吸い込まれそうな夜の黒に、目が慣れなくて【クロアチア・ドゥブロヴニク】

吸い込まれそうな、夜の黒だった。空と海の境が見えなくて、雲なのか、波なのか、風なのか、もう私には分からない。

遠くから、強い風が吹いている。対岸は見えない。ずっとずっと、海が黒く続くだけ。左側に、ぽつりぽつりと家の灯り。右側に、交通量の少ない道路。まっすぐ前に、やっぱりずっと、続く海。遠くに浮かぶ、おそらくとてつもなく大きいと思われる、豪華客船の灯り。

ここは、ロンドンでもなく、インドでもなく、今度は地中海、アドリア海に面する街・クロアチアのドゥブロヴニクだった。

この海がずっと見たかった。青い海にオレンジ色の屋根、照る太陽。

「どんな場所で暮らしたい?」と夫に問われて、いつも笑いながら答えていたのは、「海が見えて、ちょっと小高い丘の上で……そして風が気持ちよく通り抜ける場所」だった。

あぁそうだ、こんな場所のことを私は言っていた。

と、ドゥブロヴニクのムリニの海岸線沿いにひっそりと建つ、「ソベ」と呼ばれるゲストハウスのような、ペンションのような、プチホテル……のような、とにかく小さな宿で思う。

白い壁、オレンジ色の屋根、窓から見える海、浮かぶように在るテラス、そしてそこに置かれたテーブルとイス。

広い部屋、大きなベッド、備え付けられた小さなキッチン、冷蔵庫に湯沸かしポット、ソファの横には小さなガラスのテーブルと、その上に貝殻、そのまた上に小さなキャンドルが置いてあった。

そうか、私はこんな場所を、言っていたんだ。とまた思う。

個別具体的なイメージなしに、なんとなく言っていた「海のそばの丘の上の家」。

青い海、青い空、夜はきちんと暗くなる、海から吹く風と星。

そう、旅に出て一番変わったなと思うのは、「夜への意識」だった。夜は、きちんと暗いほうがいい。そして、夜は、部屋にいる時間帯。

明るくなったら行動を開始して、暗くなったら一日を終えるための準備に入る。日が昇ったらおはようと誰かに言って、暗くなったらおやすみなさいと言いたくなる。

旅に出て、変わったなと思うのは、「夜への恐怖」でもあった。夜は、世界を旅する女性にとって、一番警戒すべき時間。「ちょっとだけならいいかも」がありえないくらいのリスクになって襲ってくる。かもしれない、という可能性。

「何をしにきたんだろう?」と考えて、この時間を一番長く続けるための、最良の選択は? と検討すると、やっぱり今日は部屋にいよう、と毎回思う。

もう少しだけ、あの道の先へ。今日だけは、この場所へ。いける、と思ったら行けばいいけど、行かないほうがいいと嗅ぎ分けたら、すっと踵を返して後ろに戻ってみればいい。

別に自意識過剰でも、なんでもなく。家族も、仕事も、会社も日本に残してきた私には、今やるべきことが、多分にある。今の時間を続けられなくなった場合が、これからの私の人生、一番困る。

全部で6室のこの宿において、私の部屋は最上階の、もっとも広い角部屋に位置するようだった。昨日の夜、ロンドンでドゥブロヴニクの宿を検索して(実際には2日前から調べていたけれど、世界遺産にもなっているこの街の宿はあまりにも多すぎて、私には即座に決めるのが難しかった)、最後の一部屋です、とBooking.comが言うから、「じゃあ」と早めに予約した。

***

吸い込まれそうな、夜の闇だった。

目が感知できないほどの、夜の黒。波の色。灯りの向こうにいるはずの、ひとの気配。

夜がきちんと暗いことは、ひとつの価値だと、旅に出てから思うようになってきた。夜がきて、また朝がきて、時間が経ったらまた暗くなる空の様子を、そうだ、私は見ていたいから、「ひとつ目の会社を出よう」と25歳のときに決めたのだと、クロアチアで思い出す。



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伊佐 知美

ともみの部屋

伊佐知美の、世界一周の旅とエッセイ。2016年4月〜
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