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二人三脚

妊婦フレンドから始まった海君ファミリーとのお付き合いは、子供の成長と共にずっと一緒だった。
少し変わったのは、家の前のマンションから、ちょっと離れたところに、引っ越してしまいご近所ではなくなったことだ。

毎年運動会では 前の日から場所取り合戦が熾烈を極め、親はそのためにカメラを新調したり、ちゃんと写真がとれるように、脚立をもってきたり母親は本当にj熱心である。

海君とうちの長男は、1年、2年と徒競走の組合せが一緒だった。

運動会の前日から

「あいつにだけは負けられない!」と言いそれはそれは熱い思いがあるようだった。

勝ったり、負けたりだったようだが、気がついてみると、3年生、4年生、そして5年生でも徒競走の組みあわせが一緒で、すごい偶然で、

「なんだろう。。」とすごいよなと思っていた。

そんな偶然があるんだろうと楽観していたのは僕だけで、うちの妻や、海君一家はさらに熱い思いがあったようだった。

そんな今年6年生最後の運動会当日が来て、妻が熱く言った。

「また!海君と一緒だってよ! 小学校最後の運動会でも一緒よ!」

「へえ・・そうなんだ、いい思い出ができそうだね~」

「何他人事みたいな事言っているの?あなたも走るのよ!」

「へえ!? 子供の徒競走でしょ?」

「半分は徒競走で、後半は子供と親の2人3脚よ」

「え~~!なんだそれ」「知らないよ、僕がやらなきゃいけないの?」

「当たり前でしょ、父親でしょあなた 男がでるものよこういうのは」

「うん、そうだね」

そんなやり取りがあった。


最近仕事が忙しかった事もあり、週末にお酒を飲みすぎ、若干二日酔い気味でコンビニでソルマックを飲んでなんとか平常を保っていた状態だったので、早くこの日が終わってくれることを心から願っていた。

数年前、運動会の観戦をしている最中に草むらであまりに疲れていて寝てしまった事があったが、それはそれは、妻にこっぴどく叱られた記憶がトラウマとして残っており、ちょっとでも弱い態度を見せることは出来ない状況だった。

「まじかよ」「でもまあ、子供の競技だから親は適当にやればいいんでしょ」

と軽く考えていた。

ところがである。他の家のお父さんはかなりマジだった。

そのうち海君のお父さんも来て、

「中村さん、宿命の対決ですね・・頑張りましょう」と言われる始末。。私は

「ははは・・・まあ、まじめにやる親っているんでしょうかね・・」と言いどこまでも逃げ腰である。

ところが、ついに自分の子供の番が回ってきた時、衝撃が走った。
そのまま、父親が待つ中間地点に入ってくる。

「うお~まずい、ここで手を抜いたら、長男にとっては一生の思い出になっちゃうし、一生恨まれる事は間違いない・・」


「うお~まずい、ここで手を抜いたら、長男にとっては一生の思い出になっちゃうし、一生恨まれる事は間違いない・・」

冷静に考えると、そもそも気づくのが遅いのである。6年間、奇跡的な偶然で宿命の対決を繰り返してきた2人が最後の運動会で、親も一緒に勝負をしようと意気込んでいるのである。 本当にやけどしそうな程熱い、熱い戦いのさなかにいたことに気づかされてしまった。

