大谷翔平のエンゼルスは2020年にどんな夢を描くのか〜僕と君のロサンゼルス観光(アナハイム観光(野球観戦(MLB)もあるよ))〜プロスペクトが欲しい2019年だった
はじめに
僕たち野球ファンは応援する対象に自分の夢を勝手に預けている。思い通りに事が進めば喜びを爆発させるし思い通りにいかなければ怒りを吐き出し機嫌を悪くする。
知り合いでもなんでもない他人のプレーに一喜一憂しているのだ。
でもそれが趣味だ。たまたま他人のプレーする野球を好きになってしまっただけなのだ。
それは実在する人間がやっていることだということを理解しないといけない。テレビや新聞では敬称はつけずに表されているが選手たちは実在する。現地で普段の会話の要領で呼び捨てにするとかはやめてくれ。架空のゲームの話をしているんじゃないんだ。
妄想だけで楽しみたいならパワプロをやってれば良いんだよ。プロスピでも良いよ。ファミスタでも良い。コナミのやつが色々独占してたせいで僕たちはパワプロに侵されているんだ。
ロサンゼルス観光
まず結論を言うと僕はロサンゼルス観光をしたことはないし予定もしてない。アナハイムで大谷を見たこともない(おいおいお前は大谷とか呼び捨てにするのかよ)。
アナハイムには行ったことはある。エンゼルスの試合も見たことはある。でもロサンゼルスは観光したことない。
このnoteを投稿したらどんな検索ワードでヒットしちゃうんだろうという気持ちから書き始めたから内容もないよう。SEO対策してるわけでもないおう。
あと僕のツイッターを見てる一億人のフォロワーなら分かるだろうが僕はロサンゼルスとアナハイムの区別にまあまあこだわってる。
とまあロサンゼルスの空港に着いたらそのままアナハイムに向かったのでロサンゼルス自体の観光はしてないということだ。
というわけでロサンゼルス観光の攻略法とかオススメの紹介は一切ないのでそういう内容を期待をして読み進めてきた人たちとはここでお別れだ。本当はお別れしたくないけどね。
ロサンゼルス観光をしてないからって興味がないわけじゃないしむしろ観光したいとは思っているのでオススメはぜひ教えてください。
ちなみに僕は旅行の時は飯よりもいかに目的の場所を巡れるかを優先します。
アナハイムに見た夢
ようやく辿り着いた安息の地アナハイム。僕たちは天使の息のかかるその大地でいつまでも夢を見ている。
僕がそもそもエンゼルスを好きになったのがどうしてか気になる人は一千万人くらいはいると思う(おいおい10パーセントしかいないのかよミュートされまくり)。前々回のユニフォームの話でエンゼルスのユニフォームは微妙だのなんだの文句をつけていたし、それなのになぜそのチームを好きに?という思いは誰しもが抱いて当然のことだ。
日本人の多くはヤンキースかドジャースに愛着を持ってか持たないでか理由は様々あれど応援をしている。世間を歩けばそれぞれのチームロゴが入ったリュックなりキャップなりはよく見かける。
捻くれ者のトナカイ野郎のことだから同じロサンゼルスのドジャースじゃなくてエンゼルスにしようとか考えて応援することにしたんだろう、と考える人はいると思う。ハッキリ言って良い線の読みだとは思う。幼い頃の僕ならそういう理由で決めてただろうから。クソ捻くれ野郎だったからね。
だが違う!さっきも言ったが僕はロサンゼルスとアナハイムを同じ目で見てない。
とまあ長く引っ張っても大した話は展開されないのでさっさと進めるが、まず僕はディズニーランドが好きなのである。
ディズニーじゃないです。ディズニーは正直詳しくないので。やはり社会の荒波に揉まれる日々の中で日常を忘れられて楽しめるディズニーのパークは最高なんですわ。
そういうのもあってそれならアメリカのディズニーランドにも行こうと考えたのが始まり。調べればそれはアナハイムにあることが分かった。アナハイムに野球場があることは知っていた。ディズニーと野球が好きな僕には両方楽しめておいしい場所だ。どうせ行くなら何も知らずに行くよりエンゼルスのことを調べて知識を入れてからにしよう。毎日の試合結果をなんとなく追う日々。そしてそのままチームに愛着を持って今に至ってます。
