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タスクシュートは自由に描けるキャンバス【ユタカジン】

こんにちは。
タスクシュート認定トレーナーの「ともりん」です。

 東京では、桜も満開時期を過ぎ終ぎ、これから新緑が美しい季節になります。爽やかで自然の生命力が感じらるこの時期、1年で一番好きといえる季節かもしれません。

 この「ユタカジン」はタスクシュート協会が公式に運営するnoteマガジンです。「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマに協会の認定トレーナーが記事を繋いでいくマガジンになっています。

 現在、月1回のペースで「ユタカジン」に投稿させていただいています。
今日はタスクシュートについて、「こんな誤った使い方をしてしまった!」というお話を中心に書いてみます。


タスクシュートを使えば何でも実現可能と思った

 これまで、日記やスケジュール帳が1ヶ月以上続いたことがないという
黒歴史を持っていたのですが、「タスクシュートクラウド&100日チャレンジ」との偶然の出会いのおがげで、何とか終止符を打つことができました。
 明日の計画を立て、今日の記録ができている自分にとっても驚き、喜びを感じました。
 記録を長く続けている人からすれば、息をするぐらい当たり前のことかもしれませんが、どんな些細なことでも、今までできなかったことが継続できているという事実はとても自信につながります。
 そして、その後さらにマスター講座でタスクシュートのエッセンスを学ぶ機会にも恵まれ、その奥深さと真の力を改めて再認識しました。
 タスクシュートのメソッドを理解して上手に使えば、どんなに手を付けにくいタスクでも、長期にわたる難しいプロジェクトでも、何でも実現できると強く思ったのです。「魔法の杖」を手にした気分になりました。

タスクに設定すれば勝手にやる気が出て実現すると考えた

 さっそく「タスクシュートを使えば何でも実現できる」ってことを身を持って証明するため、「タスクシュートを使って3ヶ月で目標達成」ってゴールを描きました。そして1日合計3時間の目標達成のための勉強タスクを盛り込んだプランを作成。
 今思うと、心技体が整っていない初心者がいきなり「ホームラン」を狙っていた感がありますね。思いっきり逆算してます。

 「あれ、マスター講座でタスクシュートのエッセンスを学んだのでは?」っていわれそうですが、そのころは「魔法の杖」を手にして「何でもクリアできそうな変な自信?」があったのです。
 最初の数日間はモチベーション高く、1日3時間のタスクをクリアできたのですが、案の定、無謀なプランはすぐさま破綻し始めます。
 業務の忙しさやそれ以外の作業もあり、せいぜい2時間クリアできれば、上出来のような状態になりました。

当初の理想プランや早期の成果に固執した

 「現実のログ」明らかに1日3時間の時間確保が無理なことを示しているのですが、どうしてもそれを受け入れられませんでした。
 「ルーチンを変えて時間を減らすのは自分自身への妥協」とか「3ヶ月という期間限定で気力頑張る」と思い、他のタスクを減らしてでも、睡眠時間を削ってでも、必死にクリアしようとしました。

 でも、自分に無理を強いるプランはやはり長くは続きません。
 無理やり時間確保できても、当初は実感できてた目標達成までの大きな成長も実感できなくなり、まずます焦りが生じます。
 疲労は日々蓄積し、仕事も含めて目標達成以外のタスクが邪魔者に思えてきました。目標達成のための「時間が取れないことが苦痛」に思われ、自由な時間が多い(と思われる)人を羨んだり、やるべきことがあるのに「寝落ちする」自分の根性なさを責めたり。

 そもそも1日3時間の見積についても、今思うと、根拠のない内容だったと思います。生活環境もベースも違う人の「成功体験」を真似たものであり、自分に置き換えたとき、その計画やその期間の妥当性も確認できてませんでした。ログ(記録)が現実を示していて、それをもとに自分に合わせて調整してくべきだったのに、無視してしまっていました。

