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旅が、一体何の役に立つというんだろう?【9月、アラサーフリーランス2名・ベルリン2人旅へ】

旅が何の役に立つのか、とずっと考えていたのだけれど、どうやら答えはないみたいだ。というのが現時点での結論。

でも、よく考えたら人生の大体の経験において、「意味」とかあるのか、という気持ちもある。もし人生に限りがあるのだとしたら。否、これだけは真実で、「限りはある」のだから。

私はできたら、より心地いい方に進みたい。と思って、これまで旅を続けてきた。私にとって、世界を気ままに移動して、より多くの土地で暮らす体験をする、という時間は、何にも代えがたい価値だった。

その中で何か一つ、旅が私の人生にもたらしてくれた「良いこと」を選ぶとしたら、それはやっぱり「自分との対話」だと思う。地球をひとり、小さな点を打つようにふら、ふら、と旅をして、その先でWiFiを拾って仕事をして、4年目に入った。

形式上は日本在住だけれど、どこかの土地で賃貸契約を結んでいるわけではない。帰国時に寝泊まりしたかったらホテルを予約したらよかったし、逢いたい人がいたら家を尋ねればよかったし、実家にだって、時折は帰省する。

今年の台湾、スリランカ旅の写真から

どこで、誰と、何をしても自由。それはこれ以上ない素晴らしい人生のように思えていた。

なのだれど、そろそろ「満足したぞ」という気持ちも芽生えて来た。どこかにきちんと根を張って、そこからまた旅に出られたら(これを言っているのは初めてではないけれども)。

でも、「定住」を決めるその前に。少し、悪あがきがしたいと思った。

世界をめぐる中で、旅人たちの口から「あの街はいいぞ」と繰り返し聞く場所が、いくつかある。

ドイツ・ベルリン。オランダ・アムステルダム。オーストラリア・バイロンベイに、タイ・チェンマイ(最近はそれらも「都市」化しつつあり、彼らはそこからまたさらに自然が豊かな方へ移動したりしているのだけれど)。

「どうしてだろう?」と思っていた。旅で通り過ぎるだけでは、気が付けない何かがそこにはあるのだろうと、予想はする。でも、未だわからない。そういえば私は「定住する」決心はしているけれど、「何処に」という決め手がわからないまま、ここまできた。

先輩、なんでそこに住むことにしたんですか。そんな単純な話を、街を歩きながら、きちんと肌で感じてみたかった。もしできたら、お茶でも飲みながら、誰か「その街で暮らすこと」を決めた人に、話を聞いてみるのも楽しそう。

だから、英語学習コミュニティ #EnglishChallenge を一緒に運営する最所あさみと、「ふたりで海外に、旅に出ようか」「それを、同時にふたりが綴る形で」と構想の種の話が出た時。真っ先に「ベルリンとか」って思いついた。

彼女は彼女で、別の角度からヨーロッパに興味を持っていたようなので、「いいね」ってなった。

ふたりとも、興味関心の方向も、きっと書く内容もまったく違うけれど。どこかに同じく貫く「芯」みたいなものがあるはず。だからこそ、ふたりで旅に出よう、という話も進んだ……のでは? 違う?(笑)

それを信じて、私たちは。2019年9月、つまり来月、本当にふたりで旅に出ることを決めたのだ。

私は、どの国からドイツへ向かうのか、まだ決めていない(現在はトルコにいる)。まぁ、どこかでは無事に会えるだろう。

同じものを、違う角度で。でも「アラサーフリーランス」が「これからの未来を考えるために」旅をする。自分との対話はもう十分にした。「誰かとふたりで」「対話のために」旅に出る。

何だか、楽しそうじゃないか。とりあえず一緒に更新ができるように、マガジンを作って、準備はした。名前は「Journey as a Dialog」。スタートは、また来月。

ちなみに現在は、古性のちとふたりでトルコ周遊の旅に出ています


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