「しまった・・がんばらなきゃ」

「まあ、せいぜい数十メートルだから、足を結ぶところを意識すればなんとかなるかな・・」

老体にムチを打って、戦闘モードに切り替えた。

海君が1位、ちょっと遅れて長男が入ってきた、「いくぞ!」

タイミングよく、ハチマキを長男が手渡してきたので、足を結ぶ作業は誰よりも早く、海君親子よりも早くスタートすることができた。

「これならいける!」

僕は本当にラッキーなプラス思考だと思う。勝てるかもとか勝手に思ったが、次の瞬間現実に直面した。

私は、2人3脚をやったことがなかったことだ。

当たり前のように、歩幅があわずバランスを崩し、周りの親子に遅れをとった、他の親子は、イッチ、ニ! イッチ、ニ! といい真剣な顔で次々に走っていく。。


「これだ!みんなやるな!、掛け声が大事なんだ」

「イッチ、ニ! イッチ、ニ!でいくぞ!」

「イッチ、ニ! イッチ ニ!」

他の親子はどうやら、今日の為に練習してきているようだった。

でも、今この場面で、その言い訳は通用しない。距離はそんなにない、なんとか息を合わせれば勝てるかもしれない。

「いくぞ~~」

この時点で、子供より熱くなっている自分がいた。

「イッチ、ニ! イッチ ニ!」

奇跡的に、長男とのリズムが合った、海君達を抜かし、1位を走り始めた。

「これはいけるかも・・・」

と思った瞬間だった。付け焼刃的な子供とのリズムが崩れ、ゴール5メートルを残し、間違いなく転倒する事が分かった。。

「あ・・・・」「このまま負けるのか・・」

「いや、負けられない、いくぞ!」

次の瞬間私は、子供と一緒に(長男の脇を抱えて)ゴールに向かってジャンプしていた。

競馬で言えば、おそらく鼻の差だったと思う。

レースに勝ったのである。

ただ、勝った事を知る前に、足を結んだまま無理な状態でジャンプしたため、長男も私もかなりひどい体制で転がるようにゴールしたため、激痛が走り、全く動けない状況となった。

「痛え!」しばらく痛みを堪える事しか出来ない状況が続き、なんとか足の紐を外そうとしたが、中々外せない。。

私には酷い激痛が走っていて、もしかすると骨が折れたかもしれないと思う程だった。

だが、心の中では自己満足で一杯だった。

「最後バランスは崩したけど、最後に勝つことの大切さを身体で、この場面で伝えられたことは、何よりも大きい筈だ。すごい頑張ったな、偉いよな、俺・・・」

と勝手に考えていた。

長男もかなりの痛手を負って、やっとハチマキを外したとき、喜んでくれると思っていた長男から衝撃の言葉を聞いた。

「父さん、俺、恥ずかしいよ、こんなの!」

「え?何言ってんだよ、勝ったんだよ、最後の粘りで!」

「こんな勝ち方しかできねーのかよ、みっともない」

「え~~~!」

人生のどん底に突き落とされるような気分だった。

「なんなの、これ・・」

長男はかぶせるように

「他の家では、みんな練習してんだよ、父さん練習してくれなかったじゃん!」

「え!そんな覚えないよ」

「言ったよ、でも仕事とか言っちゃってさ、やってくれなかったじゃん」

あ・・確かに覚えがあった。でも突然、なんの説明もなく2人3脚やろうと言われても、ちょっと待ってね。。今やっていることがあるから・・・となるよな・・小学生の子供は1日中何かしら親にお願い事をするのが常だからである。


「ゲーム欲しい」「遊びいきたい」等全て聞いている訳にはいかないのである。

運動会で宿命の対決なんだと言ってくれれば絶対に・・といっても後の祭りである。

長男の怪我は幸い、かすり傷で済んだようだったが、私は足に力が入らず、立ち上がることすらできなかった。「なんだこの痛みは・・」

「その上、誰からも認めてもらえない」

「一応、勝ったんだけどな・・」

ちょっとかっこよかったかな・・と思っていたのは、自分だけで、周りのお母さんとかも、同情の眼差しである。

「あ~日頃運動していないんですね・・頭ばっかり使ってちゃダメですよ」とあるお母さんからも言われる始末・・

「とほほ・・」

「お父さんさ、最後に勝つ事を伝えたくて頑張ったんだよ、こんな痛い思いして、お前はもう痛くないだろ、分かってくれよ、一生懸命頑張ったんだよ」

「練習しようって言ったのに!やってくれなくて、ほんとみっともないんだよ」

「ごめん。」

面目ないとしか、いいようがないが、とにかく足の激痛が収まらない・・このままビッコになったら笑えないよな・・

しかし、痛いのは足だけではなかった。翌日の会社の友人や、他の親のエピソードを聞いてさらに痛みは続くことになった。


次回、その後日談を書きたいと思う。


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