古井由吉『半自叙伝』(河出書房新社 / 2013)

 これを要するに、敵がこちらを目指して攻めこんでくるのを、一丸となって叩くという、古来の「戦闘」の想定である。ところが実際にやって来たのは、空一面にひろがって寄せ、ひろくあまねく焼き尽すという、高度に組織化された殲滅戦だった。これを前にしては住民たちの防空の抵抗は無意味どころか、ほとんと非現実になる。いきなり露呈した非現実というものも恐ろしい。三月十日の本所深川方面の大空襲の犠牲者たちの中には、外傷ひとつなしに息絶えていた人もすくなくなかった、という噂も伝わってきた。大火のために酸素がなくなって、そのための窒息死だと言われた。(半自叙伝 / 戦災下の幼年)

 それにつけても思い出すことがあった。それよりも十二年前の一九九〇年ドイツ統一の直後の、旧東ドイツのワイマールを滞独中の旧友と訪れて、宿に荷をおろして街で夕食を済ませてもどると、われわれにはまだ宵の内と感じられる時刻に街は深夜のように暗く、人通りもなく、家々はわずかに窓の灯を洩らし、ストーブに石炭を焚くらしく、屋根の煙突が淡い煙を、細く立ち昇らせている。その光景を窓から眺めて、あの屋根の下で暮らす私と同年配の人たちはいまどんな気持でいることだろう、物心のついた時にはもうナチスの時代に入り、戦争があり、敗戦後数年で共産主義体制に入り、そして二十代、三十代、四十代、そして五十代を越していまさら、解放とやら自由化とやら言われても、詮ないのではないか、と思いやられた。ひるがえって我が身のことをかえりみて、空襲に怯えて、敗戦の焼跡の闇市をペタペタと走りまわって、経済成長が始まって、そして、そして、そして、とたどろうとしたがすぐにつまって続けられなくなった。(半自叙伝/老年)

(……)東京物語の原典といえば、私はそれまで漱石あたりを頼りにしていたが、秋聲こそ原典だとその頃から考えるようになった。あの風と物音と人の声の荒涼を思わずには、私も東京の暮しは描けない。どこもかしこも場末ではないか。
 生活の、活力がややも淀めばたちまち頽廃しかかる。しかしその頽廃たるや、爛熟の気もなければ余裕のつみかさねもなく、それ自体が活力の、忙がしさに満ちている。疲れているかいないかの差だけで、頽廃即生活欲の気味さえある。それでも、年々歳々と草臥れていく。見渡せばどれもこれも、学歴があろうとなかろうと、小綺麗に暮そうと汚れて暮そうと、すべて場末での頑張りである。(制作ノート/場末の風)

 今から思えばいかにも元気な、「男盛り」であった。男盛りというのはまだまだ青いということでもあるが、しかしまた老病死の翳のようやく差してくる頃にもなる。(もう半分だけ)

 矛盾はなまじ整合させずに、あらわな間違いでないかぎり、そのままにしておいた。もともと私は、生まれた家が焼かれるのを目にした後遺症が順々に及んだせいか、記憶力が弱いほうらしい。それにしては過去の、深刻であった場面の、まだ日常の表情を保った光景がいたずらになまなましく浮かぶのに苦しめられるが、起こった事の前後が混乱しやすい。記憶にあるかぎりの細かい事どもをつなぎとして、ようやく前後を通しても、しばらくして思い出してみれば、またあやしくなっている。しかも、見たはずもない場所がその間にぽっかりと浮んでいたりする。
 見た事と見なかったはずの事との境が私にあってはとかく揺らぐ。あるいは、その境が揺らぐ時、何かを思い出しかけているような気分になる。そんな癖を抱えこんだ人間がよりもよって小説、つまり過去を記述することを職とするというのも、何かとむずかしいことだ。それでは文章が、どう推敲を重ねたところで、定まらないではないか。しかしまたそんな癖の故に、この道へつい迷い込んで、やがて引き返せなくなったとも思われる。吃音の口にも似て詰屈したこの手がたどたどしく、切れ切れに繰り出す、その言葉のほうが書いている本人よりも過去を知っていて、生涯を見通しているような、そんな感触に引かれ引かれ、ここまでやって来て、まだ埒があかないというところか。(もう半分だけ)

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