「訪問する権利」考

スープストックトーキョーが炎上したそうだ。
全店舗で離乳食の無償提供を行うこと発表したところ、既存の利用者とおぼしき人たちが反感を示したらしい。

実際のサービス利用者がネガティブな反応を示したのは残念だが、それしてもその反応がなかなか「世知辛く」て面食らった。

特に広告に利用された口元を汚して離乳食を食べる赤ん坊の写真に対し、「子供好きじゃないから、写真見ただけで生理的に無理。二度と行かない」と言う人もいた。

で、それが数千件のイイねを受け取っていた。

これが「分断」のリアルだな、とまざまざと見せつけられた。
「よそものが入ってくる」ことに対する嫌悪感みたいなものをありありと感じたからだ。

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先に本件の顛末を言おう。

この一件は数日の後、超エモいPRが出て、スープストックトーキョーの圧勝となった。

一切の謝罪もなく、自分たちのパーパスを伝えて圧勝。

文字通り、私が感じた違和感に対し民衆の体温を上げることで勝利した。

これはとても歓迎されることだが、残念ながら既存客の静かなひとときは確かに失われるかもしれないし、分断そのものが癒えるわけではないな、と思ったりもした。

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1795年、カントという賢い人は「外国を訪問する権利を守らなイカン(超訳)」と言った。

「外国人が異国に訪問した際、それだけで敵意をもたれたりしない権利」というもので、

要するに「よそ者が来ても基本的には攻撃するべきじゃない」という考え方である。

無論、訪問者にも「悪いことしちゃダメよ(超超訳)」ということも併記されている。

これらの考え方は刊行から200年以上経った今も考えさせられる良いテーマだと思う。

現在では物理的な訪問だけでなく、インターネットが異文化への接触を圧倒的に加速させているし、情報や生活圏はゆるやかに分断と細分化を繰り返し、本来身近であったものさえも異文化としてみなされはじめている。

おかげで人種や人民間で起きていた「文化の摩擦」は我々の身近なところでも発生するようになってきた。

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新しい人やルールが入ってきた時、抵抗感を覚えるのは当然だと思う。

なんだって慣れ親しんだものが良いし、当たり前の反応だと思う。

ただ、そういう時こそ「他人の権利を守ってあげなくちゃ」と考えられるようにしておくことは、これから結構重要なことだと思う。

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