ツイッターだと前からのファンのように振る舞ってるかも知れないけど歴はかなーり浅いです。でもそんなの関係ねぇ。いちいち遠慮してないで熱を見せればいいんだよ。
そんなエンゼルスは2014年の地区優勝以降、ピークに達したアストロズが支配するアリーグ西地区で優勝を狙うことは出来ず、しかし高い放送権料を貰ってるからかファイティングポーズは取り続けなければならずなんとなくなパフォーマンスを毎年見せ続けています。
トラウトとの契約延長もできたので早い段階でガチなコンテンダーにならなければいけない。ここ数年はファッションコンテンダーだったので。
天使降臨
翔平はエンジェルだった。
誰かが言った言葉と共に日本が生んだスーパースター候補である僕たちのトッププロスペクト大谷翔平はエンゼルスにやってきた。
あの時の僕はとても興奮していたんだ。
最終候補にエンゼルスが残っていたもののどうせ来ないだろうと思っていたから。日本人はドジャースに行く。もしくはイチローのマリナーズ。ダルビッシュのレンジャーズもなしじゃないけどエンゼルスの知名度に比べればアリだ。長谷川のエンゼルスが選ばれる未来は見えない。分かってることなんだから早く結果を教えろと思っていた。
そしたらどうだ。大谷は僕のような捻くれ者だった。エンゼルスを選んだんだよ。朝起きてこのニュースを見た時は興奮したよ。出勤中の電車の中でずっとニヤニヤしながらニュースを読みあさっていたさ。あの時ほどスキップしながら喜びを表したい通勤はなかったね。
正直僕は今でもあの大谷翔平がエンゼルスにいるんだって事実を考えるだけでニヤニヤするよ。去年何度もしてたのに今でもだよ。あの自分の贔屓とは無関係の存在として眺めていた大谷が贔屓にいるんだよ。話題の中心にずっといた大谷がだよ。僕のものなんだよ。ウキウキするだろう。
さて、そんな大谷はDH制のないナリーグの方が良かった、という意見をよく耳にする。僕はそうは思わない。思ったこともない。仮に4番ピッチャー大谷が実現していたとしてもそれは単にバッティングが良いだけのピッチャーでしょと思ってしまう。
じゃあDHと投手で試合に出ればそれは二刀流なのか、と問われればうーんとなる。そもそも二刀流って言葉自体が大谷本人は表現したことないものでは?屁理屈のように聞こえるかも知れないけど僕たちが勝手に二刀流という言葉に踊らされて二刀流を定義したがってるだけだ。
もし翔平がナリーグ球団に入っていたとして投手としての出場がない時はどういう形で試合に出ていたのかは気になる。代打だけなのか。もしくはポジションプレーヤーとしてスタメンなのか。それが外野手ならナリーグに二刀流の夢(大谷ではなく多くの日本人野球ファンが定義する二刀流ということ)を求めた考え方は良いと思う。ただ大谷に対して外野手のイメージを持ってる人の多くは錯覚してるんじゃないかな。彼は日本ハム入団1年目こそ54試合の外野出場があったけど2年目は8試合、3年目以降の外野出場は1試合もなく5年目のオフにアメリカへ渡っている。
ということは外野手としての大谷は、やらせれば出来るかも知れないけど実際にやってみなきゃどうなるかは分からない、くらいのレベルだろう。少なくとも投手じゃない時は外野をやらせれば良いじゃんとパワプロの要領で安易に選択肢として考えるのは厳しいと思うな。
それを考えればDH制のあるアリーグは堅実な選択だったと思う。対抗馬が少なくレギュラーチャンスがあることがエンゼルスを選ぶ理由にあったとしても不思議じゃない。ロサンゼルスと比べて都会じゃないのも良い。まあレギュラーチャンスで言えばマリナーズはともかくレンジャーズは良かったかも知れないけど。ダルビッシュが作った日本人観光の流れを嫌ったということで解決としよう。
とにかくこの手の妄想は意味がない。なぜなら彼は既に天使なんだから。
未来はどこにあるか
大谷登場の少し前、MarshやAdellやCanningのドラフトあたりからチームはこつこつ若者を溜め込んできた。それまではレギュラー級選手獲得のために次々と放出してきたけどその時代は終わった。Uptonの獲得さえも出血はほぼない(トレードで出したGrayson Longは既に今年引退している)。Kinslerトレードも放出したのは未だA+で燻ってる25歳と未知なる20歳投手なので一応セーフ。
