見出し画像

2歳児の世界 ーおとなもこどもも学ぶ日々ー

「人ってそれぞれものすごい能力と個性をもって生まれてきてるんだな」という瞬間は日々の子ども同士の姿でかなりの頻度でみえてくる。

2歳児、と一言にいっても、
一番大事なのはその子の発達だということを最初に言っておきたい。
「個人差がある」とよくいうが、
この年齢だからこれができる、とかこういう心の成長が見える、
と言ってしまうのはかなり乱雑で、
一つの目安にはなるかもしれないけれど、
そこを意識しすぎるのではなく、その子自身を見ていくこと。
大人だってそうだ。自分の年齢の人を思い描けば、それがどれほど多様で様々か。そして環境によって人はどんどん変わったり、ある面が強くなったり、削り落とされたり、鍛えられたりしていくものだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ある日のこと。

2歳児の女の子2人がいる。
お昼寝をした後で、自分のコット(ベッド)の上には
アンパンマンの音が鳴るおもちゃが置いてある(保育園のおもちゃではなく、特別な理由で持ってきている子がいた)

それはAちゃんのものではないが、それを持ってきた本人に借りていた。それをAちゃんがお昼寝をしながら自分のコットに置いている。

そのおもちゃに気づき、同じくアンパンマンがすきなBちゃんが
スッととる。

それを見たAちゃんは、「だめよー、ノーノー!」といって、
「はい!」(=返して)と自分の手をむっとした表情で差し出す。

さて、ここでBちゃんはどうするだろう?

それをみていたわたしはこのシーンを見て、こんな推測をした。

1、Bはそれを持って逃げる
2、Bはその場で周りの大人に助けを求めるまなざしを送りつつ動かない
3、Aがおもちゃを奪いに行く
4、BはAにおもちゃを返してあげる

そして実際にBがしたのは、
Aちゃんにそのおもちゃを返してあげることだった。

そしてそれだけではなく、AちゃんはBちゃんに対して、
その辺にあった、積み木を、「はい」と渡した。
ごく自然に。

その積み木を受け取ったBちゃんは、それをハンモックに乗せて揺らして遊びだした。

-----------------------------------------------------------------------


それをみていたわたし含め、大人たちは様々な発見と感動をした。
ある意味これはすさまじい成長記録をつけられるシーンだった。

それぞれのAちゃん、Bちゃんが大好きなアンパンマン、
しかもいつもないタイプのおもちゃがある設定。

あそこでもし、取り合いの喧嘩になっても介入しない。
そこでその2人が学びあうであろう何かを取ってしまうことになる。
相手を傷つける行為が出そうなときは止める、そのためにも様子をストップに入れる場所で見守る。


Aちゃんは見通しを付ける力がかなりあり、2歳児といっても、
お茶がこぼれたら、「あっ」といって、
自らティッシュのある所に行き拭くようなところがあり、

Bちゃんは自分の行動に対して大人がどういう反応をして、どんな表情をしているか、という非言語的な情報から、
自分がするべき行動を決めているところがある。

だからこその「はい」っていうAちゃんのアピールでもあり、
そのAちゃんの本気の表情と、おもちゃを取ったBちゃんの観察して察する力だったりが、はっきり見えたシーン。

その2人が普段からおもちゃの取り合いだったり、保育者の取り合いだったりを重ねながら、一緒にいるだけで笑いあったり、
ぴょんぴょん、と一人が手を頭にしてウサギの真似をすれば、
もう一人もウサギも真似をしたり、という一緒にいて楽しいことを重ねているからこその
2人の中での世界や関係があっての行動でもあるように見えた。

といいつつも、
毎回このケースのことが起きても4を選ぶとは限らなくて、
そこにはその時のお互いの情緒面だったり、
家庭の様子だったり、いろいろなものが重なり合って混ざり合って、
そこにそれぞれの発達がベースとなっての行動となっていくので、
このケースはある一日のケースに過ぎない。

けれど、
この世に生まれてまだ2年。
それでもこれだけ、自分のこと、相手のこと、そこでのルールみたいなものをお互いに理解している。保育園に通ってもお互い1年ちょうど経ったくらいだ。

この小さな社会の中で
この子どもたち同士での生活の中で得ていることは、
目に見えないものがたくさんある。
こういう姿や経験、(それこそ喧嘩はとてもいいチャンス)を積み重ねていく中で育っている大きくなった子どもたちを見ると、
この2人のこれからも楽しみでならない。

それと同時に、生物としての人間への興味がまた増していく。

NEWS PICKSで様々な専門家の話を聴き、読み、考察したりながら世の中のことをインプットしながら、
保育の基本や発達の知識をインプットし続け、
さまざまなアウトプットをするのも、
保育という業種だけを見てそこからしか情報を得ないのは
リスキーであって、子どもたちが生きていく世界は
保育園の中でも教育現場の中でもなく、
この社会のなかだからだ。

だから、その環境を作っていくおとなが、
社会のことも知らずに、知っている世界があまりにも小さいと、
それだけ作り出す環境もそうなってしまう。

そのためにわたしも社会の一員として、
さまざまなアンテナを張り、学び、良質な情報を得ることを意識しながら、
学びつづけながら、
「こんなに世界ってわくわくするんだよ」っていう世界を
こどもたちに見せていけるように、
自分の技量をあげていくための努力をしていく。

こう思うと、保育の現場って研究室みたいでもあるなって思う。
人を研究しながら、作り上げていく場所。
こどもも、おとなも。

こうやって、おとなもこどもも、お互いにそれぞれから学びながら、
インプット、アウトプットをしながら、
みんなが個性を生かしあいながら、
挑戦したり調整したり、泣いたり笑ったりしながらチームで働けることに
大きな価値と喜びを感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?