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英語が話せない大学4年の剣道ヨーロッパ旅part4

イギリス編(最後の高速バスとの戦い)

オランダの剣士達、またホームステイさせていただいたご家族にお別れを伝え、アムステルダム駅からロンドン行きの高速バスに乗り込む予定でした。イギリスでは高校時に出会った留学生に会いに行きます。

しかしアムステルダム駅から目的のバスが見当たらない問題が発生。2週間ほどヨーロッパにいれば高速バスは大体遅れてくるので、いつものことだろうとことだろうと鷹をくくっていましたが、後5分でも見つからない、、

周りの観光者も焦り出して、「〇〇バスはどこだ」、「まだ来てないのか」など話し出したので、僕もその輪に入り込んで話し合いに参加。そのうち一人が他者のバス会社に聞きに言ってもらい、その後、彼が走り、合図を出してくれたので全員で目的のバスに乗り込むことができました。乗り込んだ瞬間発車。(ギリギリセーフ)

その外国人に感謝の言葉を述べ、9時間のロンドン行きバスに無事乗ることができました。(飛行機を使えば、1時間程でイギリスに行くことができます)←節約の為

ロンドンに到着し、ノッテンガム行きのバスに乗り込みます。この乗り換えは30分しかないので、急いでバスから降りて重い荷物を持ちながら探索しているがバスが見当たらない。そこで同会社の運転手を見つけて電話をしていたが、時間がないのでお構いなしに聞いてみた。指でターミナルの方を刺され、走って中に入りました。

中にはモニターが何個もあって、探している時間もなく、一番左上にあるバスだろうなと考えていくと、見事的中。汗だくの僕は無事ノッテンガム行きのバスに乗り込むことができました。

ここから3時間でノッテンガムに到着しました。ここで旧友のヘンリに会え、その友達(フェンシング部)とパブでお酒を飲み楽しみました。剣道を説明するときに、フェンシングと剣道何が違うんだ?という討論では、上下関係のことや有効打突などの説明は難しく説明しきれませんでした。フェンシングのフルーエという競技は体の適正な部分にのみポイントがつくそうで、少し剣道と似ているなと思いました。

しかしヘンリの家に着いた瞬間、リュックをパブに置いてきてしまったことに気づきました。「海外で忘れ物は終わった…」と思いながら一人電車に乗って戻りました。ですがパブの店員さんが僕のリュックを保管していてくれたみたいで無事に戻ることができました。

ヘンリの家には3日間お世話になり、最終日の朝ヘンリは僕にオートミールを作ってくれました。初の実食でしたが、何とも言い難い(笑)それをいただいてトイレに行ったのが最後でした。あまり詳しくは書きませんが恐ろしく腸がバズってしまって炎上してしまいました笑笑

これは電車で高速バスの停留所までは間に合わないと思い、トイレの中でUber TAXIを呼びました。そんなこんなで急ぎ足でヘンリに感謝の言葉を述べ、ギリギリ高速バスに乗り込めました。

ロンドンに到着し、まずドミトリーホテルに荷物を置きます。2回目のドミトリー慣れたもので、早速観光へと出かけました!電車移動で観光地を回ろうかと思っていましたが、日本でいうスイカに700円払わないといけないので、購入するのをやめ、近くにあったレンタルサイクルで観光することにしました。

電動自転車で料金も安いレンタル自転車は借りたところで返さなくて良いので近くのパーキングさえ見つけてしまえば、とても快適に観光できます。その夜ホテルに戻り、ルームメイトと話せるくらい英語力はついていて、自分でもびっくりしました(野生の本能というか適応力というか)。

ロンドンの観光は1日のみで、市営のバスと高速バスに乗りヒースロー空港に向かいます。しかしどちらも時間通り来ないし目的の高速バスが来れなくなくて振替のバスに乗れとか、日本では考えられません(笑)

しかし空港でいいことが一つありました。荷物の預け入れで余裕でオーバーバッケージでしたが、優しいスタッフが超過料金分のシールを持ってきてくれてスーツケースに貼ってくれました。(シールは2万円かかります)

日本に帰ってきて少しして、コロナにより旅行の制限、卒業式の中止などたくさんの行事がなくなってしまいましたが、ヨーロッパ広域にたくさんの友達ができ、彼らはとてもよくしてくれました。その人たちを今度は日本で、剣道でおもてなしをしたいと思っています。

海外に出て日本人よりも剣道に熱心で、文化も知っていて、自分を振り返ってみると恥ずかしく思ったりもしました。なので日本に帰って自分は自分のやれること、毎日全力で稽古をすること。これが海外の剣士たちと再び会った時にできる最大の敬意だと思っています。日本の充実した環境の中で日々の稽古を疎かにし手を抜くことは、海外にいる友達に失礼であると思っています。

最後に海外に行くことを押してくれた大学の教授やフランスでチームを組んだ大学の先輩とアダム、お金を出してくれた両親、海外でお世話になったたくさんの人々に感謝してこの旅を締めくくりたいと思います。

この経験を踏まえ、大学院に進み、海外剣道について書いていくことになります。次回は調査地宮崎が舞台となります。引き続きよろしくお願いします。

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