そのKinslerをさらにトレードに出したことで得たButtreyは2019年フル回転してくれたし(打たれることも多かったが起用法次第で改善できそうな気もする)、Maldonadoで得たSandovalも期待感がある。
ただまあ他のチームと比べればそこまで魅了はないかなとは思う。ズバ抜けたマイナー成績を残した選手はいないし(今年はJeremiah Jacksonでウキウキしたけど彼も今後上へ進んでいく過程でどうなるか分からない)何よりマイナーのチームはどこも負けまくってる。明確に良くなってきてるって感じがない。Adellが卒業したあとのウチのプロスペクトランキングが全体のどの位置にくるのか悲観してる。そもそもが期待し過ぎなのかも知れないけど。結局のところドラフトに頼ったプロスペクト集めしかしてないわけだし。
2019年は有望株獲得のためのトレードにも失敗してる。単年契約で獲得したHarveyもAllenもLucroyもリリースしたし同じく単年契約のCahillは去年110イニングで被本塁打8だったのに今年は100イニング満たずで3倍以上打たれてる。どれもあわよくばコンテンダーチームにトレードできるかもと期待していたのに全て期待外れに終わった。
オプション行使せずさよならしそうなCalhounは消化試合でパフォーマンスを続けているしSkaggsは亡くなってしまった。
2020年が契約最終年のSimmonsはどうする。僕としては打撃スタッツが伸びないならトレードもありかなと思ってる。
あとたまに野手と契約をした時に「エンゼルスは投手だろ」という声があるのは納得できない。それはそれこれはこれだろう。
大谷獲得による最大の想定外の一つはPujols引退後のDHに入るはずだったUptonが契約の間ずっと外野で使い続けるしかない状況になったことだろうか。トレードに出せという声もあるけどノートレード条項があって年俸も高額な彼をどうやってトレードできると言うのか。僕たちは彼の最後の輝きとチームの躍進が同じタイミングで来ることを祈るしかないのだ。
大谷の起用法
2020年より投手起用が再開される大谷だがこれがどこまで上手くいくか。投手とDH両方でフルシーズンを駆け抜けられるかが試される初めてのシーズンになる。基本的には2018年序盤のスタイルで良いと思う。あの感じの投手大谷がずっと計算できるならチームの投手起用はかなり改善されると思う。
僕は少なくとも今年のブルペンは悪いと思っていなかった。結局のところ先発がイニングを稼げない影響で無茶なブルペン起用が続いてしまい共倒れしてしまってるから先発さえ安定すればブルペンはより良い成績を残せるようにはなると思う(期待)。大谷が週に一回好投するだけじゃそれはダメなんだけど今年は週に一回好投してくれる先発すらいなかったから(Skaggsは今年キャリア初の規定投球回数に到達しそうだったけど1人あたりの投球数が多いからか1試合あたりのイニング数は世間のイメージほど多くないと思う(失点数が少ない展開だとしても))。
マイナーにはノーコンさえ良くなれば期待できるってレベルの投手ばかりで現状は期待感なし。
いっそのこと大谷は投手専任のシーズンになっても良いとすら思える。今のチーム状態ならね。そしてそれを言えば彼はオッケーするんじゃないかな。そもそも自分で決められず今に至ってる感はあるような気がするし。
とにかく2020年は彼がどこまで働けるかでチームの行方は左右されそう。
まあ、大谷の起用法なんてタイトル付けてるけど僕は本当はああしろこうしろとやり方に文句をつけたくはないんだ。大谷への依存度が高いチーム状況のせいで注文を多くしているんだからそもそもチーム状況を変えるところから始めなければダメだ。
あとはSoCalネイティブのGerrit Coleを獲得して(この記事でチームのペイロールのことは考慮していません)、もう1人くらいイニング食えてなかなかの働きをしてくれる先発がいれば嬉しい。
結局のところ大谷の起用法への希望が溢れ出てしまうのはもうアストロズの天下が終わるのは待ってられないからなんだと思う。ぶつかっていくしかないから。
