ある日の事件簿 空き家の遺産分割と相続登記(1)

 遺産分割協議書 案。これだけ記してから一時間経過したが、私は目の前のメモ書きの余白を埋めることができずにいる。

 相続登記をするにあたり、遺産分割協議書を作成しなくてはいけない。遺産は亡父の一軒家。残された家族は兄と弟。法律的に考えれば二等分するしかない。私の目の前にはその兄と弟が並んで座っている。話し合いの冒頭に民法の相続分の規定を説明したが先ほどから、一度話を持ち帰りたい、と兄はかたくなに主張し続けている。

 「売却処分したときに譲渡所得税がかかる。その時の控除額について新しい規定ができたから、よく調べたい。」という趣旨である。お兄さんの仰る通り、家を相続した場合特別な控除が適用される特例が今年からできたと聞いている。だがその旧家に兄弟とも戻るつもりはないのだから売却するしか手段はない。負担する税金が安くなるだけで持ち帰ること自体に意味はなく、この場で2分の1づつと決めてしまってもいいのに、と頭は縦に振りながらもうっすらと思っていた。

 お兄さんの横にいる弟さんの顔をうかがってみた。理性的に考えている表情ではなかった。むしろ苛立っている、感情を噛み殺しているが口の端から漏れているかのようだった。各所へ亡父が亡くなったことの報告やその他の申請事項の割り振りを兄が差配すると、了承しつつも投げやりなようすが見える。久しぶりに肩を並べて座ったであろうこの兄弟を目の前にしながら、私は亡くなったお父さんのことを思い出していた。

 数か月前。私は東京近郊のある病院にいた。離婚して配偶者もなく、子供も親から離れて暮らしていて面倒を見ることができない老人がいる。その市の社会福祉協議会の方から入院費の支払いも難しいので成年後見人になってほしいとの連絡を受けた。そのような事情であればと、すぐにご本人にお会いすべく病院に向かう。ナースステーションの前に置かれた小さいテーブルで担当の看護師の方に病状について説明を受け、その足で病室に向かった。
 通常後見につく場合でも、ご本人が超重度の障害でない限り会話自体はできることが多い。しかし、今回は会話は望めなかった。
 昔は着物がよく似合っただろう。総髪にもできそうな長さの白髪は重力に負けるように白いシーツの上に力なく広がっている。早い呼吸をしていた。声を二、三度かけても目は開かない。今日はご挨拶は難しいからと帰った三日後に亡くなったという連絡を受けた。

 父、離婚した母、そして子二人。私はこの家族のことを考えてみることにした。

 話し合いの後兄弟からは別々に連絡が来る。弟は早く済ませたいという気持ちがあり、私の提案を了承してくださっている。ただ兄を疎ましく思う気持ちは隠せていなかった。

 最初の話し合いの時に昔話になった。亡くなったお父さんは剣道をしていて子供にも教えていたらしい。お兄さんはその時のことを語り、弟に「お前は本気で打ち込まなかったからな。どこか楽をする方法を見つけていた。」弟は要領がよかったと言った。お弟さんは言葉を返さなかった。私は言葉をつないで、お兄さんは剣道がお好きだったのですね、と言ったのだが兄はそれには答えることはなかった。弟は言葉を発することを放棄したようだった。
 この時弟さんの堪えてき、溜めてきた感情の井戸の深さを感じた。

 それでも。私が始めたのは弟さんへのフォローではなかった。逆にお兄さんとの連絡をまめにすることにした。動こうと思えば私が動くことができることでも敢えてお兄さんにお願いしてみて、お兄さんが働く余地を作った。戸籍を集めること等のポイントは司法書士である私がするが、銀行に手続きに行く予約などはお兄さんにお願いした。
 お兄さんは弟さんの承認を求めていたと思ったのだ。

 おそらくお父さんはとても厳しい人だっただろう。子供を愛そうと思ってしつけた。でも子供たちには愛よりも怒りが印象付けられた。そして子供たちは成人し父を離れた。おそらく母もその厳しさゆえに離婚したのだろう。父は愛することを表現する力が乏しい、孤独な人だったのではなかったか。
 その厳しいしつけの中で抑圧され承認されたという記憶が少ない兄は自己の承認を父以外の人に求めている。続けた剣道も父から認められることはなく厳しい指導の印象だけが残っている。父からの承認が心に残っていなかった。父の愛はあったと理解しながらも常に揺らぎ続けたのかもしれない。だから自分の見識をもって外へ、周りの承認を求める。中でも家族である弟の承認こそ一番必要だった。だがその兄の不器用な承認欲求に弟も潰されかけていた。
 兄から度々私に送られてくるメールでは、法律や制度の細かいことについて質問がされる。でも遺産分割協議書案には何も触れられていない。話は続けたいが遺産分割協議書にはまだ印鑑を押印することができないようだ。私はこの課題の根を探りに行きそこから変えたかった。

 そこで、私は兄に感謝することから始めた。   

(この話はフィクションです。)

------

自分の中で重きを置いたことは二点あります。

(1)
 家族がどのような様子であったか。子供がどのように育ったのか、を探ること。親と子は何を求めたのか、正面を向き合っていたのか、横にいて話しかけたのか。子供が指さす方向を親は見ていたか。家族によって違う。これを探ることを心がけています。
 家族の向き合う角度が心に及ぼす影響は大きい。寄り添う家族と向き合う家族は0から出発した二つの直線がどんどん離れていくように違っていくと考えるからです。
 
 司法書士の成年後見人業務の中で成年後見人が受け継ぐ家族のバトンはどれも違います。子供の障害によって家族が密集してしまうことも離散することもある。情愛もあれば虐待もある。過度の情愛こそが虐待になることもある。認知症の親を心配する家族もいれば放り投げる家族もいる。
 成年後見人は財産管理権と身上監護権があるが、家族の代わりではない。でも人と人が会えば人間関係ができる。できざるを得ない。成年後見人としてつながりをもった時にどういう人間関係を構築するかについて無関心ではいられないし、できることならばコミュニティを補完して被後見人の心のよりどころを作ってあげたいと思うのです。
 だからそのご本人がどういう家族関係、友人関係、人間関係を築いてきたのかを探り何を必要としているのかを探ることができれば、いつでも帰っていくことのできる心のよりどころをもう一度築くことができるのではないかと考えています。

(2)
 売買の場合。売主と買主は正対して机の左右に座り、それを仲介するように机の手前に司法書士が座ります。
 しかし遺産分割の場合はあえて売買の時のような椅子の配置をしません。一見するとご兄弟の仲が悪く見える。でもお互いに、存在を許せないのではなく存在を肯定したい気持ちとそれを打ち消す行為が混在しているように見える場合だからこそ、あえてご兄弟が並んで座れるように椅子を配置しました。

 (その意図はまたの機会に書いてみたいと思います。)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?