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糸と結び目

「なめんじゃねえよ
ふざけんじゃねぇよ
甘えたら そこそこで終わんぞ」

(「いま、いけっ!」由利華 より抜粋)

23歳の彼女のステージに立つ
彼女の発する言葉はあまりにも事実で、
いまの自分とリアルに重なり

「このままで そこそこで 終わってたまるか」
という一種の自分に達する喝と、

「ここのままで 終わりたくない」
という一種の焦りが入り混じる瞬間があった。

「頑張ってなんぼ」の考え方の元、
成長していないと存在価値がない、というような
成長志向といえばそうでもありそうで、
自分に厳しい、とも見えるが、
そうできない時の自分には
冷たく、責めることもよくやってきた
自分のヒストリー。

「本気で生きる」とふるいだった、
彼女と同じくらいの年の頃、
自分への投資だと、
当時信じたビジネスに
いままでの貯金をすべて注ぎ込み、
その時も時間も、
すべて注ぎ込めばきっと、
自分の望んでいる未来が手に入る、
と未来を見て今の自分のこころを置いてきぼりにしていた
あの頃の自分と、

「自分にそういう傾向があるんだ、」
と知ってからの、
同じ失敗をすることへの恐怖が心の奥深くに染み付いた。

その染みは、
あの絶望的だった日々を忘れないための
自分の教訓とするんだ、と
自分で覚えておくためのものになった。

そこから重視してきたのは「バランス」だった。

1か100か、白か黒か、
と見やすい自分の傾向を知ったからこそ、
「ほどほど」「様子を見よう」「きっといまはそんな時期」
と自分で下す決めつけにたいして、
やんわりいこうじゃないか、時間に任せてみよう、
という自分が生まれた。

そんな日々が続き、
仕事も「自分がやりたい」と思うものよりも、
方向性に共感ができることは大切にしつつ
その時必要だったから、
声をかけられた仕事に就いた。

大きな思い入れはなく、
いわばライスワーク、の時期だと思った。

でもどんな理由で始めた仕事であろうと、
どれくらいの気持ちで臨むかはきっと人それぞれだろう。

そこからその仕事の意味や価値を見出し、
自分の仕事としてプロフェッショナルに働いてしまう人もいれば、

とりあえず、
できることはして、給料もらえればよし、
プライベートを大事にするために、
残業もそれほどしない。

それだってありだと思う。

今回の自分は正直、どちらかといえば
後者だった。
というか、後者を選んだ。

それなのに、
いろいろなもやもやは大きくなるばかりだった。

英会話講師のキャリアが長かったのもある、
天職だ、と思ったことも何度もあったし、
その人の状況を分析しながら、
自分がいいと思う勉強法や英語とのかかわり方を
アドバイスしたとき、

その人の英語力や、人生が変わっていく、
それを見届けることが最高に楽しかった。

その想いが今も残っていて、
現在も講師をしながら変化を遂げ、
継続している友人たちを見ると、
今の自分と比較して、
なんともいえない気持ちになる。

「わたしだって」
「今の仕事って自分じゃなくても、正直いいよな」
「わたしのパッションはどこにいったんだろう」

わたしわたし、そればっかりで
嫌気をさすこともある。

誰かの、役に立ちたい、
そういいながら、
自分の成長や自分とのことばかりじゃないか、
と未熟に感じることもたくさんある。

でも一方で思う、
自分が自分の人生を本気で考えないで、
いったい誰が考えてくれるのか、
そもそも、自分でしか歩めない。

あのビジネスをしてた時、
「一緒にやろう」と
あれほど一緒に一緒に、と連呼していたのに、
わたしが”ダメになったとき”
人は去っていった。

結局、火のついていない人からは、
人は離れていったのだ。
みんな駆り立てられた研修通りに
こなしていただけなんだ。
それを「仲間」といって。

「なめんじゃねえよ
ふざけんじゃねぇよ
甘えたら そこそこで終わんぞ」

過去と今と、を行き来するわたしはハッとさせた。

「そこそこで 終わんぞ」

彼女もいま、
キャパ250人の会場に人があふれているのは、

いままでの積み重ねがあったからだ。

1日1カバー、1000日インスタに曲をあっぷし、
ストリートライブを行い、

SNSには公開しきれないものがあったのだ。

そこを忘れといて
いまステージで輝く彼女を見ることはできない。

じゃあ、
過去、いろいろあったとして、
今、はどうなんだろう。

大学生の頃積み上げた英語力、
ライターとして記事を掲載させてもらっていた去年、
仕事として料理をするようになったこと、

正直、バランスを意識しすぎて、
そしてきっと英会話講師だったときの、
プライドなのか誇りなのか、
それが邪魔をして、

「いまの場所で、精一杯やる」

ことができていなかった。

文句と、葛藤と、
なんだかはっきりしない気持ちを抱えたまま、
休みばっかり待っていた。

休みはゲームハマり期を経て、
漫画、いまは小説ハマり期となった。

でもそのどれをやっても、
気持ちよさはたいしてなく、
むしろ罪悪感が残った。

「ほんとうは、もっとなにかやるべきことがあるはずなのに、
これをやっている」

べき論がいやになって、
自分がやりたいことやればいいじゃないか、
に倒れたと思ったけれど、

それはそれで満たされないものもある。

いいんじゃないか、
いま精一杯頑張ってみても、
それを欲してるんじゃないか、
そう気づかされたのは、
ステージ上の彼女の歌を聴く前日のことだった。

そして、彼女のステージ。

いま、読み終えた
「永遠の途中」(唯川 恵)
の中にもあった、

「一番の後悔しているのは
どうしてもっと、自分の生き方に自信を持ってこなかったのだろう
ってことかしら」

という乃梨子の一言。

そうだ、
その時その時、
一生懸命考えて、
その時なりに一生懸命、生きてきたんじゃないか。

あのビジネスだって、
本気で自分の人生を生きたいと思って、
注ぎ込んだ。

今の仕事だって、
今の人生をスタートするのに、
実際必要だったことだ。

「自分の置かれた場所で咲きなさい」
に対して、
「いや、自分が知らないだけで、
いろんな場所がある。
自分で自分の場所を探して、
そこで咲けばいい」
と思うこともある。

いまは、
今思う、自分ができることを
精一杯やってみようじゃないか、

そう決心したら
思っていた以上にすっきりした自分がいた。

さーて、
はじめるとしようか。

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