アナハイム観光
さて、次はアナハイム観光についてです。これは野球だけを延々と語るnoteではないからそれ以外も語るんです。
まあ観光と言ってもハッキリ言ってディズニーランドに興味がないなら他は何もないです。金持ちの住宅街って感じかと。
アイスホッケー(NHL)のAnaheim Ducksの本拠地であるHonda CenterがLos Angeles Angelsの本拠地であるAngel Stadiumの近所にあります(突然の英語表記)。そういう縁もあって僕はダックスも応援してるけど実際は未だにアイスホッケーのルールはハッキリ理解してないし選手もそんなに覚えられてないんだよね。多分こういうのって野球のルールをゲームで理解していったようにアイスホッケーのゲームをやればより理解しやすいとは思うんだけど。
他のチームだとダウンタウンに球場があったりして夜の試合のあともチャラヘッチャラだったりするけど、アナハイムは夜は周り普通に住宅地なので真っ暗です。タクシーで移動した時に窓の向こうの景色をボーッと見ていたけれど、暗くてこの中で何か犯罪があったとしてもそれはこんな夜道を出歩く人が悪いよねと言えてしまいそうな感じだった。車内から見たので余計に暗さを感じたのかも知れないけれど。アナハイムに限らずそういう環境下の球場はまあまああるっぽいです。現地民は車で帰るから球場周辺の環境は大して気にしてません。試合後に球場周りで何か食べようって考えならアナハイムは微妙。近くにスタバはあった気がする。とにかくおとなしく球場内で食うべき。
というわけで観光のために来るって場所じゃないです。多分、大谷翔平を見るツアーとかでも基本はLA観光なんじゃないかな。その中でアムトラックでアナハイムまで行って観戦する日があるって感じだと思う。ナイトゲーム後に電車でLAに帰れるかは知らない。彼らは平気で夜7時試合開始にするから。
アメリカ旅行における英語の必要性
さっきのタクシーの時もそうだけど基本的に英語を話せる必要性はないです。買い物をする時も何となくカードで払うアピールをすれば買えます。一番のハードルは入国審査かな。だけど難解な質問は飛んでこないはず。
僕は英語スーパー出来ないマンだから安心してほしい。こういうので英語は要らないよって言う人に限ってまあまあそれなりオッケーな英語力を持ってる人いるからさ。
僕は高校の時にcoffeeがコーヒーかカフェか分からずカフェって答えたら発音よくコーヒーを言ったのだと勘違いされて無駄に褒められたし、大学の時にchosen(chooseの過去分詞(当時は過去分詞なんて表現はよく知らず後々にこのエピソードを上手く紹介するために調べた))を「朝鮮ですかこれは?」と先生に質問したくらいだったから。
一応旅行に行く前に勉強はしましたよ。ユーチューブで。某バイリンガル女性の動画とかも見ました。結論から言うとそういう一朝一夕は無駄でした。全然なに言ってるか分かりましぇん。いや、一朝一夕じゃなくてわりと長い期間色々と見たり調べたりしたんだけどね。
ただこれだけは言える。英語は勉強した方が良い。
おいおいそれはどういうことだよやっぱり必要なんじゃないか、と思う人がいるかも知れないけどそうじゃない。
さっきのタクシーの時も店で買い物する時もそうだけど英語があるだけでその旅行は100倍楽しくなる。現地民はその時間でさえとても楽しく話をしている。対する僕は無言で商品を差し出し無言でカードアピールをするだけだ。ちくしょうって思ったよ。英語ができれば買い物もタクシーも楽しいコミュニケーションの時間に変わってたんだなと思えたからね。宿泊先のホテルで毎日顔を合わすフロントの人でさえちょっとした会話ができるしお掃除の人とも会話はできる。
そういう意味では英語は必要だと言える。思い出をより良くするために。
アナハイムではあんまりないけど他の大都市のダウンタウンを歩いてると必ず変な人やホームレスはいるので、そういう人たちは平気でごにょごにょ話しかけてくるけど適当にあしらうと吉。なんて言ってるか理解しようと積極的に聞きにいく姿勢は見せなくてオッケーです。多分。これ書かなくていい話だったかも。ホームレスに優しくしなきゃ怒る人まあまあいるし。
