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京都の『鈴虫寺』へ行ってきた

体調に波はあるものの、少しずつ電車で遠出をしてみようと、20年ぶりに京都の鈴虫寺(正式名称:妙徳山・華厳寺)へ行ってきた。
鈴虫は季節で言うと、8-10月に生息する昆虫ですが、この鈴虫寺ではなんと一年を通して鈴虫を見ることができ、そしてその鈴虫の音色の前で住職のユーモアあふれる説法を聞けるのが有名です。また。本尊である大日如来のほかに地蔵菩薩も安置しており、全国から地蔵信仰、入学・開運・良縁祈願の方々をはじめ、多くの方が来られています。ちなみに、住職のお話では、5月のGWの時期は説法が3時間待ちになったりするそうです。(鈴虫寺HPはこちら

特急電車になかなか乗れなかった私。天気の良い日を選んでバンジージャンプの気持ちで電車に乗った。私は関西に住んでいるが、通勤している頃から悲しいことに人身事故が後を絶たず、明らかに年々増えている。途中で閉じ込めらたらどうしよう……と言う不安もあり、そんな意味でも特急電車を避けていた。天気が良いのは良かったがこの日は夏日で、最寄り駅から20分程歩くのだが、到着時には汗だくで化粧も流れて既にヨレヨレになっていた。

今回は15分ほど並んで説法の会場へ向かう
お札と、有名な黄色のお守り。お守りは両手の平に挟んで住所と一つだけお願いごとをします。

鈴虫寺は20年前とお守りも佇まいも変わらず、静かに迎え入れてくれた。
20年前、何をお願いしたっけ?叶ったんだっけ??う~ん…と考えながら以前のお守りをお返しし、参加した皆さんと住職の話を聞いていた。住職はユーモアを交えながらも、ことある毎に「皆さんは幸せですか」と問いかけられていた。これは自分にとって難しい質問で、第二次ベビーブームに生まれ、いつも周りと競争させられ、頑張ったけど何に対しても周りと同じように出来なかった自分にとっては、実に生きにくく、劣等感が強く幸せか?と言われると正直口ごもってしまっていた。

ここから80段の石の階段を登って本堂に入ります

「住む家があって、自由に外食だってできる。これは不幸なんでしょうか。」と言われた。人は不平不満を言っては不幸探しばかりに夢中になっていて、日々の小さな幸せに気付いていないとおっしゃっていた。暇さえあればスマホを見て、どうでも良い情報に翻弄され一喜一憂する。私はSNS世代ではないので、いいねの数がどうだとか、よく分からないが、情報が多くてありがたい分、焦燥感の元にもなっていて本当に大切なものが見えなくなってうつ病になっている自分は、まんまとその渦の中に入ってしまっていたのだと感じた。

松尾大社駅

1時間程度の時間でしたが、行ってよかったと思った。もう1週間早ければ桜がもっと満開だったかなと思いながらも、爽やかな陽気で住職のお話も楽しく、自然と笑顔になれた。新たな御守りとお札を購入し、真っ直ぐに家へ帰った。人が少ないギリギリの時間を狙って行ったので、寄り道さえできなかったが、もう少し心に余裕ができたらまた京都の別の場所に行ってみようかと思う。帰ってからのことは疲れていて覚えていない。崩れるように眠ってしまった。

皆さんにとって今日、何か一つでも幸せだなと思ったことはありましたか?
ご飯が美味しかったとか、誰かに褒められたとかなんでもいいんです。
で、良かったと思ったら相手の小さなことでも褒めてあげましょう。自分も褒められたら嬉しいですよね。

今日も一日お疲れさまでした。
明日は今日より幸せでありますように。


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