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耳鼻咽頭から始まる宇宙創成 1

挿絵を何にしようか迷っていたのですが、このキモイ奴にしました~
*この挿絵はキング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」というアルバムジャケットで、学生の頃よく聞いていました。
今から話す内容とは全く関係がありませんが、、、

今回は蒸留とは少し違うお話をしようと思います。
とはいっても、凄く関係があることなのです。

それは、この宇宙の実在と認知の関係についてのことです。

植物細胞水の良さが体感で解る方々は説明はいらないと思うのですが
この植物細胞水の「音響対称性の高さ*フォノグラム」を、
現代科学ではまだ扱うことが出来ないのです。
なぜ扱うことが出来ないか?どうすれば科学として扱っていけるのか?
そういったことをそもそも論から考察していこうと思います。
たぶん一回では終わらないので何回かに分けて文章にしていこうと思います。

まず、我々はこの宇宙を物理学や数学の言葉で理解できると教えられています。
ここでいう宇宙とは、3次元空間と1次元の時間というものを当然と認めたうえで展開される物理的宇宙のことを指します。
また現代物理学は数学の言葉で書かれており、空間の3つのパラメーターと
時間のパラメーター前提とした理論体系になります。
これは、最先端の標準理論と言われるものでも例外ではないです。
また、人間の思考というものも、時間が無くては成立しません。
方程式というものは、よくよく考えてみると事柄を順番に並べて等価式を作っているだけなのです。
なぜ物理学が数学の言葉で書くことが出来るかという事も実はよくわかっていないことなのですが、それは、大脳が認知する実在と表現というものを考察すると観えてくるものがあります。
私は、この物理的実在性と数学表現の対応のことを、
「大脳(前頭葉)ゲシュタルト認知とその表現」と呼ぶことにしています。
ここでは、大脳ゲシュタルト認知による実在が、物理的宇宙であり、
その表現が数学という事になります。
では、そうでない認知宇宙があるのでしょうか?
それが大脳を経由しないで認知する実在です。
ここでは簡単に内観認知(もしくは体感認知)のことだと思ってください。
もちろん、このような認知世界を現代科学のパラダイムでは扱うことが出来ません。
かといって存在していないとは言えません。
内観認知や体感認知を言語化するとどうしても神秘体験を日常言語で表現するような形式になってしまいます。

言語野は視覚野と聴覚野の合併のところに位置しています。
視覚認知対象と聴覚認知対象の一部は言語化しやすいのはこのためです。
嗅覚などは、大脳皮質を経由せずいきなり脳梁に届くため、香に対する言語表現は極端に少ないことに気が付きます。
身体知におけるほとんどは、直接、言語野と繋がっていないため、観念化すると違和感を感じてしまうのです。
逆のことを言えば、厳密な科学として扱えるのは、視覚認知と聴覚認知の一部だけという事になります。
現代の科学は、すべて視覚認知を精密化していったことが粒子加速器を観ても明らかです。
では、聴覚の科学はどこに行ってしまったのでしょうか?
それはフーリエ解析のことではありません。
フーリエの理論、おそらく数学で表記できるすべての理論は一度視覚化されてしまっている理論です。
つまり、これらは聴覚を視覚化した科学なのです。
聴覚の科学は、むしろアフリカ由来のポリリズムやピアノの古典調律法、ストラディバリのヴァイオリンの音色の秘密の中に眠っています。
それを明らかにしていったのがフォノグラム研究です。


こちらも参考にしてください。

フォノグラムは大脳言語とは異なりますが、これは言語と考えうるものだと思います。
コトバになる前のコトダマそのものだと考えています。
おそらく、このフォノグラムの世界を端的にとらえることのできる言語が
日本語なのではないかとか思っています。

先日の言語学者・伊藤雄馬さんとの対談動画です。
言葉から身体性が失われていき、人間がAI化していくことにも触れています。
興味深い対談になっていると思いますので、是非ご覧ください。


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