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世界が変わった瞬間 the new world

「そんな完璧な人いないよ。」

それは私がタイプや理想のパートナーを聞かれて答える度に言われてきたこと。

「そんな完璧な人いないよ」

「それじゃあずっと結婚できないよ」

「求め過ぎだと思う」

じゃあ、どうしたらいいの?

収入とか、趣味がなんとなくいい人と付き合えばいいの?

でもそもそも、全然そういう人に惹かれない。

話もそんなに合わなかったし、

プライベートっていうよりも、話を合わせて疲れちゃう。

それに、パートナーってものすごく大切なのに。

だって他人と人生を共にする、

その人がどんな人かって、

どんな風に生きて生きたいかと
同じようなことなのに。

理想のパートナーシップって、
私にとってどんな感じだろう。

私はどう在りたいんだろう。
今までのrelationshipの中で私の課題はなんだったんだろう。

私にとって人生において、
大事なものってなんだろう。

そうやって深く考えはじめて、
常にアンテナがあったのは、
3年前くらいからだった。

自分が何者で、
どんな時どんな反応をして、
何が好きで何に心奪われて、
何に魅力を感じて、
何を楽しみ、
どんなことに興味があって、

何が嫌で、どういうことに気が進まなくて、
それはなぜなのか。

そういったものに非常に敏感になり、
とことん自分と、周りの人と向き合い続けて、
ふっと、ある時が来た。

「ああ、私は自分とのパートナーシップを学ぶ期間は終わってきたのかもしれない。」

何があっても、
自分を見捨てない、責めない、
受け入れて、許す、認める。
愛する、守る。
信じる。

それができてきてた。
あまり意識せずに。

信じて、巣から飛び出すことも。

彼と出会った時に話した話がある。

「私は二つや三つのジャグリングをずっとやってきて、でもそれにはだいぶ慣れてきて、
そろそろ、四つ、五つ、と次のステージに行きたいの。」

まずは自分が自立していること。
経済的にも。精神的にも。

自分で生み出したお金で生活もでき、
したいこともできる。

自分の不完全さも未完さも、矛盾も、
見つめて受け止めて、
でも成長を惜しまない。

でも、そんなに構えてない、
本気だけれど。

一人でも幸せだし、楽しいし、何かできる。

でも二人になったら、いろいろなものは数倍になり、そして一人では成し遂げられなかったことや見えなかった世界を共有すること、

それが私の求めていたパートナーシップ。

過去、自立していたようで、
どこか依存していて、結局うまくいかなかった。

彼を愛していたけれど、
私という存在の軸がどこか消えてしまっていたから。

それは大きな学びだった。
それを受け入れるまでは時間がかかったけれど。

私はシャロムの自分の部屋で、
よく想像していた。

「どんなパートナーが私の理想なんだろう。

私の知らない事を知っている、
違う分野のスペシャリストだったら、
きっと面白いだろうな。

学ぶことが好きで、
優しくて、
面白さもあって、
大人なんだけど、
子どものような純粋さや無邪気さがあって、

人のことを想える人、
でも自分も大切にできる人、

社会や地球についての話が
お互い興味があって話せて、
そういう場所にも一緒に行って、
何を感じるとか何を学んだとか
話せたらいいな。

私は結構勢いで行動しちゃうところがあるから、
それも微笑んでみてくれる、
楽しんでくれる人だったらいいな。

でもその分二人とも自由だと大変だし
私は安定もしてたいから、
挑戦の大事さも知っていながら、
自立していてバランスの取れた人がいいな。

でもふざけたり、くだらないことで笑える
そういうのも大事な人がいいな。

アートとか音楽とか、
同じように好きでなくてもいいけど、
相手が大事にしているものを
尊重できる人だといいな。

はは、こんな完璧な人、いないか。
確かに求め過ぎだし、
きっとこう思ってても、
私は好きになる人を好きになるんだろうな。」

そんなことをよくしてた。

なぜか、シャロムに残った、
しっかり者で、すごく優しくて、個性様々で、働き者の女子たちは、
みんな彼がいなくて、笑

でも彼がいるという、できたという人たちは、
みんなmurmur magazineの恋愛呼吸をしていて、

彼女たちから教わったのは

具体的に理想の男性を描いた上で

「男が欲しいー!」だったか
「男ができたー!」だったか、

なかなかストレートで、恥ずかしいことを、
叫ぶということだった。笑

そして私はやってみた。

でも、照れて、
叫んでるような、若干大きな声で言いながら、

「いや、これはちゃんとやったほうがいい」
とmurmur magazineを何冊かと、
ネットで見ても方法が書いてない。

仕方がなく、
100%正しくはなく、でも、
具体的に彼を想像していた。

だって、
もう一人で色々することの限界も可能性も
だいたい見えてしまって、
それより共有したいという気持ちが
とても強かったから。

それにずっと一人でいる自分を想像できなかった。
そしてそうさせたくなかった。

久々に東京に帰ってきて、
大学時代からの友人の結婚式に出て、
幸せそうな、綺麗な彼女を見て泣けた。

それと同時に、
もし今のまま、自分の納得のいく、
自分らしい人生を生きていこうと、
し続けた故に、

人生のパートナーもできず、
ずっと一人ぼっちだったらどうしよう、
と急に不安になった。

でも今まで自分がしたことで
何も後悔はない。

たくさん苦しんで、
たくさん笑って、
たくさん泣いて、
たくさん学んだ。

今ほど、
自分が自分らしく生きているという
実感があったことはなく、

これほどにも、
自分の周りに素敵な人々、
家族みたいな仲間、応援しあえて、
楽しみながらも、本気で、
いい人生を歩んでいる人たちがいて、

それは長い間私がずっと
憧れていたものでもあった。

わたしの理想のパートナー、
今世で会えるのか、
それとも、そういう人自体いないのか、

前は私が足りないのだと3年前は
とことん自分が成長しようと必死だった。
いまは、そう思わなくなっていた。

より自分がどう生きたいかも、
どうしたらいいかも、
わからないこともあったけど、
確かなこともたくさんあったから。

そんな時の出会いだった。

ピッタリだった。

会った瞬間は、
そんな運命的なものだとは思っていなかった。

でも話してみたら、

仕事も、興味も関心も、
今までの学びも、家庭環境も、過去のrelationshipsも、
人生でやっていきたいことや、大事にしていきたいもの、
挫折も辛かったこともそこからの教訓も、
考え方も、価値観も、

もちろん全て同じではない、
でもそれがピッタリだった。

大事なところはぴったりはまり、
違いがあってそれが好きで面白かった。

出逢ってすぐ、
わたしたちはパートナーになった。

それくらい一瞬でもあり、濃密で、
でもしつこくなく、どっぷり浸かってはいなくて、
互いに立っている。

情熱と冷静のあいだみたいに。

そう、本当にいたんだ、
世の中には。

ソウルメイトという言葉。
知ってはいた。
待ち焦がれてた。
でも信じられなかった。
でも信じて、
疑いもしたけど、
諦めなかった。

諦めかけた、
二人とも。

同じタイミングで。

手放した。

でも、現れた。
そして、繋がった。

きっと、この関係には意味がある。
そう思うたびに、
おびただしい、溢れんばかりの想いや、
目には見えないけれど光みたいな
エネルギーが胸から込み上げて、
外へ放たれる。

ここからが、
本当に私がこの社会に、地球に、
何か思いっきり循環させられる時なのかもしれない。

ふたりで。

そう思うとたまらない気持ちになる。

あまりの嬉しさと幸せと、想いで、
この肉体さえも感じないくらい
大きなものに包まれたような気持ちになる。

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