アメリカ旅行をするたびに「来年はもっと英語が理解できる自分になるぜ」と思うんだけど毎回変わらず理解できてないという。
英会話スクールの体験コースとかいうのに行ったことがあるけど、結局近いレベルの人たちとその日学んだことで英会話することになるからその日学んだ内容なら互いに通じ合えるけど、ちょっと自分の引き出しから単語や表現法出してアピールしようものなら結局それは相手には通じなくて「これ本当にレベルアップするのか?」な気持ちになった。
でもまあそもそも英語を発する機会が日本では基本的にないからそういう面では英会話スクールは良いのかも知れない。かなーり初歩の段階の話だなとは思える(トナカイ野郎は初歩の段階の人なんだからおとなしく参加しろよな)。
ちなみにアメリカ人は僕たちアジア人に対して話しかける時「この人アメリカ人じゃないから英語伝わらないかも」という気持ちでは話しかけてこないです。英語が世界の共通言語であるかのように、飼ってるペットに当たり前に英語で話すのと同じように(僕たちだって犬にお手とか日本語で話しかけてるやん?)、彼らは僕たちにも英語で話しかけてきます。
あと大事なのは、見た目がアジア人だからと言ってアメリカ人じゃないとは言えないということです。移民が多い国なので日系もたくさんいますし中国韓国系もたくさんいます。だから彼らは相手の見た目がアジア人だからって英語が伝わらないとは考え無いのではないでしょうか。僕の勝手な憶測です。
ちなみに僕たち日本人はアジア人以外の顔つきの人を見かけると無条件にアメリカ人認定してしまいがちだし英語を喋るもんだと思いがちです。多分。
死んでいった人たち
みんなの周りにもいるでしょう。
僕にもいます。
自分がいつその中に入るか分からない。
アメリカ旅行ってまあまあお金がかかることだからさ(でもみんなが思ってるほどじゃないと思う)、それに限らずだけど今はいいよって思って後回しにしてる人も多いと思う。
そんなに優先すべきことではないと考えてるなら良いけどさ、どうしても行ってみたいんだと思ってるならすぐに行くべきじゃないかな。
行こうと思った時に行けるか分からないからね。
定年後に時間があるから良いよみたいな考え方もある。
だけど定年するまで自分が生きられるって決まってないよね。
定年する頃に自分が今と同じくらい動けるか分からないよね。
それに僕は今の年齢で旅行して得られる刺激や経験は定年後に旅行して得られる刺激や経験とは同じじゃないと思ってる。
だから今行けるなら今行った方が良いよ。
時間は有限なので。
僕らの勇気
僕はハッキリ言って野球に詳しくない。
幼い頃は朝刊のスポーツ欄の試合結果を眺めるだけだったし野球経験もない。
スポーツ欄を眺めるだけだったから投手は防御率優先に見ていたし野手は打率優先に見ていた。
メジャーリーグに触れ始めたのは高校の時だ。友だちと地図帳のアメリカのページを眺めながらどこにどのチームがあるか覚えあった。カタカナの長い名前をフルで覚えることが楽しかったし、どのチームがどっちのリーグのどの地区なのか覚えて知識を披露し合うのも楽しかった。
ネットがどの家庭にも当たり前にある時代じゃなかったのでその友人がマイナーリーグのチームまで覚え出したのは驚いた。僕は対抗する術がないので諦めた。というよりマイナーリーグをよく分かっていなかった。
ampmでメジャーリーグのオールスター投票用紙を大量に貰って特に投票せず終わった夏もあった。
そんな時代を経て今に至っているが僕は高校を卒業しその友人と離れたことでMLBへの興味は失ってしまった。その後しばらくは日本のプロ野球をチェックするついでにちょこっとくらいはMLBも分かりますよなレベルの知識で生活していた。
大学時代は日本のプロ野球でさえもあんまりチェックしていなかった。今思えばあの時間がある時代に熱を注ぐべきだったな。
その友人とは社会人になってから再び会うようになったが(それまでもネットでは繋がっていた)彼も僕と同じように学生時代(僕は中高時代のことを学生時代とは表記しないので学生時代と書かれてる場合は大抵大学のことである)には野球への興味が薄れていたようだった。