 だんだんタスクをこなすことや、どう時間を捻出するかに追われるだになって、楽しさがなく、苦しくなってきます。タスクシュートという素晴らしい「魔法の杖」を手に入れたのに、なんで自分は使いこなせないのだろうと。タスクシュートを使う目的は「自分らしい豊かな時間を追求」することなのにこれでは本末転倒ですよね。

タスクシュートは「魔法の杖」でも「デスノート」でもない

 悩みが深くなったところでタスクシュートの振り返り会で相談したところ、自分の大きな間違いに気づきました。
 タスクシュートは、プランにタスクを書けばその通りに現実化してくれる「魔法の杖」ではなかったのです。いつのまにかタスクシュートに書きさえすればよいと、誤解していました。
 「タスクシュートはデスノートではない」っていわれたのを強く覚えています。「デスノート」がどんなものか後で知りましたが、名前を書かれた人が現実に死んでいくというノートです。

 タスクシュートのログが正しい現実(3時間という時間確保は無理・今のやり方は無)を示していたのに、それを受け入れず、理想のプランに固執し、ルーチンに残しておきさえすれば、いつか勝手にやる気が復活して、
達成できると思ってしまいました。
 そして、気づいたら、タスクシュートは高い目標を実現してくれる「スパルタ講師」となり、今日のノルマを必死でこなす生徒になってたのです。

 本当は5分でもタスクをコツコツ継続すること自体に意味があり、喜びを見いだせたはずなのに、そして成果はあとでゆっくりと確実に現れるかもしれないのに、短期間ですぐ目に見える成果を出そうと焦ってしまっていました。
 そもそも「タスクをこなすこと」や「目標を達成すること」自体が目的になっていて、「本来何のためにそうなりたかったのか」すら、忘れていた気もします。

キャンバスに描くのはあくまで自分自身

 タスクシュートは、その日1日が豊かに過ごせるようサポートしてくれる友人です。プランにかいてたら勝手に現実化してくれる「デスノート」でもなく、タスク実行を強制的に導く「スパルタ教師」でもないのです。
 もちろん、タスク実行の強力な後押しにはなってくれますが、あくまで主体は自分自身です。そのことを途中で忘れてしまい、タスクシュートに頼って、考えずにラクして目標達成を目指してしまっていました。

 タスクシュートという真っ白なキャンバスにどういう絵を描くかは、自分自身が決めることあり、その描き方に正解はありません。
 フェルメールのような写実的な細密画でもよし、ピカソみたいな抽象画でもよし、自由に描けるのです。
 タスクシュートはどのような使い方も許容する懐の深さが特徴です。
 タスクシュートの考え方・使い方を理解した上で、ガチで使うのも、ゆるく使うのもよし。手帳を使うのもよし、ツールを使うのもよし。

 「自分らしい豊かな時間」を創り出すのがタスクシュートの本来の目的なので、自分に最もしっくりくるタスクシュートの使い方をすればよいのですよね。周りの人たちの使い方と比較して、「できないと落ち込んだり、無理して合わせる必要はない」ということに気づきました。

 ただし、いろいろなタスクシュータの考え方や使い方を知ることはとても自分のためになります。「ガチ使い」や「ゆる使い」の各種多様な考え方や使い方の中に新たな発見があります。
 「これはいい!」「自分に合いそう」「やってみたい」と思う部分を取り入れて、自分にしか描けない絵をタスクシュート上に描いていきたいですね。

「失敗」「成功」の両方から学び続ける

  タスクシュートを続けるなかで、本来の意図とは異なる使い方をして、失敗だったと思うこともあります。
 でも、道に迷うことも時には必要な経験ですよね。

 以前は考える時間もなく日々追われて過ごしていたのに、「失敗」も含めて日々「新しい経験」や「気づき」が増えていることを強く感じます。
 これまで「ずっとこのままで問題ない」と思い続けていたことも「このままが本当にベストなのか?」ということを考え直すきっかけも与えてくれます。
 「成功」「失敗」から得る「気づき」や、日常で生まれる「問い」の中から明日のプランを試行錯誤し続けることが、「自分らしい豊かな時間」を創り出すための道のりなのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


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