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二子玉川の夏の夜と、スーパーの袋の重み

日が落ちてきたから、今日は二子玉川から家まで歩いて帰ろう、と決める。久しぶりに履いたミネトンカのサンダルはヒールが7センチあって、でも履き心地が気に入って買っただけあって、土手沿いを30分歩いたところで足が痛くなることはなかった。

そう、二子玉川の駅から私の自宅までは、県境を越えて徒歩で30分ほどかかった。暑い夏の昼はさすがに勘弁、な距離だったけれど、今日みたいに夜になって風が気持ちよく感じられる日は、歩いてもいいかな、と思える距離だった。

私は土手沿いで暮らすのが初めてだった。この土手を歩くのが嫌いじゃなかった。

県境を通って家まで帰る。なんとなく、楽しい行為な気がしていた。

今日の午後はカフェに居座って原稿を書いていた。なかなか上手く進まなくて、息が詰まりそうで苦しかった。歩いたら、少しは息ができるようになるかな、と思った。インタビューを書くのと、自分の気持ちをこうやってnoteで書くのではなく、体系立てて書くのはなかなか消耗するのだな、とまた1つ学んでいた。

だから、土手を歩きながら後ろの方で花火の音がした時は、なんだか気持ちが晴れやかになるようにうれしくなった。

橋の向こうを振り返る。右手にはMacBook Airが入ったトートバッグ、左手にはスーパーの袋だ。アボカドや生ハム、チーズにパン、たまねぎやにんじんが入ってる。どちらも軽くはなかったから早めに帰ろう、と思っていたのに、振り返ったときの花火の光のきれいさに、なんだかもう少し眺めていたい、と思った。

県境を越えた東京では、今日は隅田川の花火がやっているはずだった。新潟を出てもう12年。毎年「今年くらいは見に行こうか」って思うのに、結局一度も見たことがなかった。花火は好きだけど、花火が終わった後の人混みが苦手だった。学生の頃、人混みと渋滞をするすると抜けてバイクで海沿いへ逃げ出すのが好きだった。それができないならば、人混みが解消するまで近くのお店で飲んじゃえ、という自由な時間を愛していた。

でもやっぱり、どんなにその前後を楽しんだとしても、地元の長岡花火に勝る花火大会は、関東にはないように思えた。私はいろいろな花火を見てきたけれど、チェコで見た街中の花火よりも、スペインで見た年越しの花火よりも、日本のどの花火大会よりも、やっぱり新潟県のそれが大好きだった。

今年もあと2日で長岡花火の時期が来る。空襲の慰霊祭だから、毎年あの花火大会の日程は変わらないのだ。そういえば去年は編集部の子が遊びにきてくれた。今年は行く予定がない。でも、やっぱり帰りたいな、その時期は。って二子玉川のぽろぽろと上がる花火の向こう側に、新潟を思って土手に立つ。

ふと見ると、土手にはたくさんの人がいるように思えた。いや、確実にいる。花火……だからか? 明日が、神奈川県川崎市の1つの区で行われる祭りの日だからだろうか? それもあるけれど、なんだか私には「ポケモンGO」をやっている人たちに見えた。

スマホをちかちかと光らせながら、土手の中をうろうろと歩くひとたち。スマホを片手に、目線を落として歩道の端っこでうつむくカップル。階段に座って、花火を見ながら家族でポケモンの話をする。そんなことは関係なしに、毎年の光景通り、一人で土手を走り抜けるひと。

遠くの橋を車のテールランプが彩る。なんだかオレンジ味がかった電灯が、人々の背中を夕焼けみたいに染める。せみの声が聞こえて、道路は少しだけ渋滞していた。歩道橋の上で立ち止まって花火を見るひと。打ち上げ花火には敵わないはずなのに、線香花火に勤しんだり、手持ち花火を精一杯やったり。

日本の夏って、なぜこんなにベタベタとまとわりつく感じの湿度なんだろう? と文句をたれながら、こんな夏の夜がそうだ好きだった。と思い出す。

きれいな夜の時間だった。でも、どうしても、旅にまたすぐにでも戻りたいという気持ちが消えなかった。じゃあ早く戻れよ、と思うけれど、私は8月は旅が好きだと思う気持ちと同じくらい、きちんとまとめたい仕事があった。

大好きなはずの日本で、文字に集中する夏。

自分の能力のなさが辛い。

■参考:「私、才能ないかも」ないからこそ、私は私らしく精一杯やるだけ。|佐野知美|note(ノート) 

こんなnoteを思い出しても、「私らしくやるだけではやっぱり今回の仕事は足りないんじゃないか」と思って、息が詰まりそうで苦しくなる。まずは美味しいごはんを食べよう、と思ってもう一度歩き出す。悲しいことがあったら、空を見上げて、美味しいご飯を食べて、それでも悲しかったらもう一度悩もう、と前に大切なひとに言われた。

空は見上げた。あとはご飯を食べてみよう。

そしたら、また前に進めるはずだ。たとえそれが少しの距離だけだったとしても。

苦しいけれど、身の丈に合わない事象に毎度出会えることに、感謝しなければとも思う。だってそれって、きっととても幸福なことだ。


いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。