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中部大学に進学しボーカル部に:昭和59年(1984年)春:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

諸事情により、私のnoteは公開後2週間で有料にしています。予めご了承ください。



1984年私は中部大学へ進学した

元々 私は大学進学を希望せず、東京に出る予定だった。
高校3年 情報誌を元に、当時東京青山にあった青山レコーディングスクールへの進学を決めていた。音楽業界で働くため。
学費は新聞奨学生をやりながら。
私の人生なので、私が決めてもいいと考えていたところ、親に大反対された。
今考えると、まったく腑に落ちない反対である。
「新聞奨学生なんてのは〜」それって職業差別だし、若い頃は苦労させた方があとあと楽になる。
私が親なら反対はしない、自分が決めてきたことだから

その反対の直後、担任からあるお声がかかった「田中は将来についてゼロにもどったから推薦でも受けるか?」と。
私は中部大学の付属高校(当時は中部工業大学付属春日丘高校と言われていた)に在籍。文系の進学クラスにいたので、大学進学は考えていなかったけど、面白そうなので面接後、推薦を受けることができた。

親は喜んだ。
一族で初の大卒が出るからだって(へぇ〜そうだ…なんだそれ)

ということで中部大学への進学が決まった。

日本楽器名古屋店の出会い

名古屋の伏見にある日本楽器名古屋店、現在のYAMAHA名古屋店。
とにかく当時から地元を避けていた私は小牧のL&Mや春日井のDOには立ち寄らずここへ通った。

何気に参加したキーボードスクール。
そこで講師をやっていたのが、愛知工業大学の学生「服部さん」
とても仲良くなり、スクールに通いながら夜遊びも教えてもらっていた。

その服部さんに、中部大学の進学を伝えたら。
「中工ならボーカル部に入りなよ」

ちなみにこのキーボードスクールへの入会を勧めた名古屋店の社員さん倉地さんという女性。この方もボーカル部にゆかりのある方だった。

ということで、なんだか知らない間にボーカル部に入ることとなっていた。

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