こころから感じれる幸せ


「おめでとう」

そう言われることがこんなに幸せだなんて。

応援してもらえること、
祝福してもらえることが
こんなに幸せだなんて。

ずーっとずっと、
待っていた、
受け入れてもらえる日。

彼とお父さんが笑顔で会える日。

もしかしたら、
ずっと、認めてもらえないのかもしれない。

もしかしたら、
祝福してもらえないまま
実家にお正月の日さえも帰れないまま、
わたしたちの人生が続いていくのかもしれない。

幸せなのに、
ほんとうは、こころから幸せだといえなかった、
この1年。

「幸せ」「ありがとう」
と結婚のお祝いを言われるたびに、
「でも、お父さんとまだ会えていないんだ」
「まだ認めてもらえていないんだ」
「祝福されていないんだ」

って心の中で言葉を付け加えていた日々。


”結婚するとしたら”
と小さい時から描いていた姿は、

家族から、友人から祝福されながら、
ウエディングドレスを着て、
花びらが舞う映像。

お父さん、お母さんに、
「ここまで育ててくれてありがとう」
と涙ながら読む手紙。

でも、私たちの現実は、
私の理想とはだいぶ違うもので、

わたしたちは私のお父さんと会う前に、
婚姻をした。

本当は、順番が違う、
結婚は、親にとっての親孝行の形なんだ、
とどこか信じていた私にとっては、

自分の幸せを取るか、
大事に育ててくれた親の望みを取るのか、
のどちらかを選ばないといけない感じだった。

国際結婚という事もあって、
滞在できる期間も決まっていたし、
わたしたちの中では覚悟が決まっていたことではあった。

でも、
不機嫌で全く話を聞いてもらえない、
その人の人柄とかをすっとばして、
メキシコ人と結婚をする、
というところばかりで、

「俺はメキシコになんか行かないからな」
「何が結婚だ、認められるわけがないだろう」

実家にいたときから、
彼の話もまともにお父さんには聞いてもらえなかった。

断固反対。
結婚するなら絶交だ、と言われ、
もう実家に帰ってこなくていい。

そういわれていた時期もあった。

お母さんとは、
昔からいろんな話をしてきたこともあって、

結婚する前は毎月のように会って、
なんでわたしたちが結婚したいと思っているのか、
わかってもらえるようになっていたし、

自然と、「彼のような人に出会えてよかったね」
と言ってくれるようになってた。

お母さんだって、初めは戸惑ってた。

でも、しばらくたって
「お母さんたちはずっと一緒にいて面倒を見ることはできないし、
自分で生きていくしかない。
一緒に生きていきたいと思える人に出会えてよかったね」

と言ってくれて、
本当に涙が出た。

おかあさんって、ほんとに大きいなぁ。
お母さんには敵わない、
お母さんの娘でいられて幸せだ、って
涙がいっぱいこぼれた。

お母さんに応援してもらいながら、
兄夫婦に応援してもらいながら、

去年7月に一緒に住みだしてから、
結婚する前、した後に、何度会おうと思ったか。

会いたいけど、一方的な偏見で彼を傷つけてほしくなかった。
会ってほしいけど、きつい言葉を言われる覚悟がなかった。
でも、「これじゃいけない、」と奮い立たせては、
いつ会おう、いつ会おう、と話していた。

わたし「8月にお父さんに会えるか聞いてみよう」
母「いや、もう少し時間を置こう」

わ「お正月に会おう」
母「いや、花見の時はどうだろう」

わ「花見、どうする?」
母「6月あたりなんてどうだろう」

と1年、会う、まだ、会う、まだ、という
会話をずっと繰り返して、

わたしの中でも客観的に見れるようにもなって、
お父さんも時間が必要だったみたいだった。

「会うんだったら髭をそってこい」

彼にとっては大学生の時から生やしている髭。
”髭を剃る条件”をつけて、会うことを許した父。

何の条件も付けられずに、快く受け入れてくれた
メキシコにいる彼の家族。

彼も快く受け入れられないこと、
わたしは母国語であるスペイン語だって話せないのに、
仕事を何してるとか、条件なんて何もなかったのに、

父親からは仕事のこと、収入のこと、
見た目のこと、

そういうことを細かく聞かれて、追及されて、
元々考え方がすごく古い人だけど、
彼がどのくらい複雑な気持ちだっただろう。

私が選んだ人を信じてくれないんだ、という複雑な気持ち。
経済的なことは大切だけど、何様なんだろう、と思ったことも何度もあった。

「それだけ愛されてるんだよ」
そういってもらうことがあっても、
そう思える時があっても、

自分にとって大事な人のことを知ろうともせずに
ずけずけと収入とか、見た目とか、生まれた場所のことばっかりで
判断されてたことに
頭が来たし、本当に悲しかった。
彼にも、彼の家族にも、申し訳なかった。

メキシコはあんなにファミリアを大事にしていて、
彼はとても家族を大事にしていて、
家族から愛されて、助け合って、
いっぱいコミュニケーションを取っていた姿を見ていたし、
いまもLINE電話でたくさん話をしてきていたのを見ているから。

こんな扱いをされて、本当にごめん。
あんなに受け入れてくれたのに、
家族の一員として快く受け入れてあげられなくて、
本当にごめん。

いろんな気持ちが事あるごとに混ざり合っていた一年だった。

そうしてようやく、今日。

初めて、私の両親と、兄夫妻と甥と、親せきと、
一緒にご飯を食べることができた。

あんなに話を聞いてくれていなかった父も、
1年という年月と、
何よりお母さんの粘り強い姿勢や、
「そもそも髭を剃れだなんて人格を否定してる。人権を否定してる」
とお父さんに言ってくれたり、
たくさん向き合ってくれて、

ごはんのときには、
「ゴルフを教えてあげようか?」
「うちに遊びにおいでよ」
と言ってくれたり、
彼がお父さんにビールを注いでる姿を見て、
本当に涙が出そうだった。

ごはんが始まる前、
お母さんがみんなの前で始まりの言葉を言った。

「わたしたちも、初めは二人の結婚を戸惑ったんですが、
1年こうして仲良く過ごすこともできて、
二人の結婚を祝福してあげたいと思い、今日はこの席を用意しました。」

と言ってくれる間中、
涙をこらえるのに本当に必死だった。

こんな日がずっと訪れないんじゃないかと思ってた。

みんなで笑い合って、話すこと。
同じ場で、ご飯を一緒に食べること。

夢みたいに遠かった。

ずっと望んでたけど、期待できなかった。

悲しかった。
苦しかった。
祝福されたかった。
彼を受け入れてほしかった。
わたしを信じてほしかった。
二人を幸せにしたかった。

いろんな思いがずっとずっと
心に突き刺さってた。

それが、今日、
やっと外れた。

夢みたいだったし、
いまも夢みたい。

長かった。

本当に長かったし、
この日が来るかもわからなかったけど、
「これから二人で助け合って生きていってください」
とごはんの後、不器用な父がメッセージをくれた時、

ああ、本当にかなったんだ。

と心からほっとした。

やっと、やっと会えた。

本当によかった。

これから、第二章がはじまる。

本当にありがとう。

そして、よろしくお願いします。

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