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#105 ヲタク丸出し写真初公開!これがフジアナになったキッカケ

初期の頃から僕の記事を読んでくださっている方は、ご存知の人が多いと思いますが、小学校5年生のときに、4年間住んでいたイギリスから帰ってきて初めて日本のテレビ番組を見て、当時大活躍をしていたフリーのアナウンサー逸見正孝さんの存在を知りました。彼の存在を知って「こんな人になりたいな」と思い、アナウンサーを目指すようになりました。

若い方ですと、ご存知ない方も多いと思いますが、逸見さんは今でいうところの、羽鳥さんのような存在です。

ニュースが出身の方なんですけれども、バラエティーに出てみたらすごく面白かった。芸人のような面白さではなくて、いわゆる真面目なジャーナリスト、そんな雰囲気なのですが、ぱっと気の利いたことを言える、それがまた面白かったりして、僕は子供心にこんな大人になりたいなと。

見た目がすごく真面目そう、ニュースを読む姿もかっこいい。そしてバラエティーに出てみると、とてもおもしろい。僕にとって大人の理想像だったんですね。それでアナウンサーになりたいと思い、中学1年生のときにビデオカメラを買いました。

中学の入学祝いで、祖父母など親戚一同からいただいた入学祝いを親が自由に使わせてくれたんですね。

そこで中学1年生の時にソニーのビデオカメラを購入したのです。定価18万円。売値は15万円。バッテリーとか全部込みで15万円です。中学1年生の買い物としてはすごく高い。当時、本当に贅沢だなと思いましたが、これが、僕の人生を変えたと言っても過言ではないのです。

素材はすべて8mmテープ

中学生から高校生、6年間にわたってアナウンサーごっこをやるのが本当に好きで好きで仕方なくて、趣味というよりも、もう生活の一部だったのだと思います。三脚も持っていました。この三脚にカメラを据えて、今のスマホみたいにビデオカメラ自身に編集機能なんてないので、その場でCDラジカセで音楽をBGMとしてかけます。ドラクエのオープニングとか、ああいう壮大な感じの音楽です。ファイナルファンタジーも使いましたね。そうしてオープニングBGMを自分でラジカセの再生ボタンを押して流して、おもむろに横から歩いてきて、そのカメラ前に立つわけです。そして「こんにちは。お昼になりました。この時間のニュースをお伝えします」なんてことを中学1年生のときからずっとやっていました。

それは別に誰に見せるわけでもなく、本当にただそれをしたかっただけでした。

あとは、当時、祖父母が関西に住んでいたのですが、1人で夏休みに何週間にもわたっていっていました。しかし、祖父母と一緒にいても、正直言うとやることはそんなにありません。

そこで特別番組を作ることにしました。

クイズ番組や歌謡ショー、何でも1人。本当に全部、1人でやるんです。だから、出題者も回答者も全部自分。

これは今、見直してみたら抱腹絶倒の大爆笑ものでした。本当に真剣に、超真剣にやっていたんですね。真剣にやるからこそ面白さが出てくるのだろうな、と思います。

そんな中学生、高校生生活を送っていました。

いじめてくださいと言わんばかりの人

これもまた過去の記事で話しましたが、超いじめられていました。まあ、言うならば家電オタクだったわけです。今回、特別に写真をアップしましたけれども、ご覧のように見た目そのものもオタク丸出しなわけです。眼鏡をかけ、髪型はペターっと自分で変にセットしちゃったりなんかして、さらにシャツは必ずイン。そして家電オタク。加えてものすごく分厚い眼鏡をかけていたんです。

ガチでアナウンサーごっこ

だから、ものの見事にいじめられていましたが、その頃、ともかくアナウンサーごっこ、をずっとやり続けていました。そうした自分の思いが届いて、フジテレビのアナウンサーになりました。

でも、就職活動中、面接や試験などで、このアナウンサーごっこをやっていた話は誰にも話していないんです。

これ、みんなから聞かれるんですよ。なんで鉄板ネタなのに話さなかったのか、と。違うんですよ。これはもう本当に好きすぎて、生活の一部だったんです。例えば皆さんが起きて、歯を磨く、顔を洗う、着替える、そういことと一緒なんですよ。趣味というよりも、もう僕の「生活」だったんですね。だから、全く就職活動では話しませんでした。

