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変化を楽しみながら


やりたいからやる、も
やりたくないけどやる、もいい。

どちらの良さも知れたのは、

やりたくないことと思ってたけど続けてみた結果
その中での面白さに気づけるまで、
その中で飛び込むまでは出会えなかったことに
夢中になれた経験が出来たから、
なのかもしれない。

やりたいことをやる、
ぐおー!とうちの中から溢れ出すエネルギー。

その場合は火山みたいに、
ぼっかーんと溢れ出て🌋
持久性は弱め。笑
でも威力は最大、みたいなエネルギーもあれば。

静かな青い炎みたいに
心に秘めていて溢れ出るほどは行かずとも、
火山型よりも長く、じわじわとしてるエネルギーもあれば、

「やりたい」「やりたくない」
だけではない、
他者やいろんなものが絡んできて、
自分の理想も現実も、
大波小波で、自分の地盤がわからなくなって、
内に向けようと舵を取るも、
その舵の持つ時間はすごく限られていて、
心はカラカラで、でも頑張りたくて、な時期は
エネルギーは無となって、
絶賛「わからない」、
ずっと味方だったエネルギーが全く出ないという時も経験した。

すごく不安だった。
だってエネルギーが全く出ないって、
ずっと味方だったものが、自分そのものが、気づいたら消えてて、なかなか探しても出てきてくれない、希望が見えなかった。

今でもそういうことがあるのか、とチャージした今は思うけれど、
無気力は前も経験したことはあるけど、今回の状況はすごく新しかったなぁ。

自分でも火をつけ、燃える木に、
さらに木を増やし、燃やしまくる状況にいると、
もう炭になっていても気づかなくて「まだ燃えたい」と灰になってても、気づかない。いや、気づいてるけど、進化してちがう木になってまだ燃えられるんじゃないかと、心と体はちがうサインを発し、受け取って、無になっちゃったのかなぁと思う。

自分の波、
自分のエネルギーバランスをサーフィンのように乗りこなす、までは行かずとも、

自分のサーフィンボードの後ろについたでっかいエネルギーを後ろから感じて、
大波にトライすることが価値だと信じていた20代のいろんな経験や

いろいろあるさ、それも私さ、とパートナーシップを再構築しながら、
バランスってどこだろうなって試行錯誤して、
急にバランス崩して大波に飲まれる経験が減った30代。

それと同時に、
失敗よりも、
自分っていう枠が見えちゃって、
そこから無理しないように無意識私的に、
大波に乗らなくなりがちで、
中くらいか小に乗りつつ、
ビーチのいろんな景色や、
ビーチハウスの食べ物や人との関わりの楽しさを
ゆるーく楽しみつつ、波も乗る、みたいな、

狭まったものもあれば、
その代わりに知れた自分に合った楽しみ方も知ったここ数年。

今度は、海だけでなく、ずっと山も実は登ってみたかったんだよね、あの景色から見た眺めを自分はどう感じるのかな。

とずっと心の中にあれど、
行動まではしてこなかったことに対して、
装備を整え、山の麓に来て、少し登り出してる。

それ自体は、
「やりたいこと」か、と言われたら、
「うーん、わかんない」でも、

やりたくない、に見えて、
いざやってみたら
「意外と面白い」と思える自分も知って、
「やってみるか」と今なれて、
「あそこにいったら何が見えるんだろう」っていう思っているものに少しずつ、やっと、歩き出せたのかなと大袈裟だけど思う。

かといって、
海でサーフィンしてた日々が消えるわけではなく、
久しぶりにサーフィンしたら、最初は小波からかもしれないけど、
乗り出せば、思い出すまできっと時間はかからない。

その分、何年後かに、
海も、山も、知ったからこその自分が何をどう選び、どの景色を見て、どう感じているのか、
なにを楽しんでいるのか、
それを楽しみにしながら

今とこれからの森の景色も楽しんでいきたい。

と、言いながらも、
下山のお導きがあれば、それもそれでヨシ。

だいぶ数年前よりも、
白黒以外のカラーを受け入れ、
自然に楽しめるようになってきたのかな。

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