スクリーンショット_2016-08-07_19.18.41

今までに読まれた記事を10個並べてみた。「好きに生きて」

自分のことばで何かを紡ぎなさい、と常に私に向かって言ってくれた人がいて、けれど私はずっとずっと、できなかった。やっと今年に入ってそれが少しずつできるようになってきて、気付けばnoteが100記事を超えてくれていた。いや違うなぁ。100をまずは目指しましょうか、と途中からちょっと思ってた。

すごいな。世の中の毎日書き続けている人って、すごいんだな。なぜなら何かを書くことって、「毎日をきちんと生きていること」に等しいから。少なくとも私にとってはそうだった。毎日を、きちんと五感と足と手を動かしながら、生きること。目の前のことを、ものを、しっかりと「自分の目線で」見ること。たまに、手を抜いたり、何もしなかったり、だらりとすることを認めること。


ふと振り返って、今までに読まれた記事を10個並べてみるとしたら、どんな構成だろうと思って。

今日はそれを、並べてみたいと思う(10記事中、3記事のタイトルに年齢の話題が入っていて、どんだけ気にしてるんだと結構驚愕した)。読んだことあるのが混ざっている、という方、ありがとうございます><


泣けるほど幸せな3ヶ月間。私この為に生きてきたって胸張って言える。

楽しかった。幸せだった。毎日泣きそうに美しかった。頭の中で30年間、いやそれは言いすぎかもしれない、けれどずっとずっと描いていた世界の夢に、私は一歩も二歩も近付いて、毎日まいにち、今日もありがとうって思いながら過ごしてた。

命短し恋せよ乙女。2ヶ月後には30歳になります。

こんな田舎、出て行ってやる、と思っていた。都心と対比して使われる田舎、ではなく、産まれてから大人になるまで同じコミュニティで育ち、同じひとたちの輪の中で暮らしていくことが、私にはできない、と思ったから。ませて小生意気な13歳だった。

【8ヶ月間】ばいばいにっぽん、既婚アラサーの海外ひとり旅、はじめます。

一番最初に海外に行きたいと思ったのは、いつだっただろう。もしかしたら10年前かもしれなくて、7年前かもしれなくて、もしかしたら初めて海の向こうの土を踏んだ、7歳のときだったかもしれない。海を越えれば違う国があって、違うことばを話すひとがいて、私の知らない道がある。飽き性で惚れっぽくて、熱しやすくて冷めやすい私がそれでも人生を通してずっと好きなものが、旅と書くことだった。あとは撮ること。

女の賞味期限はクリスマス? 29歳のお姉さんに「見えません」なんて言わないで

22歳で就職したとき、会う人会う人に「若いね〜」と言われて、「佐野ちゃん(当時は旧姓)」と呼ばれて可愛がってもらってた。20代前半という誰もが通り過ぎる「花形」の日々を経て、人はどんどん大人になっていく。

もういっそこのまま行けるところまで

もういっそ一生旅をしていてもいいんじゃないか、と思う瞬間がある。見たいものを見に行く。会いたいひとに会いに行く。好きなひとに、好きだと伝える。あぁここにきてよかったと心から思う。鳥肌が立つ瞬間がある。

世界一周バージン喪失の第一歩

ぼちぼち宣言していかなければいけないことがある。私は、いい年して自分探しの旅に出ることを決めたのだ。言っておく。自分なんて、世界のどこを探してもいないよ。どこまで遠くに行っても、知らない世界を見ても、どんなに知らない踊りを踊っても、自分なんてものはみつからない。

じつは私、同じ会社に3年勤めたことがありません。

じつは私、同じ会社に3年勤めたことがありません。社会人歴はいま7年目。(まじか)え……まじか。もう7年も経つのかぁ……。以前こんな記事を寄稿させていただいたことがありました。■好きなことを仕事にすると人生は楽しくなる|佐野知美|みんなの転職  「好きなことを仕事にすると、人生は楽しくなる」。うーん、真理であって、真理ではない。今まで所属してきたすべての会社が好きでした。きれいごとかもしれないけれど、どの会社も好きだった。

「現実を見ろ」という言葉の意味が変わる時。

ねぇお父さん、留学に行きたいの。ねぇ旦那さん、海外旅行に行きたいの。あぁもう働きたくない。もう辞めたい。負の感情であれプラスの感情であれ、何か新しいことを望むときに、いつもどこかしらで出会ってきた「現実を見なさい」という言葉。仕事はどうするの。お金はどうするの。家族との暮らしは、ほかの「現実的な」諸々のことは。たしかにそうね……私はとても夢見がちなのかもしれない、と諦めてきたいくつかの「夢」。

思い描いているだけじゃ「いつか」なんて一生来ない

大抵の街がそうであるように、ヤンゴンの街もまた、雨が降るとその表情を変えた。明るく晴れ渡った空は暗く濁っていたし、雨がまた降るんだか降らないんだか、雲は煮え切らない彼氏彼女みたいにどっちつかずだったし、人々はどこか怒っているかのように見えた。でもそれは、雨が降った街を少し怖いなと思って見つめている、私のせいだったんだと思う。何が怖いって、道がぬかるんでいて、屋根からポタポタと雫がどこからともなく垂れてきて、そうだな、何が怖かったんだろう。でも、怖かった。

伝えたい生き方があるから、今更だけど私、発信力がほしい。

今更だけど私、ソーシャルの発信力がほしい。そこに、伝えたい生き方があるから。やりたいことは明確だった。書くこと、撮ること、旅をすること。好きなことは分かっていたけど、それをすることで何がしたいの? と聞かれると、言葉に詰まって、ずっとずっとわからなかった。でも今なら少し分かる。私、伝えたい生き方がある。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。