入社してから本当に楽しい日々でした。だって、これまでずっと1人でやっていたわけですよ。1人でカメラの前に立って「こんにちは」とかやっていたのが、アナウンサーになったことで、プロのカメラマンがつくし音声さんも付く。ディレクターもつく。しかも、自分が話すこと、リポートや実況中継に編集マンがついて音楽がつき、それが全国へ届いて、いろいろな人からリアクションが来る。こんなに楽しいことはありませんでした。

とことんやれば仲間が集う

僕の趣味だったものが、いろんな人たちを巻き込んで、作品へと仕上がっていく。何事も突き詰めると、そこに集う仲間が絶対にできていきます。それは共通の趣味でなくてもいいのだな、ということを大人になって知りました。

僕の場合は、アナウンサーごっこをしていた話は、ディレクターさんたちも知っていました。なかなかおもしろいことをやるね、ということで、実際にオンエアでもいろいろな企画を一緒に考えるようになりました。普通、アナウンサーの場合はそこまで企画であったり、見せ方であったり、そういったものに対して一緒に話す、ということはあまりしません。台本が用意されていて、企画書もある。そこに乗っかって仕事をしていく。

僕はなにせ、芸歴が長い。入社するまでの間、中高6年間、大学生のときはさすがにしていませんでしたが、アナウンサーに関しては通常の社会人よりも6年間のアドバンテージがありますから(笑)、だから企画会議に入れるのも本当に楽しかったです。中高校生時代「とんねるず」とか「ビートたけし」が無茶苦茶なことをテレビでやっていたのを見て育ってきているので、今は本当に小さくまとまってしまっているな、という気がしてならないのですが、コンプライアンス無視のぐっちゃぐちゃの無茶苦茶な番組を見て育ってきたから、そこから、インスパイアを受けた企画を提案していました。

例えば中学高校生のときは日テレの「ズームイン朝」を毎朝見ていました。番組では音楽に合わせてアナウンサーが、後ろから前をさした指をぱっと前に「ズームイン」と言いながら差し出すのですが、それをフジテレビでやりました。

しかも上司に内緒で。ディレクターさんも悪ノリしていました。報道番組ですからね。それで「○○にズームイン」なんてリポートを収録して内緒で放送したら、編集長は机に頭ぶつけていました。それでも笑って許される時代でした。

また、カメラ好きとしてはプロのカメラマンと「どういうカメラが今いいんだろう」などと話すのが本当に楽しいんです。彼らはもちろん、プロフェッショナル。いくら僕が中学1年生のときからビデオカメラをいじってるといえども、プロの世界は全然違います。だから、彼らに今どういう商品がいいかな、と教えてもらうのが本当に楽しいんです。

今も大の仲良しの沖縄に住んでいる水中カメラマンは、水中撮影のプロです。ダイビングが大好きな僕としては、水中撮影は全然できませんが、そのプロの姿を見ていると、もう少し知りたいなと思うようになるのです。自分がやりたい、というわけではなく、どのように撮影しているのだろう、と。撮影している姿はかっこいいし、自分には真似できないものだからこそ、探究心というんですかね、より知りたいと思うのです。

そして、白馬のスキーパトロール隊の皆さん。今も交流が続いています。取材をきっかけに知り合い、それからプライベートで白馬に通うようになりました。当然、とても滑りが上手いわけですよ。僕はスキーが唯一できるスポーツだと思っているのですが、一流の人たちと一緒に滑ると本当に楽しい。もっと会いたいな、と思うのです。一緒に飲んでいても楽しいし、とにかく一緒に過ごしていて楽しい。

だから、もし皆さん、何か趣味でもなんでも、好きなものはとことんお金がかかるかもしれない、時間もかかるかもしれない。でも馬鹿になってとことんやってみる。やり続けると、思いもかけぬ縁が生まれたりするものなのです。

本気でやれば夢は叶う


いつかの放送より

(voicy 2022年11月13日配信)

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