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教育現場から保育の世界にー未来を見据えて今できることー

保育園に勤めて今年の7月で3年になる。
それはとても不思議な感覚。

わたしが今の保育園に勤めた理由は、
「主体性が子どもたちの中でどう育まれていくのか」
その仕組みやかかる時間帯を実践しながら知りたかった。

「保育園を経営する2人へのリスペクトがあり、この2人なら面白い園にしてくれるだろう」という上司への信頼からだった。出会って10年くらいのお世話になってきた色々な相談に今まで乗ってもらってきた年上夫婦のお2人。

保育園に勤めること自体にはあまり魅力を感じたことがなく、
それは「子どもと遊んでるだけなイメージ」があったり、
「子どもがかわいいから保育園の先生になりたい」
っていう感じで保育園に勤めてる先生のイメージくらいしかなく、

その中で「今の時代を生きていくのに必要なスキルって?」
「そのための教育って?」
っていうことを考えながら働いている人のイメージはあまりなかった。
(そもそも幼稚園ではなく、保育園っていうのもある。その時は幼稚園と保育園の違いもよくわかっていなかった。)

そこを話すと長くなるので割愛するけれど、
わたしが0-5歳の子どもたちの子どもたちと関わることを
本業としてみようと思ったのは、
教育的視点だったり、この世の中で生きていく中でこういうことって必要だったけど、自分の受けてきた教育って全然そうじゃなかったなぁと、
英語を話せるようになって初めて海外の大学で学んだ時に痛感したからこともある。

「日本の教育ってやばくないか...?」と日本という国に焦りを感じた。
教育のベースの大きな差が明らかだった。
ここで生きてきていたらどういう人間になってただろうって。

大手の英会話教室で主任をしていた時に感じた
3-5歳児の子どもたちの面白さ。
乳幼児期の奥深さと不思議さに何となく気づいていた8年前。

評価についての話を主任会議で専門家の先生から学びながら、
「評価はごく一部しか見ていない。しかもその評価ポイントもその人の人格というところが考慮されていない。これじゃ自信なんて育たない。
古い考え方がベースじゃ、なおさらこの世の中では通用しない」

と評価の仕方から、なんかおかしい、いろいろ教育の仕組みや構造が見えてきた。

受けてきたときの違和感、そして教育の構造を知っての違和感。
すべてを否定しているわけではないし、いい面もあるけれど、
突っ込みどころもたくさんあった。

人ってどういう風に学んでいくのか。
何を学ぶのが現代において、未来を生きるこの子たちにとって大切なのか。

やっぱり教育が面白い、人に興味が強くて、好きで、面白く、
自分自身学ぶことが好きで、でも日本に居場所がないと感じていたわたしが、
仕事を選ぶ、っていうときに、
どういう形ならこの世の中にわたしができることを、そういう人たちとできるんだろう?と考えた。

そう思って入ったのは、
海外の要素が入っていていい意味で固定概念によって作られていない学校、
インターナショナルスクールと、
認定外なんだけど、だからこその自由度の中、日本で本当の場所を作りやすい、今勤務している認定外保育園だった。

自分の受けてきた教育への疑問と、無意識レベルで埋め込まれている固定概念、そうしたものを取り払いながら、アップデートしたいときに、
多国籍な先生と子どもの過ごす場を作る、
インターナショナルスクールの場、特にわたしは探求などに興味が強く、バカロレア教育を取り入れているスクールが面白かった。もっと長く勤めたかったなと思う。

ただ難しいのが、インターナショナルスクールでかつ、学習の仕方がよく作られていると、学費がかなり高いことだった。わたしが務めたところは1セメスター私立大1セメスター分と同じくらいかかった。
より多くの人に良質な教育を、と考えると大きな課題に感じた。

それをかなえてくれたのは、認定外保育園だった。

子どもたちの発達、保育の基本、それにこの世の中、これからの未来を生きていく子供たちが生きていくにあたって、必要とされているもの。

それらを見ていく目と心があり、それを実践するスピーディーさがあり、子どもたちを丁寧に愛情をもって見守っていく視点を持っている今の場所。
保育料もそこまで高い額ではない。

それでいて、「主体性」だったり「協調性」、「自分で立ち上がる力」、「自己コントロール」などの非言語能力を
生体験を通して、異年齢の子どもたち同士で日々、楽しみながら、たくさんの感情や物事を感じて、味わって過ごしていくことができる。

そういう場所を探して、何が主体性を育むのか、大切なことってなんだって、フィンランドへ視察に行ったり、サドベリースクールの視察に行ったり、森の幼稚園のある施設で働いたり、いろいろとしてきた。
でも外からどれほど学んでも、結局、それをどう生かせるのか?というところがすごく大切になってくる。

学んだこと、感じたことを、自分の中に貯めておくだけじゃなく、どうしたら現場でそれを行っていくことができるか?
それを経てどんな姿が見られていくのか?そこが何より大切だと思う。

それもよくわかっている園長夫妻。だから彼女たちは、ドイツ、シンガポール、NZと視察に行って、どんどんいいものを取り入れてきた。
わたしがNZへ1週間行かせてもらい、テファリキやLearning Storyの考え方や概念を学びに行かせてもらい、その中で見えた自分の園に取り入れたいと思った仕掛けの概念を、今保育園に取り入れているのもそういう意味がある。

そんなおとなたちの学びをもとに深めた知識や考え方をもって、
こどもたちが興味のまま深めていく自由遊び、ゾーン遊び、探求プロジェクト。

こどもたちの学び(感じ、味わい、楽しむ)、成長していくプロセス。
そのプロセスをどう子どもたちを信じて見守っていくか。
真剣に愛をもって向き合いながらも、学び続けるおとなたち。

勤めるきっかけは電話一本だったし、
1年目は葛藤の連続だったけれど、今こんなに面白い世界を見て感じながら、
自分も学びながら日々試しながら成長する場にいれるとは想像していなかった。

大人はどんな世界を子どもに見せていくのか。
どんなこどもたちの持っているものを引き出していくのか。
こどもたちは何を感じ、何を味わって、何に気づき、学んでいるのか。

そのヒントが目の前に行われていく中で分かってきたこと、
そしてその奥深さと、大人の技量が常に問われている世界。

それが今の私にとっての保育の世界。

人が人の中で、様々なものを感じ、それぞれを引き出しあい、
こどもたちとおとなたちの存在が混ざり合いながら、
それぞれの役割を果たしながら過ごす場所。
小さいけれど、あたたかく、愛のある社会。

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