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ミライハアカルイ ~仕事は無くなるのか~

理想郷を意味するユートピアに対して、暗黒郷や地獄郷と翻訳される単語にディストピアがある。有名な小説としてジョージ・オーウェルの「1984]がある。ビッグブラザーに監視された監視社会で生きている人たちの物語である。悲観主義的な視点から見ると、きっと未来はこうなっていくのではないかと考えてしまうかもしれない。

職業に関しても19世紀の産業革命以降、新しい技術によって職業は変わってきた。未来の技術によって仕事は無くなってしまうのだろうか。

答えは「無くならない」可能性が非常に高い。

言い切れないのは、突出したブレークするーが起きて、1割位しか働く必要が無くなるということも考えてしまうからだ。それでも1割位は働かないといけない。もしかすると、脳みそだけで肉体無いかもしれない。その先のブレークスルーがあれば、電子情報の中に人の疑似脳を構成出来るかもしれない。

しかしながら、21世紀に限って考えていくとしよう。

おそらく今世紀中に仕事が全て淘汰されることは無い。仮にロボットやAIが産業の労働の中心となったとしてもそれを制御したりメンテナンスするエンジニアは必要になってくる。また、人の脳で考えられるようなクリエイティブな部分までAIが制御出来るようになるにはまだ時間がかかるように思われる。AIはまだ一定のルールの中での最適解を見つけることは出来るが、ルールを超えることをどう学ぶのだろうか。

そんな観点から、仕事が無くなることは無いけれども、仕事の種類が両極化していくと思われる。高度なハイテク技術か職人的な技術を持つ仕事と誰でも出来るような肉体的な仕事。誰でも出来る仕事にしてもある程度の時期でロボットに変わってしまう可能性もあるが、とてつもなく破壊的な技術のブレークスルーでも起きない限り、先程述べたように可能性は低いだろう。

しかしながら、政府の政策によっては格差が起きえることからも政治的な部分で生活の幸福度は変わってくると思われる。人の幸せって何かを考える時に思い出す話がある。1997年のアジア通貨危機において、これまでインドネシアではどんな状況であれ米は十分に食べることが出来た。しかしながら、あの時は出来なくなった為に暴動となったという面がある。

常に食べられるということが幸せの中では大きいと思っている。その前段階で住居による安全の確保も重要ではあるかもしれない。これからも仕事はあるので、スキルを更新していればなんとかなると思っている。

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