ちなみに彼は野球部だが僕はそれも関係していると思う。彼以外にも高校時代に野球部だった人と今でも関わりがあるが、その人は野球部引退後まったくプロ野球を追わなくなったので、その後結婚した奥さんと辻内って誰なのって会話をして議論になったそうだ。ここ数年は少しはプロ野球を見るようになったらしく「攝津ってピッチャー凄いんだけど知ってる?」と僕に聞いてくるくらいになった。ただ、プロ野球を知らないだけで社会人になってから地元の草野球チームで野球は続けているとのことだ。
というのもあって野球部だからプロ野球が好きとは限らない、むしろ野球部に入るくらいの人はプロ野球観戦を趣味とする人とは好みや考え方が違うくらいに思ってる。
話がそれたが高校時代にMLBの球団名を覚えあった友人の話に戻ろう。
野球への興味を失った友人だが社会人になって数年して突如再び野球に目覚めた。プレーする方ではなくプロ野球観戦に対してだ。
だがMLBへの関心は戻らなかった。元々野球要素というよりは地理的な要素もあって球団名を覚えていただけだから仕方ないとも言える。
僕がアナハイム旅行をする時に「有名なのはトラウトとプーホールスくらいかな」と言って「トラウトって誰?」となるくらいに関心を持ってなかった。同じくMLBにそこまで関心がなかった僕でさえもTroutは知ってたのに(ダルビッシュのルーキーイヤーと被ってたし)。Pujolsについてはその球団名覚え競争の時代で既にスターだったので彼は知っていた。
そして今となっては日本のプロ野球よりMLBを追うことの方が楽しくなってしまっている僕です(こういう風に文字にして言葉にしてこの事を言ったことはないです。言ってないだけで多くの人はそうなんだろうなという目で見ているんだろうけど)。
技術の進歩、野球の進歩、それらを日々感じられるのは楽しいです。
「〜だから日本はダメ」っていう論調は好きじゃないです。応援とかやめてアメリカみたいに静かに野球観戦しよう、っていう意見も嫌いです。プロ野球は野球型エンターテイメントなので多くのお客さんが楽しめてる応援パフォーマンスを失くすのはありえないです。単に野球だけが見たいならその辺の河川敷でやってる草野球へどうぞ。二軍でも独立リーグでも良いです。
僕たちは単に日本のプロの最高峰のプレーが見たくてプロ野球を見てるわけじゃないはず。愛着を持ってるチームだったり選手だったりの頑張りや結果にワクワクしているんじゃないかな。
だってそうじゃなきゃ序盤にも書いたけど知り合いでもないおじさんやお兄さんのスポーツの結果に一喜一憂しないよね。
おわりに
長々と纏まりのない話を続けたがこれで終わりである。
僕が誰なのかこの登場人物やその周りの人が読んだら分かってしまうようなことまで書いちゃったけどあんまり気にしてない。
ちなみに僕は基本的にこれまで書いてきたnoteも他でやってたブログもプロット(って言うと大げさか?)を考えず思いついたことをつらつら書いていくスタイルなので収拾がつかなくなることはありがちなことである(ていうかみんなそうでしょ?)。
野球を見ていると「あの時代のあの選手は良かった」という話はよく出てくることだと思う。
野球に限らずなんだってある。「昔は良かった」は老いた人が口を揃えていう文言だ。
ゲームだってみんな自分たちの幼い頃のものを最高だと言うんじゃないかな。FFは5が一番良かったとかドラクエは5が一番良かったとかポケモンは初代が一番かわいくて愛着持てるキャラが多いとか。
本当にそうか?
勝手に自分の中で過去の思い出を強力に美化し最近のものを認めないでおこうという意志を働かせているんじゃないか?
それはとてももったいないよ。
見えないハードルを上げまくって越えさせないようにする気満々じゃないか。
新しい時代はいつだって楽しみに待ってればいいじゃん。
僕はいつだって新しいことにワクワクしていたいと思っているよ。
今を楽しみたいからね。
それではみなさんごきげんよう
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