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ナース・ウィズ・ウーンド評伝 / 平山悠

NURSE WITH WOUND、通称NWWはイギリス及びアイルランドを拠点に70年代の終わり頃から現在まで活動を続けている音楽ユニットだ。

作品ごとに参加するメンバーは流動的だが、スティーブステイプルトンが中心となって制作を行なっており、NWW=スティーブステイプルトンと考えていいだろう。

NWWは、日本のメディアにおいてはノイズ・インダストリアルミュージックの一例として紹介されるケースが多かったようだが、その作品は容易にそれらのカテゴリーに当てはまる物ではなく、メルツバウのようなハーシュノイズ、ホワイトハウスのようなパワーエレクトロニクス、TGのようなインダストリアル、あるいはAMMや一部のクラウトロックのようなフリーフォームな即興演奏、ピエールシェフェール、リュックフェラーリのようなミュージックコンクレート、それらと類似する部分が感じられながら、一方でそのどれでもないような摩訶不思議な音楽をリリースしてきた。

多作家でDiscogsにAlbumとして登録されているだけでも180以上のリリースがあり、リリースごとに内容がガラリと変わることも多いため、一概に語ることができないが、音素材のコラージュが多用され1曲が長めのゆったりとした曲構成、明白な歌詞がない音楽で、ゴシックホラーとシュールレアリスムを混ぜ合わせたような悪夢的雰囲気が一般的なイメージと思う。

多くの作品でアルバムのカバーアートをステイプルトン自身が手掛けており、ダダやシュールレアリスムの影響が色濃いデザイン、初期から続く一貫した作家性、音楽家の余技というレベルを大きく逸脱したアートワークも特徴的だ。NWW作品の魅力は、音とヴィジュアルに一貫した個性が感じられてそれらが互いに相乗効果を生んでいる点が大きいと思う。70年代から80年代にかけて、パンクムーブメントの盛り上がりと共にDIYを合言葉して自主制作で作られたレコードの多くは、素人が手軽にデザインを行える道具や環境の乏しさも影響して、チープなものも多かったが、その中にあってNWWのレコードは、自主制作作品としては例外的な高い審美性を持っていたことだろう。本書で明らかにされるが、ステイプルトンは音楽よりもまず絵を描き始め、デザイン関係の仕事にも就いていたようで、NWWのレコードジャケットのデザインの良さはそこからきているものらしい。

日本においては、80年代にはロックマガジンやフールズメイトといったインダストリアルミュージックに強い関心を持つメディアによってNWWの作品が紹介されることが多かったが、インダストリアルミュージックの変質や雑誌の衰退に伴って、NWWがメディア上でフォローされる機会は減った。NWWの作品を取り扱うレコード店などのキャプションで作品の大まかな概要を情報として拾うことはできたが、NWWというユニットの全容は朧げなままであり続けた。

本書で明らかにされるように中心人物のステイプルトンがメディア露出に積極的ではなかった事に加えて、生活の中心をロンドンからアイルランドの僻地へ移した事でいわゆる音楽シーンからは遠ざかったことも、NWWを謎めいた存在とする事を手伝ったようだ。

また、NWWの作品自体も一時期希少化していた。自主制作作品らしくリリース枚数が少なく(1タイトル500枚程度だったらしい)、ステイプルトンが当初は再発にも消極的である一方、一部にはカルト的なファンがいたり、主にノイズミュージック系のアーティストがNWWの諸作品から影響を公言するなどして根強い需要があった。人気タイトルは一枚数万円という状況も珍しくはない時期があり、その音楽を耳にすることや、ディスコグラフィの全容を把握することを困難にしていた。

本書は長らく謎めいた存在であったNWW=スティーブステイプルトンを著者が長年に渡り追いかけ、生い立ちからステイプルトンの現在までを整理した本となっている。ここまでNWWに焦点を絞って書かれた本となると、おそらく世界でも唯一の資料ではないか。

僕が著者のことを知ったのは、ツイッターに貼られた著者のnoteのリンクを偶然目にしたことがきっかけだったと思う。

著者がなんとアイルランドのステイプルトン邸を尋ねて取材を行っている事には大いに驚かされて、その活動を印象付けられてはいたけれど、更に本まで出版されるとは思わなかった。

この本の白眉は、ロンドンに生まれたスティーブステイプルトンが、如何にしてパンクムーブメントに影響されたのか、またされていないのかという点を明らかにした事だと思う。若い頃、NWWとして活動を軌道に乗せていく中で、ステイプルトンがパンクムーブメントにどのような態度を取っていたかを通じて、彼の嗜好や音楽性の形成過程が明らかになってくる。NWWの音楽について、作品そのものや後述するNWWリストからは直接的なパンクの影響を伺うことはおそらくできないが、ステイプルトンも70年代ロンドンで盛り上がったパンクの影響を少なからず受けているという指摘には驚かされたし非常に面白かった。

ステイプルトンはパンクムーブメントのDIY精神、音楽的な素養がなくても音楽を作って良いという開放的な時代の空気には強く背中を押されながら、一方で音楽としてパンクロックには全く共感的でなく、パンク以前のプログレやアヴァンギャルドミュージック、とりわけクラウトロックに強く影響を受けたようだ。ステイプルトンの嗜好は個性的かつ徹底していて、アモンデュールの初期作品に強い影響を受けたことや、クラフトワークは初期の3枚以外聞くに耐えない、あるいは彼が好む日本の音楽など、その独特な感性の在り方は非常に興味深い。NWWの有名作品の一つである1stアルバムで、録音時にはメンバー三人が楽器演奏の経験が全くなく、アナログB面に収録された音源は、スタジオに入って初めて3人で楽器を鳴らした20分間を録音したものなど、種明かし的な記述も多く面白かった。

NWWの関連アーティストとしてしばしば名前が挙げられながら、これまた日本語ではほとんど語られることがなかったCurrent 93や、United Dairiesに所属したアーティストについても、その関係性について僕はこの本で初めて知った。

巻末に付属するNWWリストについての記述も圧巻だった。NWWの1stアルバムにはNurse with Wound listとかNWW listと呼ばれるリストが封入されていた。(ちなみにwikiもある)そこにはNWWが音楽的に影響を受けたバンドや音楽家の名前が書かれているのだが、中身が相当にマニアックで、著者も書いているようにインターネット以前にこれほどのリストを作り上げた編集能力は驚異的だ。僕も初めてリストを目にして10年以上経つが今だに全くピンとこない名前も多い。世の中の情報化技術がこれほど進歩して、音楽の検索もやりやすくなった時代でもNWWリストの詳細を把握するのは相当困難だけれども、著者はNWWリストも丁寧に拾い上げて解説を加えていて、これだけでも相当マニアックな労作だと思った。

https://en.wikipedia.org/wiki/Nurse_with_Wound_list

この本が楽しめる人は相当限られているとは思うけれど、限られたごく一部の人はぜひ目を通して、できれば1冊4000円という価格にも怯まず買っておいた方が良い本だと思った。この本を読みながらNWWの諸作品を聞き直せばきっと新しい発見もあるでしょう。

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