遊ぶ若者。

チェコ料理は目を見張るくらいに美味しくて、世界で一番ビールを消費する国らしく、街の至る所でチェコ発祥のビール・ピルスナーが一杯200円もしない値段で売っていた。そしてそれをみんな、昼間から本当に美味しそうに飲んでいた。ビールはそれ自体が美味しいことも大切だけれど、一緒の空間で飲んでいるひとがどれほど笑顔で楽しそうに飲んでいるかも、結構味を左右するんじゃないかって思ってしまう私には、なかなか魅力的な光景だった。

プラハは120万人が暮らすチェコ随一の大都市だけど、観光のエリアはこじんまりとまとまっていて、1日、2日かければすべてを歩いて回れるほどの広さだった。それを、私は昨日の夕方に着いてからの夜と、今日午前中に仕事をして、そのあとに繰り出した午後の時間を使って、ゆっくり、ゆっくりと歩いていた。

端的に言って、私はチェコが好きだった。いやたしかにこれまで訪れたどの街だって私は好きだと思ったし、ことクロアチア、ラオスについてはもうここにずっといてもいいかも、と思っていた。今でもイタリアに住みたいという気持ちは変わらないし、スペインにももう一度行きたい。

けれどチェコは、なんだろう好きなのだ。オレンジ色の屋根が連なる、世界で一番美しいとも形容されることのあるその街並みは、たしかにおもちゃみたいにカラフルでコンパクトで歴史を感じさせるそれで、オーストリアからバスで移動してきた私は街が一目見えた瞬間に胸震わせたものだ。

けれど歩いてみると街は意外にも「普通」で、道端にタバコが落ちていたり、地下鉄が少し暗かったり、スタバが頑張ってプラハに紛れようとカモフラージュを続けていたりした。ふと周りを見ればなぜかタイマッサージのチェーン店が3店、4店は軽く探せて、メイン通りに中華料理の看板が見えた。

「トゥルデルニーク」というチェコの伝統菓子のお店には、いつだって観光客が小さな行列を作っていた。私はシナモンと砂糖の甘い香りがするそれと、行列への興味が相まって、ついついふらりとその店に近寄って1つ、2つ、買ってしまったりもした。通り過ぎる10人のうちの1人くらいは、いつだってそのお菓子を手に握っていた。

街に出て一番最初に驚いたのは、予想だにしないセグウェイの数の多さだったし、ベロタクシーもいれば馬車もいる、どうよこれかっこいいだろ、みたいな観光タクシーも大通りに出ればいくらでも見つけられた。

それらすべてを飲み込んで、プラハという街は素晴らしかった。ここはほどよい田舎で、ほどよく現代と過去が中和している場所だった。なんとなくだけれども、誰もが先を急いでいないように感じた。時に、パリやニューヨークなどの大都市においては、誰もが先を急いでいるように感じられることがある。行くべき場所がありすぎるのだ。そしてみんな、予定がある。

けれどここプラハでは、やっぱり誰も急いでいないように思えた。みんな、ただこの街にいること、この街の中に包括されていることで満足しているようだった。事実、私はそのとおりの気持ちだった。

***

そういえば、私はプラハに何があるのかをまったく知らないままここへ来た。今回の旅では、新しい国に入る前に電子書籍でガイドブックを購入して、あらかじめ街の地図や基礎的な情報をその国に入る前の移動中に把握する、ということを恒例にしていた。けれど、それも7カ国目のイギリスに入るくらいから「なんかもういいや」みたいな気持ちになって、プラハに至ってはバスが到着してからチェコ語や通貨の単位なんかを調べたりした。

とにかく私は、プラハへ行って広場に出たかった。いつからか、憧れていたあの広場へ。名前は知らない。でも見ればわかるだろうと思っていた。地図の確認もそこそこに、人の流れについていけば大抵の観光地には着けることも分かってきた。

そう、私はこの景色が見たくてここに来たのだ。「旧市街広場」というらしい。クロアチアからスロヴェニア、オーストリアを経由して北上していたのは、北欧に入る前にプラハに来たいからだった。

昨日の夜のプラハは曇っていて、時折雨がぱらつくくらい。キャミソールにタンクトップ、うっすいパーカーを羽織って下はロングスカートにサンダル、みたいな軽装でいた私は、Airbnbの家を出た瞬間くらいからもう一枚羽織ってくればよかったな、と後悔するくらいには寒がっていた。街が一望できる展望台に至っては、ユニクロのウルトラライトダウンくらい着た方がいいんじゃないか、という気温だった。そして実際に、革ジャンや薄手のコートを羽織ってる人はたくさんいた。

昨日の夜の私はバス移動の前にランチを食べ損ねたこともあって、お腹も空いていた。寒くてお腹が空いてるというのは、一番良くないことだ、と前に読んだ漫画の登場人物が言っていた。その2つが揃うとたしかにひとは心細くなるらしい。ビールを飲むなんて寒すぎて考えられなかったし、いつもより家族連れやカップルの姿が目について、「あぁなんかもうやるせないな」みたいな言葉がすぐそこまで出かかっていた。

「やるせないな」、という気持ちは久しぶりに中華料理の看板をまじまじと見たことによって、「ご飯(白米)が食べたい」という気持ちに結晶して、私はチェコで一番初めに口にする料理に中華料理を選んだりした。

日が暮れた後のプラハのトラムが何時まで走っているのか知らないまま、街をぐるりと歩いて帰った家までの道。ナンシーとその家族、犬のフェイドは真っ暗な家の中ですでに寝ていて、日本は朝5時、6時付近のはずだったから、いつもはピロピロ鳴っているスマホもまだ静かだった。

さみしい、という言葉がとても似合う夜だった。だから私は何も語れずに朝を迎えたのだけれど、でも翌朝5時に私を目覚めさせた朝日はものすごくきれいで、すかっと晴れた空はその日の日暮れまでずぅっと続くことになって、私の肌を照らしてくれた。

何が言いたいのかというと、昨日のそんな偽善的な切なさを吹き飛ばすくらいに、今日1日のプラハは素敵だったのだ。

今日の私は平和な夕飯を食べてお腹いっぱいで、ビールが飲みたいなと言ったらたくさんのウエイターにかまってもらえて、そして昨日の寒さは冗談でした、みたいな暖かくて気持ちのいい夏の夜を迎えていた。

広場にはまだシャボン玉が飛んでいて、歌声やギターの音色、子どものはしゃぐ声や大道芸の輪、9時を知らせる鐘の音やサッカーボールを追いかける足音が聞こえていた。

良い日だと思った。

明日はプラハで暮らす日本人女性に取材をする日だ。どこを待ち合わせ場所にしましょう、と相談したら、偶然いま私が滞在している駅が仕事場の最寄駅だということだった。彼女はマリオネットが盛んなこの街で、舞台美術家・人形作家技師として働いているらしい。この街の文化や歴史、人形劇に惚れた女のひとには、プラハはどう映っているんだろう? そしてプラハで暮らすとは、一体どんな気持ちだろう?

心にいつも描いてきた、プラハの旧市街広場にもう一度目を移す。日が完全に沈む前に家に帰ろう、と思った。空が、だんだん暗くなってきていた。大道芸も、そろそろ店じまいだろうか。ひとの数は、減るどころか増える一方のように見えた。タイマッサージ店は、夜も繁盛していた。セグウェイは、相変わらず人の波をかき分けてじつに上手く進む。

トラムの駅に向かって歩き出す。今日は、温かい心と体で眠れそうだなと思った。


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