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自分のものと思いがちのアイデンティティは、他人の中にある。

アイデンティティについて。
ひとはみんな、日本人じゃなくてどの国の人も
ある程度は、「こういう風に見られたい」っていうのがあって、

自分の思うように人が自分のことをみてくれないと、
例えば、あのひとはわたしのことを知らない、とか
わたしのことを理解してくれない、とか

そういうことを言うけど、
ともが思うに、
一人の人のアイデンティティは、
その人のことを認識する人の数だけあると思ってて、

っていうのも、
ひとはみんな自分のフィルターでものを見てるから、
自分の思うその人がいてて、
自分自身が思う自分、がみんなにとっての自分じゃない。ってことかな。

たとえば、100人とものことを知ってる人がいたら、
その100人ぶん"とも"というアイデンティティーが存在するって感じかな。

なんかそう考えだしたらさ、

人にこう思われたら嫌やなー、とか、
こう思われないように、こういう風にしとこ、とか、
そういう考えがあほらしくなってきて、

一人一人その人が生きてく中で培ってきたフィルターを使ってみるものまで、
どうこうコントロールできないし、責任も取れないなー。って。

わかるかな、言いたいこと。
難しいな日本語。

やっぱりもっと若い時は、
(26もまだ若いヨ)
こういう風に見られたいなーと思って
洋服を選んだり、喋ってみたりしてたけど、

今はどっちかというと、
どんな人になりたいか、ってところで、
凛とした女性になりたいなーとか、
魅力的な人になりたいなーとか、
正直で、まっすぐで、
でも愛の溢れる人で、とか。
自分がそう思える人になれたら、
あとはどう受け止められるかは人任せかな。

それで嫌われるなら、
わたしこんな素敵やのに、
あの人にはわたしの素敵さがわからないなんて勿体無い。
ぐらいの勢いでいいと思う。笑

可愛いと思われたい、人と違うって思われたい、
のんびりしてそうやけど実はデキるって思われたいって(←笑)
昔はあったんやろうけど、

そう思って何かをしても、
結果的に全然ちがう風に思われてることの方が多い。多分。笑

なのでなんかそういうの気にしなくなるとすごおく軽くなる。

一個一個がシンプルになって、
自分の発言にももっと責任が取れる気がする。
どう捉えられようが。
本当の自分の言葉やから。

っていうそんなお話。

ちなみに人が言う、
「あの人こんなんやでー」は滅多に信用しない。
あーこの人はそんな風にみるんや〜と。

実際、極端に言うと、
Aさんが他の人から意地悪と思われてようが、
表裏が激しいと言われてようが、
その人が人間的にとものことを好きならその人のことは基本好き。笑

実際関わる人によってみんな表情も態度も変わるし。

あ、でもこっちが好きやでーって体制で行くと、
向こうが意地悪できないってのも一つかな。


って言うそんなお話。
なんかバレエのこと書きたいなーと思って始めたブログやったけど、
全然ちがうことを書いている。笑
これはなんていう分野になるんかな。
頭がお花畑って言われる人の脳内、って言う分野かな。笑

みんなが聞きたいことも書いていきたいからなんか聞いたりしてね。

フォローしてくれると通知が行くはず。

読んでくれてありがとう。
ちなみにあなたの性格、聞きたかったらコメント、インスタででもDMしてね。
ともからのあなた、説明してあげる。


はぐ。XXX

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