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心を亡くすで忙しいとはよく言ったものだ

人事の仕事をしていて、「中庸」が大事という話をよくすることがあります。経営者と従業員、攻めと守り、論理と感性、・・・etc、どちらかに偏らずにバランスの良い立ち位置を心がけることが求められる仕事だと思っています。(どんな仕事にも大なり小なりそういう側面はあると思いますが)

ちゅう‐よう【中庸】 の解説
[名・形動]
1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」
2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。
(小学館・デジタル大辞泉より引用)

辞書では上記の通りですが、さまざまな解説を見ていると陰陽の考え方がしっくりくるなぁと思っていて、「どっちでもない」より「どっちもあって、両方の大きさのバランスが取れている」という方がしっくりきます。

ここで標題に戻るのですが、特に去年の春くらいから猛烈に忙しくなって、ずーっとフルマラソンをしているような1年間でした。もうすぐ独立10周年を迎えますが、これまでずっと、たまに90%くらい行く時もあるけど平均稼働率は60%という状態をキープして程よく働いてきた私にとって、常に100%はちょっと超えてますなんなら120%くらいいってる時もありますみたいな事態は初めてで。
もう新規案件受け付けませんよって言うけど、新しい話をいただくと、こんなどこの馬の骨みたいなものに声をかけていただけることがそもそもありがたすぎる話だし、いただいた話が大抵面白しろそうなのでやってみたくなるので結局お請けしてしまう・・・というループ。

確かにこれだけ働いたのは初めてで、学びや成長もそれはもう大きなものでしたが、私生活はいい加減になるし、検診には引っかかるし、何よりプライベートはおろか仕事の上でも人に優しくできなくなった自分に気づいて、すごーく嫌な気持ちになりました。。。これは心(=自分)を亡くしてるなと。

「中庸」は人事業務に限った話ではなく日々の生活全てに言える話だなと実感し、急には無理なので少しずつ業務調整をしながら、最近ようやく心の平穏を取り戻しつつあるなと思います。
トップの写真は、南高梅。今日は、ここ数年お休みしてた梅仕事と山椒仕事を久々にやりました。最近ずっと忘れてたけど、余裕があるとこういうことしたくなるんだなと。

業務だけでなく、もっと広い範囲でしっかり中庸の状態を作っていかねばなーと思った最近の出来事でした。

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